北原白秋の『桐の花』(大正8年発行の第6版)のとある頁を開くと・・・。関東大震災もアジア太平洋戦争もくぐり抜けて来ただろう花の
痕
。朝顔の一種だろうか?
昭和11年10月4日(1936年。
、松竹映画「人妻椿
(前編)
」(Amazon→)が公開されました。
昭和11年は、松竹の撮影所が当地(東京都大田区蒲田)より大船に移転した年(1月開所。「鎌倉女子大学」(神奈川県鎌倉市大船六丁目1-3 Map→)あたりにあった)。「人妻椿」は松竹大船映画の最初の頃の1本です。監督は「
愛染
かつら」(Amazon→)の野村
浩将
。
佐分利 信
、川崎弘子、上原 謙らが出演しています。
原作は小島政二郎の同名小説で、昭和10年3月(小島41歳)より「主婦之
友」で連載され、志村
立美
の挿絵とともに大変な人気となり、「主婦之友」は部数を大きく伸ばしました。まだ連載途中だというのに、昭和11年に映画化されたのです(連載終了は翌昭和12年4月)。
12歳まで孤児院にいた青年が、世話になった男の罪を被って逃走します。残された妻は子どもを抱えたちまち困窮。男たちが手を差し伸べてきますが(言い寄ってきますが)、妻は好意を受けるわけにはいきません。彼女だけが夫(青年)の逃走理由を知っているのでした。タイトルにある「椿」は、苦難の中でも凛
と生きる彼女の生き方を象徴しているのでしょう。椿は冷たい雪の中でも花をつけます。
他の作品で見られる「椿」はどんなでしょう?
吉屋信子の『花物語』(Amazon→)の19話目は「
紅椿
」です。椿のくっきりした華やかさと、花の形を保ったままぽろっと落ちるイメージが生かされています。
『五辨
の椿』(Amazon→)は山本周五郎では珍しい“
復讐
モノ”です。実母と間男の間に生まれた娘が、自分を実の子のように可愛がってくれた義父の恨みをはらしていくもので、母と関係があった男たちを色で誘い、簪
で殺害していきます。そして、殺害現場には、ひとひらの椿の花弁・・・、椿の花は、義父が愛した花だったのです。真っ赤な花びらには、血のイメージ。
椿は日本古来の植物で、「万葉集」にも詠まれたものが9首あります。そのうちの3首に「つらつら」という言葉があります。
巨勢山のつらつら椿つらつらに
見つつ偲はな巨勢の春野を
坂門人足
三十一文字
に、「
巨勢
」(奈良県西部の古地名。現在の御所
市古瀬(Map→)付近)、「つらつら」(連なる様)、「春」(椿と春)が2箇所ずつ出てきます。初めの「巨勢山のつらつら椿」は次の「つらつら」を導く
序詞
で、一首の意味は「巨勢の春の野を返す返す思い返している」となりますが、言葉の繰り返しの効果で、ぽかぽかと暖かな春の日に椿の葉がてかてかと一面に広がるイメージが浮かんできます。
同じ赤い花でもダリアはだいぶイメージが異なります(3万品種あり色も多様。でもダリアといえば赤?)。メキシコ(Map→)からグアテマラ(Map→)にかけての高地で生まれた植物で、日本へは江戸末期にオランダより渡来したとのこと。育てやすいこともあって昭和の中頃まで人気の栽培植物でした。北原白秋の『桐の花』にも次の一首があります。
君と見て一期の別れする時も
ダリヤは紅しダリヤは紅し
一生(一期)の別れだというのに、ダリアが赤く、赤く咲いています。人の感情とは関係なくいつもと変わらぬ鮮やかさを示すダリア。明るく情熱的でハイカラなこの花のイメージとの対比で、「君との別れ」の深さが胸に迫って来るようです。時がたてば、変わらぬ自然(繰り返される自然)が、波だった人の感情を鎮めてもくれることでしょう。
椿とダリアはイメージが大きく異なりますが、共に艶やかです。そういった美しさではなく、もっとひっそりとした花に心寄せる作家もいます。
夢はいつもかへつて行つた
山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
(立原道造「のちのおもひに」より)
水引草は、小さな花を点々と連ねたもので、ややもすると見過ごしてしまいそう。外から風が吹いてゆらゆら揺れたのでなく、水引草から風が立ったという表現が秀逸ですね。
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萱草 |
夕菅 |
「のちのおもひに」は、立原の第一詩集『萱草
に寄す』に収録されています。
古語にみられる「
萱草」は
藪萱草
と
野萱草
の総称ですが、立原は
夕菅
(
黄菅
)のイメージで使っています。
藪萱草や野萱草が
萱草
があると知った時、立原は大きなショックを受けました。文章が残っています。彼にとって藪萱草や野萱草
は、「橙色に近い黄の花びらを一枚一枚づうづうしい位に厚ぼつたくふくらませ、一茎に幾花もむらがつて」おり、好ましいものではなかったのです。かたや、夕菅(黄菅)には「淡いかなしい黄の花びらを五つ、山百合のやうに、しかしあのやうに力強くなく
寧ろ諦めきつたすがすがしさで、夕ぐれ近い高原の叢
に、夏のはじめから夏のなかばまで日ごとのつとめとしてひらく」と情を寄せ、イメージをふくらませていたのです。詩集のタイトルに入れるくらいですから、大切な大切な花だったのです(萱草
を夕菅(黄菅)と思い込んでのことですが)。
あの人は日が暮れると黄いろな帯をしめ
村外れの追分けの道で 村は落葉松の林に消え
あの人はそのまゝ黄いろなゆふすげの花となり
夏は過ぎ…………
(立原道造「田舎歌
I 村ぐらし」より)
かなしみではなかつた日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた
それはひとつの花の名であつた
それは黄いろの淡いあはい花だつた
(立原道造「ゆふすげびと」より)
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「五瓣の椿」(松竹)。原作:山本周五郎、監督:野村芳太郎。出演:岩下志麻、田村高廣、加藤 嘉、加藤 剛、小沢昭一、西村 晃、市原悦子ほか、音楽:芥川也寸志 |
「ひまわり」。監督:ヴィットリオ・デ・シーカ、出演:ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ。悲しみの絶頂で、視界いっぱいに広がるひまわり |
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『花と植物の俳句歳時記 (ハンドブック)』(山川出版社)。監修:石田郷子 |
『花 〜日本の名随筆〜』(作品社)。編:宇野千代 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 小島政二郎の『眼中の人』を読む→
・ 吉屋信子の『花物語』を読む→
・ 山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
・ 北原白秋の『桐の花』を読む→
・ 宇野千代の『色ざんげ』を読む→
■ 参考文献:
●『人物・松竹映画史 蒲田の時代』(升本喜年 平凡社 昭和62年発行)P.289 ●『敵中の人 〜評伝・小島政二郎〜』(山田幸伯 白水社 平成27年発行)P.689 ●『長田幹彦 吉屋信子 小島政二郎 竹田敏彦 集(大衆文学大系20)』(講談社 昭和47年発行)※『人妻椿』P.441-681、「解説」「解題 」(和田芳恵)P.827-828、P.830 ●『山本周五郎 〜横浜時代〜』(木村久邇典 福武書店 昭和60年発行)P.264-267 ●「万葉の植物/つばき」(里山の暮らし→) ●「ダリアの育て方・栽培方法」(サカタのタネ)(園芸通信→) ●「『萱草に寄す』の解題」(安西 彰)※『萱草に寄す』(立原道造 日本図書センター 平成11年発行)P.176-189
※当ページの最終修正年月日
2023.10.4
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