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残す(昭和40年8月17日、高見 順、死去する)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高見順

昭和40年8月17日(1965年。 高見 順(58歳)が息を引き取りました。

伊藤 整や小田切 進らと「日本近代文学館」の設立に向けて動き出した年の翌年(昭和38年)、食道ガンが見つかり、以後入退院を繰り返していました。高見は闘病と平行して、「日本近代文学館」設立にむけて奔走したのです。

受けた手術は4度。ガンは鎖骨 上窩じょうか 、肋骨、腎臓、後腹膜、腰椎にまで転移し、全身ガンの状態でした。医師は 「梅雨を越すのは難しいだろう」と家族には話していました。

そして迎えた「日本近代文学館」の起工式(昭和40年8月16日)。さすがに式への参列はできませんでしたが、会場で高見のメッセージが秋子夫人によって読み上げられました。

はじめも終りもありがとうございました、としかいえません。一生一代の大ぶろしきを広げっ放しで病いに倒れましたが、どうか末長く頼みます。

起工式のあと、伊藤 整と平野 謙が病院にかけつけると、高見は微笑みを浮かべたといいます。

様態が急変したのは、日をまたいで17日の夜明け前。意識は混濁し、14時間の死闘の末、午後5時32分、旅立ちました。「日本近代文学館」の起工式の翌日です。高見人生を燃焼しきった一人でした。

日本近代文学館」(東京都目黒区駒場4-3-55 Map→ Site→)は、高見の没後2年した昭和42年開館します。2階フロアーには初代理事長になった高見の胸像がすえられました。 

「日本近代文学館」の外観
日本近代文学館」の外観

同館は日本近代文学の資料を網羅的かつ大量に収集した日本初の文学館なのではないでしょうか。保管されている資料は、図書、雑誌、原稿などおよそ120万点。芥川龍之介高見 順関口良雄広津和郎有島武郎、北村透谷、島崎藤村川口松太郎高田 保樋口一葉川端康成、中里介山、萩原朔太郎石川達三谷崎潤一郎山本有三原 民喜石川啄木長谷川時雨与謝野晶子与謝野鉄幹、坂本一亀(編集者。坂本龍一の父親。『仮面の告白』を三島由紀夫に書かせた)、太宰 治志賀直哉、徳永 直、佐多稲子、安岡章太郎、滝田樗陰、住井すゑ、三好達治など171の文庫・コレクションがあります(令和5年3月現在)。

幻覚症状を興味深く描いた芥川龍之介の『歯車』の原稿や、芥川の描いた河童の絵芥川のキリスト教への愛着を示すマリア観音関口良雄が書目作成のために収集した尾崎一雄上林 暁かんばやし・あかつき の全初版本、広津和郎の松川事件公判資料明治政府の変節に翻弄された男(藤村藤村の父親がモデル)の生涯を描いた藤村の『夜明け前』の創作ノート、短期間に書き上げられた樋口一葉の『たけくらべ』や『にごりえ』の草稿、川端康成の『雪国』の原稿と創作覚え書、パリ滞在中の辻 潤・辻 まこと父子が夢中で読んだ中里介山の『大菩薩峠』の原稿、広島での“地獄”を描いた原 民喜の『夏の花』のノート、忘れてはならない長崎での悲劇を静かなタッチで綴った佐多稲子の『樹影』の原稿、自らの性の目覚めを赤裸々に綴った室生犀星の『性に目覚める頃』の原稿、「毎日新聞」に連載された小説の原稿114点、太宰 治の『斜陽』『人間失格』の原稿、若き萩原朔太郎が憧れた少女・馬場エレナに捧げた自作歌集『ソライロノハナ』、朔太郎の自筆楽譜志賀直哉の『暗夜行路』の原稿も保管されています。

公的資金で運営されていると、きっと「こんなもん取っておいて何になるんだ?」「こんなもん金になんのか?」「維持するのにどれだけ金がかかると思っているんだ?」「営業努力はしてんのか?」 と頭の足りない(その価値が分からない)政治家やコメンテーターもどきが湧いて出そうですが、「日本近代文学館」は基本、寄贈・寄付で運営されているので(平成23年公益財団法人の認定を受けた)、アホな彼らからのさしたる攻撃は受けていないようです。文化的な国なら国や都が相応の援助をし、その援助に対して理解が得られることでしょうに。

高見と同じように末期のガンに侵されながらも、堺 利彦の評伝を書き上げた黒岩比佐子が、「日本近代文学館」で一つの資料に出会った時の衝撃をつぎのように書いています。

・・・二〇〇九年の九月のことだった。日本近代文学館で堺利彦関係の資料を閲覧していた私は、一冊の本に出会って自分の目を疑った。
 それは菊判で八百ページ以上もある分厚いハードカバーの洋書で、一八八九年にロンドンで刊行されたCAPITAL 、マルクスの世界的な名著『資本論』の英語版だった。その本の裏表紙の見返しの右ページには堺利彦の筆跡で「一九二三年二月五日 堺利彦記」とペンで書かれ、印が押してある。さらに左ページには次のように記されていた・・・(黒岩比佐子『パンとペン 〜社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い〜』より)

一冊の本が、幸徳秋水→堺 利彦→有島武郎→有島生馬→高見 順とリレーされ、「日本近代文学館」に保管されていたのです。

日本近代文学館」だけではありません。一人の作家に特化した文学館(漱石山房記念館Site→森 鴎外記念館Site→山本有三記念館Site→など)、地域に根ざした文学館(大田区立郷土博物館Site→、鎌倉文学館Site→、小田原文学館Site→、神奈川近代文学館Site→など)、映画、漫画、雑誌などを扱う文学館・ミュージアム(早稲田大学演劇博物館Site→、国立映画アーカイブSite→、明治大学現代マンガ図書館Site→、松竹大谷図書館Site→、大宅壮一文庫Site→など)もあります。

物品・データが「保存」「開示」されることは、文化を継承・発展させる上での基本の基。図書館や博物館も同様の機能を果たしています。

「残す」といえば、公文書もそう。公務所(役所)や公務員が、その肩書きで作成した文書です。公(主権者である国民)に関わる文書であり、その厳格な保存と開示は、民主主義を標榜する国では常識。公務員(行政機関の役人のほか、政治家や裁判官なども含む)が自らの保身のため権力(公に対する権限)を乱用・悪用しないか監視するためにも(残念ながら、監視がないと好き勝手やる人が多い・・・)、公文書は厳格に保存され、国民の請求に応じて開示されなくてはなりません。個人情報や国防に関することなど開示できないこともあるでしょうが、その場合でも、開示できない理由を開示請求者が納得できる形で説明される必要があるでしょう。数ページにもわたる「のり弁」を公務員はどう説明しているのでしょう?

増山かおり 『死ぬまでに一度は訪ねたい東京の文学館』(エクスナレッジ) 『全国作家記念館ガイド』(山川出版社)。編:作家記念館研究会
増山かおり 『死ぬまでに一度は訪ねたい東京の文学館』(エクスナレッジ) 『全国作家記念館ガイド』(山川出版社)。編:作家記念館研究会
中村 稔 『文学館を考える 〜文学館学序説のためのエスキス〜』(青土社) プチ鹿島『こんな日本に誰がした! 〜お笑い公文書2022〜(プチ鹿島政治コラム集)』(文藝春秋)
中村 稔 『文学館を考える 〜文学館学序説のためのエスキス〜』(青土社) プチ鹿島『こんな日本に誰がした! 〜お笑い公文書2022〜(プチ鹿島政治コラム集)』(文藝春秋)

■ 馬込文学マラソン:
高見 順の『死の淵より』を読む→
芥川龍之介の『魔術』を読む→
関口良雄の『昔日の客』を読む→
広津和郎の『昭和初年のインテリ作家』を読む→
川口松太郎の『日蓮』を読む→
川端康成の『雪国』を読む→
萩原朔太郎の『月に吠える』を読む→
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
志賀直哉の『暗夜行路』を読む→
佐多稲子の『水』を読む→
三好達治の『測量船』を読む→
辻 潤の『絶望の書』を読む→
辻 まことの『山の声』を読む→
室生犀星の『黒髪の書』を読む→

■ 参考文献:
●『高見 順 ~人と作品~』(石光 葆いしみつ・しげる 清水書院 昭和44年初版発行 昭和46年発行2刷)P.88-120 ●『パンとペン』(社会主義者・堺 利彦と「売文社」の闘い)(黒岩比佐子 講談社 平成22年発行)P.401-404 ●「公文書」(名和鐵郎)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)コトバンク→ ●「情報公開制度」(堀部政男)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)コトバンク→ ●「森友文書改ざん訴訟 「戦略的」に国が「認諾 」〜逃げの手 卑劣極まれり〜(こちら特報部)」(中山 岳、荒井六貴)※「東京新聞(朝刊)」(令和3年12月17日号)掲載

※当ページの最終修正年月日
2024.8.17

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