萩原朔太郎。「ゴンドラ洋楽会」(のちの「上毛マンドリンクラブ」。現在の「群馬交響楽団」の源流の一つ)を結成、指導にあたった頃(大正4年〜。28歳〜) ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典: 『萩原朔太郎(新潮日本文学アルバム)』
大正15年12月2日(1926年。
宮沢賢治(30歳)がチェロを抱えて上京、 神田の「上州屋」(「名古路ビル本館」( 東京都千代田区神田錦町三丁目13-7 map→)が建っているあたりにあった)に下宿し、12月29日までの4週間滞在しました。
4ヶ月ほど前に立ち上げた「
羅須地人
協会」 で必要な知識や技術を習得するための上京で、毎日午後2時まで図書館で調べものをし、その後タイプライターを習い、「新交響楽団」(現「NHK交響楽団」。3ヶ月ほど前(大正15年10月5日)に結成された)の練習場でオルガンを練習、エスペラント語の個人教授も受け(言語学者で駐日フィンランド公使でもあったラムステットとも親交)、宿に戻っても勉強、と凄まじいです。さらには、 演劇(築地小劇場にも行ったようだ)や歌舞伎も鑑賞、高村光太郎(43歳)や尾崎喜八(34歳)にも会いに行っています。
この上京時の最後の方の3日間(12月25日?〜)、当地(東京都大田区千鳥町)に住む「新交響楽団」の大津三郎(トロンボーン奏者。チェロも弾いた)からチェロを習っています。賢治は「羅須地人協会」に楽団を作ろうとしていました。
大津のレッスンは、朝の6時半からの2時間。 賢治は神田駅(または東京駅)から省線(現・JR)に乗って大森駅を経由して蒲田駅で下車、池上線に乗り換えて「慶大グランド前駅」(5ヶ月ほど前の大正15年8月6日に開業。現「千鳥町駅」(東京都大田区千鳥一丁目20 map→)で下車して大津の家まで歩いたのでしょう。池上線はまだ「雪谷大塚駅」ぐらいまでしか開通しておらず、東京方面からの池上線利用は不便だったことでしょう。当時の千鳥町は閑散としていて、大津の家と隣家は200~300mも離れていたそうです。 賢治は始発に乗ったのでしょうか。3日とも遅刻しなかったそうです。大津から習ったのは、チェロ各部の名称、各弦の音名、調弦、ボーイング(弓の扱い方)、音階、教則本の中の易しい曲の説明など。賢治は3日でチェロが弾けるようになりたいと頼んだようですが、いくらなんでもそれは(笑)。
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賢治が3日間チェロを習いに行った大津邸があったあたり(東京都大田区千鳥町一丁目)。大津邸は昭和55年頃まで残っていた。手前の赤いタイルの道は六郷用水跡 |
賢治はこのように、チェロの教則本から必要な部分を抜き出し筆写していた ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『宮沢賢治(新潮日本文学アルバム)』 |
賢治が昭和6年から8年頃にかけて書いた『セロ弾きのゴーシュ』(Amazon→ 青空文庫→)のゴーシュは、町の活動写真館の楽団員で、チェロを弾いていました。他のメンバーと音が合わず、音に表情も出ないので、楽団長から叱られっぱなしです。ゴーシュは、夜、町はずれの川ばたにある壊れた水車小屋の家に戻って、一人猛練習します。すると、いろいろな動物がやって来てゴーシュの練習を邪魔します。 ところがどうでしょう・・・
チェロの腕前がけっして褒められるものでなかった賢治だったからこそ、生まれた物語ですね。
日本を代表するダダイスト・辻 潤は、8〜10歳頃、父親の仕事の関係で三重県の津に住みます。隣に尺八を吹く人がいてその音色に強く惹かれました。東京に戻り、開成中学退学後、尺八の荒木古童(二世)に入門。その後、放浪生活に入ると、門付
(家や商店の入り口で演奏し金品をもらい受ける)することもしばしばあったようです。戦前の東京神楽坂で、間宮茂輔が尺八を流して来る辻に出くわしました。あまりにみすぼらしい姿だったので、金を渡そうとすると、辻は「馬鹿にするな、乞食じゃない」と叫び「金をくれるというなら、尺八を聞け」と、人通りの多い昼間の路上で吹き始めたそうです。立ち止まって聞き入る者で人だかりになったとのこと。吹き終わっても辻はしばらく瞑目したままで、間宮が慌てて金を渡そうとすると、それを大げさな仕草で受け取って、大声で笑いながら去っていったとか。
福田蘭童という尺八奏者もいました。伝説的洋画家・青木 繁の遺児であり、昭和9年の「(第二次)文士賭博事件」にも名を連ね、蒲田の女優・川崎弘子と結婚したり、戦後も、ラジオ「笛吹童子」のオープニングテーマを作曲して名を馳せたり、と話題の多い人でした。作家との交流も多く(自身の著作も多数)、当地(東京都大田区)の室生犀星も、庭のあやめが見事だったりすると、それを理由に蘭童を招待することがありました。●YouTube/「桔梗幻想曲」(作・演奏:福田蘭童)→
辻 潤と伊藤野枝の子の辻まことのギターも評判でした。録音を聴かせていただいたことがありますが、グラナドスのスペイン舞曲5番「アンダルーサ」を弾きこなしていました 。(YouTube/スペイン舞曲5番「アンダルーサ」(演奏:エヴァンゲロス・アッシマコプーロス)→)
大正11年、アインシュタイン(43歳)が来日、43日間留まりましたが、どういったタイミングでだかは知りませんが、バッハの「シャコンヌ」を披露したそうです。ヴァイオリニストが一生かけても弾きこなし得ないといわれる難曲です。高村 薫さんの小説に出てくる合田刑事も「シャコンヌ」を弾いたでしょうか?
・・・他人の持物一つが、城山の記憶に残っていたらしいのには少し驚かされた。
「小さいころから習っていたものですから」と、合田は軽く受け流した。
「どんな曲をお弾きになるのですか」
「チャイコフスキー、パガニーニ、ヴィエニャフフスキ、ヴュータン以外でしたら、大抵のものは」
「バッハのソナタやパルティータもお弾きになる」
「はい。好きです」
「実に羨ましい」
城山はそう応じて薄い笑みを見せたが、胸中穏やかではあり得ないときに、何を思って・・・(高村 薫『レディ・ジョーカー』より)
●YouTube/バッハ「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ2番「シャコンヌ」(演奏:庄司紗矢香)」→
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横田庄一郎『チェロと宮沢賢治 〜ゴーシュ余聞〜』(音楽之友社)。表紙の写真は、賢治のチェロのf字孔から内部を撮影したもの。「1926.K.M」の署名がある。当地(東京都大田区)に来た年(1926年)に買ったようだ |
ドラマ「のだめカンタービレ」。二ノ宮知子さんの漫画のドラマ化。“変態”かつ天才的なピアノ弾き「のだめ」が、音楽的エリート「先輩」や個性豊かな仲間たちと共に才能を開花させていく。クラシック音楽入門に最適な一作 |
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平野啓一郎『マチネの終わりに (文春文庫)』。天才ギタリスト・蒔野聡史と、国際ジャーナリスト・小峰洋子。人生の曲がり角で、運命的に出会う二人 |
青柳いづみこ「グレン・グールド 〜未来のピアニスト〜 (ちくま文庫)』。彼の弾くバッハはバッハではないとも聞く。グレン・グールドという“踏み絵”を踏むか踏まぬか |
■ 馬込文学マラソン:
・ 萩原朔太郎の『月に吠える』を読む→
・ 辻 潤の『絶望の書』を読む→
・ 間宮茂輔の『あらがね』を読む→
・ 辻まことの『山の声』を読む→
■ 参考文献:
●『宮沢賢治(新潮日本文学アルバム)』(昭和61年発行)P.42、P.48、P.65-69 ●『チェロと宮沢賢治 ~ゴーシュ余聞~』(横田庄一郎 音楽之友社 平成10年発行)P.62-74 ●『嬉遊曲、鳴りやまず 〜斎藤秀雄の生涯〜(新潮文庫)』(中丸美繪 平成14年発行)P.115-116 ●「上州屋と大津三郎宅」(みちのくの山野草→) ●『六頭目の馬 ~間宮茂輔の生涯』(間宮 武 武蔵野書房 平成6年発行)P.142-144 ●「ダダイスト「辻 潤 」と尺八」(吉田輪童)※古童会/資料室→ ●『大森 犀星 昭和』(室生朝子 リブロポート 昭和63年発行)P.133 ●『レディ・ジョーカー(下)』(高村 薫 毎日新聞社 平成9年初版発行 同年発行3刷参照)P.83
※当ページの最終修正年月日
2023.12.2
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