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小島政二郎の『眼中の人』を読む(偉大な友から学ぶ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小島政二郎の『眼中の人』 は、友人の芥川龍之介菊池 寛について書かれている。 彼ら二人が、小島にとって“眼中の人(いつも眼中にあって、忘れ得ない人)”なのだ。 小島はこの二人から大きな影響を受け、小説家としても、人間としても成長していったようだ。

芥川のことは最初からひたすら尊敬していた。

「なんとも言えない澄んだ目」は「鋭くって、瑞々みずみずしくって叡智に濡れて」おり、「長い睫毛まつげ が、一抹の陰影を添えて」いて、外見も申し分ない。

小島が難渋していた英訳本も、芥川はすらすらと読み飛ばし、適切なアドバイスをしてくれた。その本が 小島のかけがえのない一冊となったりする。

この2歳年上の友人はすでに売れっ子作家で、やることなすことが粋なのだ。そんな芥川に、小島は一も二もなく参ってしまう。

ところが、もう一人の友人の菊池 寛はというと、いただけない。

付き合ってはいたが、小島菊池を軽く見る。 無骨で、遠慮がなく、 「相手の骨まで切り下ろす」 ような口の悪さも備えていた。小島の神経は、菊池の言動にぴりぴり逆撫でされる。それに、菊池の書くものがひどい。 荒削りで、正統派の文章を愛する小島には全く感心できないのだった。

ところがある日、菊池の評価が逆転する。

彼の小説を何気なく再読して、小島はおやっと思う。 たしかに荒削りで、悪文とさえいえる。 しかし、そこにひしめく緊迫感は何だ!? 期せずして、菊池の小説に感動するのだった。

そんなこともあって、菊池という人間を見直すと、今まで粗野にしか見えなかったのに、それが、人並み外れたおおらかさだったり、温かさだったり、情熱だったり、勇気だったりする。

菊池が睡眠薬を飲み過ぎて混濁状態に陥るといったことがあった。その意識朦朧の中でも古今東西の名文をそらんじる菊池小島は驚嘆する。

芥川も先を行く人だったが、同じ方向の人だ。 しかし、菊池小島にとっては異質。 菊池という人間に出会って、小島は、自分に徹底して欠如しているものを突きつけられ、価値観が揺らぎ、自信をなくし、自己嫌悪し、そして、しまいには作家であることすら断念する瀬戸際までいくのだった・・・、ここからが小島の戦い。


『眼中の人』 について

小島政二郎 『眼中の人』

小島政二郎の自伝的小説。 2人の友人、芥川龍之介菊池 寛との付き合いを中心に、自身の文学遍歴を書いている。昭和10年(41歳)「改造」に発表したものを元に、昭和17年(48歳)三田文学出版から出版。 戦中だったため、戦意高揚を謳った小説にしか充分な用紙割当がなかった。文学資料として貴重であることを訴えて用紙を獲得した。

昭和42年(73歳)に発表した第二部には、32歳年下の若い人妻小鴨ささとの交流を通し、芸術家としての蘇生を試みる様を描かれている。

■ 作品評
・ 実名で出てくる著名な作家たちは、精巧無類な描写力で、作者とともに、現場に立ち上がっているように活き活きと描かれている。(和田芳恵

・ 私の作中、一番まじりッけのない、純粋な、書かずにゐられなくつて書いた小説だけに、私には忘れられない作品だ。今の私から見ると、下手な、しかし一途な小説 (小島政二郎

・内外の人と書物に至るまで、もろもろの出会いは、すべて氏にとって“眼中の人”たり得た。それは氏が律儀な求道者のせいだが、その初心というにひとしい純粋無垢のひたむきさはこの作品のみずみずしさの根源である。(大河内昭爾


小島政二郎について

当地(東京都大田区山王二丁目)在住時の小島政二郎 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『小島政二郎全集 第十二巻』(主婦の友社)*
当地(東京都大田区山王二丁目)在住時の小島政二郎 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『小島政二郎全集 第十二巻』(主婦の友社)

学生時代、作家批評で認められる
明治27年1月31日、東京上野下谷町したやちょうの呉服商の次男として生まれる。 慶応大学在学中、作家たちの文章を分析した論文が森 鴎外の目に止まる。大正7年(24歳)より児童雑誌 「赤い鳥」 の編集に携わった。

伝記小説を得意とする
大正11年(28歳)、鈴木三重吉夫人の妹と結婚。翌年、知り合いの講釈師・神田伯龍を書いた『一枚看板』で人気作家となる。その他、『芭蕉』(昭和18年、49歳)、 『円朝 Amazon→』(昭和32年、63歳)、 『小説 葛飾北斎 Amazon→』、慶應時代からの親友・村松梢風梢風をめぐる女性たちについて書いた『女のさいころ』(昭和36年、67歳)、 『鴎外荷風万太郎』(昭和40年、71歳)、『明治天皇』(昭和42年、73歳)、 谷崎潤一郎を書いた『聖体拝受』(昭和44年、75歳)、 魯山人を書いた『北洛師門』(昭和46年、77歳)、 『長篇小説 芥川龍之介』(昭和52年、83歳)、寄席の名人たちを書いた『八枚前座』、『初代中村吉右衛門』(昭和57年、88歳)など多数の伝記小説を残す。歯に衣着せぬ描写にモデルたちはおののいた。映画化された作品も多い。

大正8年(25歳)から慶応義塾大学文学部講師(のちに教授)を務める。 自ら真摯に学ぶ謙虚な姿が印象的だったという。 教え子に藤浦 洸がいる。 昭和9年(40歳)からは芥川賞・直木賞の選考委員も務めた。

平成6(1994)年、ちょうど百歳で死去。( ) 。

山田幸伯 『敵中の人 ~評伝・小島政二郎~』。永井荷風、今 東光、永井龍男、松本清張、立原正秋といった作家から小島がいかに嫌われたかを通して、小島の作家としての独自性を浮き彫りにする 小島政二郎 『小説 永井荷風 (ちくま文庫) 』。この一作で、小島は荷風から一生もんの恨みをかった。川本三郎氏や丸谷才一が絶賛
山田幸伯 『敵中の人 ~評伝・小島政二郎~』。永井荷風、今 東光、永井龍男、松本清張、立原正秋といった作家から小島がいかに嫌われたかを通して、小島の作家としての独自性を浮き彫りにする 小島政二郎 『小説 永井荷風 (ちくま文庫) 』。この一作で、小島荷風から一生もんの恨みをかった。川本三郎氏や丸谷才一が絶賛

小島政二郎と馬込文学圏

昭和12年(43歳)、当地(東京都大田区山王二丁目 6 map→)入り。現在、マンション 「コンセール大森山王」 が建っている辺りで、近くに清浦奎吾邸があった。この頃が、作家として人気の絶頂にあった。

昭和19年(50歳)、鎌倉に疎開、以後、当地には戻らなかった。7年ほど当地にいた。

作家別馬込文学圏地図 「小島政二郎」→


参考文献

●『眼中の人』 (小島政二郎 文京書房 昭和50年発行) P.3、P.319、帯 ●『小島政二郎全集 第十二巻』 (鶴書房 昭和42年発行) P.152-168、P.212-220、P.492-498 ● 『小島政二郎集 ほか(現代日本文学大系45)』(筑摩書房 昭和48年発行)P.443-445 ●『鎌倉のおばさん(新潮文庫)』(村松友視 平成12年発行)P.57-89 ●『馬込文士村ガイドブック(改訂版)』(東京都大田区立郷土博物館編・発行 平成8年発行)P.32 ●『昭和文学作家史( 別冊一億人の昭和史)』(毎日新聞社 昭和52年発行) P.96-100


参考サイト

松岡正剛の千夜千冊/787夜『円朝』 小島政二郎→
とみきち読書日記/『眼中の人』 小島政二郎→
日本映画データベース/小島政二郎→


※当ページの最終修正年月日
2018.11.2

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