高村光太郎

高村光太郎

たかむら・こうたろう。明治16年東京上野生まれの彫刻家。旧態依然とした美術界に不満を持ち、父親の彫刻家高村光雲とも対立、東京美術学校の教職も断った。パンの会のメンバー。妻の智恵子をよんだ『智恵子抄』や『道程』などの詩集で詩人として有名になった。戦中は宮沢清六(賢治の弟)方に疎開。戦争協力詩を作った自責の念から戦後7年間、岩手県花巻で独居自炊の生活をする。昭和31年(73歳)肺結核で死去。参考サイト:ウィキペディア/高村光太郎→

※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用しました 出典:ウィキペディア/高村光太郎(平成25年12月10日更新版)→

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