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大正11年11月17日(1922年。 アインシュタイン(43歳)が神戸港に到着しました。 アインシュタイン来日の立役者は、改造社の社主・山本実彦(37歳)です。前年の大正10年、バートランド・ラッセル(49歳)を日本に招聘した際、山本はラッセルに「現存する世界の偉人は誰か」と問い、アインシュタインを知りました。京都帝国大学の西田
アインシュタイン招聘にあたり、当地(東京都大田区)にゆかりある2人が重要な役割を果たしています。室伏高信(30歳)と秋田忠義(改造社を立て直すのにも貢献した編集者)です(尾﨑士郎の当地(東京都大田区)を舞台にした小説 『空想部落』にも2人を思わせる人物が出てくる)。改造社の特派員としてロンドンに滞在していた室伏は、山本からの電報でアインシュタインがいるドイツに急行。 秋田は日本から特使として派遣され、ドイツ留学中の
アインシュタインはラフカディオ・ハーンの著作を通して日本に興味を持っていたため、話はトントン拍子に進み、妻のエルザを連れての来日となりました。43日間も滞在し、日本に“アインシュタイン・ブーム”が起こります。ノーベル物理学賞の受賞の知らせを日本に向かう船上で受けたこともあり、アインシュタインにとっても思い出深い旅になったことでしょう。
アインシュタインは、明治12年、南ドイツのウルムという小さな町で生まれ、その後ミュンヘン、イタリアのミラノを経てスイスのギムナジウムに編入、その頃からもう「光を光の速さで追いかけたらどうなるか」といった相対論に連なること考え始めています。チューリッヒ連邦工科大学卒業後、ベルンに居を定め、特許局の仕事をしつつ物理学の研究を進め、明治38年(26歳頃)、きわめて重要な3つの論文(「光量子の仮説」「ブラウン運動に関する論文」「運動物体の電磁気学」)を発表。3つ目の「運動物体の電磁気学」で、「同時刻が相対的である」とし「特殊相対性理論」を提出しました。 電磁気の法則は「特殊相対性理論」で説明できるようになりましたが、問題は重力についてです。アインシュタインは「重力と慣性力は等価」でそれらはどんなものにも働き、また、どんなものも無重力の座標系では同じ物理現象を起こすと仮定。光といえども重力のある場を通過するとき、慣性力を受けて方向を変えると推論しました(明治44年。32歳頃)。大正8年5月29日、ブラジルと西アフリカで皆既日食となり、太陽近くが暗くなって、太陽近くに見える恒星の光が観測可能となりました。そして、太陽のそばを通るときに恒星からの光が太陽からの重力を受けて曲がることが観測され、「一般相対性理論」が実証されます。広く報道され、アインシュタインは一躍、世界的な人物となりました。 しかし、その後が大変でした。ドイツにナチズムが台頭(ヒトラーがドイツ労働党に入党したのは、前述の皆既日食があったのと同じ大正8年)、アインシュタインはスイス国籍を取得していましたがユダヤ人だったため標的となります。アインシュタインは昭和5年に米国に亡命、昭和30年に没するまで米国(プリンストン)に留まりました。昭和14年頃、ドイツがウランの原子核が分裂反応を起こすことを発見、ナチスが原子爆弾を持つことを危惧したユダヤ系の物理学者レオ・ジラードが、アインシュタインに名前を借りて、ナチスよりも早く米国が原子爆弾を持つことをルーズベルト大統領に進言、米国での原爆開発が始まりました。原子爆弾が日本に落とされたことを知ったアインシュタインは、思わずうめき声をあげたとのこと。 アインシュタインが来日する3年も前に、「相対性原理とは何か」の連載が、「読売新聞」で始まりました。筆者名はありませんが、当時読売新聞社の社会部記者だった市川正一(27歳)が書いたものです。 連載は全4回。この初回掲載日の大正8年5月29日は、上述した皆既日食のあった日です。市川はいち早く世紀の大実験をレクチャーしたのですね。 市川が書いた記事は、「相対性原理」の発見が、ライト兄弟の動力付き飛行機での初飛行よりも大きな変革を世界にもたらしたと書き出されています(ライト兄弟の初飛行は16年前の明治36年)。次に、空間の一点を表す時、x、y、zの座標軸が使われてきたが、今や、電気・磁気・光の現象を物理学的に説明するために時間を表すt軸が必要になったと書いています。 空間と時間とを結合した時空点は「世界点」と呼ばれ、「時間と空間の座標の取り方の変換則」(「ローレンツ変換」)が導かれて、それが「相対性原理」の基礎になったと説明。ローレンツはこれらを電磁気学(光の問題も含む)の問題として考えました。アインシュタインはさらに推し進め、「同時刻の分析」(運動している座標系の間では“同時刻”が異なる)によって、「ローレンツ変換」がどのような物体でも成り立つことを明らかにし、ニュートン力学とは異なる新しい力学の扉を開いた、と市川は記事に書きました。市川は社会科学だけでなく自然科学の知識も相当持っていたのですね。 ちなみに科学好きの稲垣足穂も、『美のはかなさ』(『一千一秒物語』(Amazon→)に収録)で「世界点」 に言及しています。 現在では、時間の流れも不変でないこと、重力が小さい場所(例えば地球の中心から距離のある場所)では時間が早く進むことも実証されています。平成30年、160億年に1秒しかずれない「光格子時計」を開発した東京大学の香取秀俊教授のチームが、スカイツリーの地上部と展望台に「光格子時計」設置して測定したところ、展望台部では地上部よりも1日に2億3,000万分の1秒、時間が早く進んだとのこと!
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |