{column0}


(C) Designroom RUNE
総計- 本日- 昨日-

{column0}

ナチズムと日本(昭和15年6月15日、日本語訳の『我が闘争』(ヒットラー。訳:室伏高信)、出版される)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ヒトラーの『我が闘争』の挿入写真で構成。子どもを利用して、自らの善良性をさかんにアピールしている。 これも「ナチスの手法」。彼はユダヤ系市民(子どもも含む)500万人から600万人を殺害した ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典 :『我が闘争』(第一書房 昭和16年10刷)


昭和15年6月15日(1940年。 ヒトラー(51歳)の『我が闘争』の日本語版が出版されました。翻訳者は当地(東京都大田区)にゆかりある室伏高信(48歳)。室伏は戦後、実際は 春山行夫はるやま・ゆきお (37歳)が訳し自分は名義を貸しただけと弁解しています。20万部売れたというので、名義貸しでも相当儲けがあったことでしょう。室伏は戦後になってヒトラーの行状が明らかになっても、「人間味」があって「面白い」と評価していました。“人間味”って言葉は曲者ですね。

同年(昭和15年)9月12日の「朝日新聞」に、小林秀雄(38歳)による『我が闘争』の書評が載りましたPhoto→。「日独伊三国同盟」締結(9月27日)の15日前です。同盟を歓迎する世論作りに一役を買ったことでしょう。

以下はその全文です(文字が潰れている箇所の読み取りに間違いがあるかもしれない)。

“我が闘争” 小林秀雄

ヒットラーの「我が闘争」といふ有名な本を、最近僕ははじめて室伏高信氏の訳で読んだ。抄訳であるから、合点の行かぬ箇所も多かったが、非常に面白かつた。何故、もつと早く読まなかったか、と思つた。やはり、いろいろな先入観が働いてゐたがためである。
 ヒットラーの名は、日に何度も口にしながら、何となくこの本には手を付けなかった僕の様な人は、世間に存外多いのではないかと考える。
 これは全く読者の先入観など許さぬ本だ。ヒットラー自身その事を書中で強調している。先入観によつて、自己の関心事のすべてを検討するのを破滅の方法とさへ呼んでゐる。
 そして面白い事を言つてゐる。さういふ方法は、自己の教義に客観的に矛盾するすべてのものを主観的に考えるといふ能力を皆んな殺して了ふからだと言ふのである。彼はさう信じ、そう実行する。
 彼は、彼の所謂いわゆる主観的に考へる能力のどん底まで行く。そして其処そこに、具体的な問題に関しては決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚をしつかりつかんでゐる。彼の感傷性の全くない政治の技術はみな其処そこから発してゐる様に思はれる。
 これは天才の方法である。僕は、この驚くべき独断の書を二十頁ほど読んで、もう天才のペンを感じた。
 僕には、ナチズムといふものが、はつきり解つた気がした。それは組織とか制度とかいう様なものではないのだ。むしろ燃え上る欲望なのである。
 ナチズムの中核は、ヒットラーといふ人物の憎悪のうちにあるのだ。毒ガスに両眼をやられ野戦病院で、ドイツの降伏を聞いた時のこの人物の憎悪のうちにあるのだ。
 ユダヤ人排斥の報を聞いて、ナチのヴァンダリズムを考えたり、ドイツの快勝を聞いて、ドイツの科学精神を言つてみたり、みんな根も葉もない、たは言だといふ事が解つた。形式だけ輸入されたナチの政治政策なぞ、反古ほご同然だといふ事が解つた。
 ヒットラーといふ男の方法は、他人の模倣なぞ全く許さない。(一部現代的表記にし、一部太字にした)

あなたたちの「先入観」などはろくなものではないのでそんなものはサッサと捨てて、「天才」的な「主観」に耳を傾けろ、と。小林は「本能」「直覚」「天才」「欲望」といった主観的で曖昧で強烈な言葉を散りばめて一方を賞賛、他方を「みんな根も葉もない、たは言」とバッサリ。彼はヒトラーの「欲望」や「憎悪」までも認めてしまっているようです。これも室伏が言うところの“人間味”ってやつでしょうか?

気になるのは、戦後発行された小林の全集(新潮社版)で、上の『我が闘争』の書評が改竄されて収録されていること。冒頭の数行と、中程の太字にした 「彼は、彼の所謂主観的に・・・(中略)・・・彼の感傷性の全くない政治の技術はみな其処から発してゐる様に思はれる」の部分がごっそり削除され、「天才のペン」 の一節の前に 「一種邪悪なる加筆されています。これでは当時小林が『我が闘争』を否定的にとらえていたように読めてしまいます。

戦後の昭和35年、小林は上掲の自身の書評について、「・・・言いたかった言葉は覚えている。・・・(中略)・・・一種の邪悪の天才だ。・・・(中略)・・・私は、嘆いただけであった」(小林秀雄『考えるヒント』より)と書いています。自分はヒットラーには戦前から否定的であったと言いたいのですね。この言葉を受けて、出版社や編集者は、原文を改竄したのでしょうか?

山本有三

首相となり独裁者となったヒットラーは、先進的な経済政策を大胆に打ち出して、経済的な結果を出し(アウトバーンの敷設による雇用の拡大、「国民車構想」など)、第一次世界大戦の賠償金に喘ぐドイツ国民を救済。国民だけでなく、世界中から賞賛の声が上がっていました。著名人では、ヴィニフレート・ワーグナー(かのワーグナーの子の未亡人)、フェルディナント・ポルシェ(オーストリア)、ココ・シャネル(仏)、リンドバーグ(米)、ヘンリー・フォード(米)、ハイデッガー(独)らも礼賛したり援助したりした時期があったのです。

ヒトラーのアーリア系民族優等論反ユダヤ主義は一貫しており(ヘンリー・フォードの影響とも)、それが露骨に表面化するのは昭和10年の「ニュルンベルク法」からでしょう。ユダヤ人の公民権を剥奪し、ユダヤ人を強制労働に狩り出し、収容所の劣悪な環境下におき、働けなくなったら殺していく。結果500万〜600万人ものユダヤ人が殺害されたのです(「ホロコースト」)。また、優生思想にもとづき、精神病者、遺伝病者、労働能力の欠如者、夜尿症の人、反抗した人、不潔な者、同性愛者などを殺害する( T4テーフィア 作戦も行なわれました。

家を追い出されるユダヤ人たち ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ヴィクトール・フランクル『夜と霧』(みすず書房) アウシュビッツ強制収容所の犠牲者の眼鏡の山 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ヴィクトール・フランクル『夜と霧』(みすず書房)
家を追い出されるユダヤ人たち ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ヴィクトール・フランクル『夜と霧』(みすず書房) アウシュビッツ強制収容所の犠牲者の眼鏡の山 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ヴィクトール・フランクル『夜と霧』(みすず書房)

昭和14年、ナチス=ドイツがポーランドに侵攻、イギリスとフランスがナチス=ドイツに対して宣戦し、第二次世界大戦が起きますこの戦争で5,000万以上の命が失われました。

昭和15年の「日独伊三国同盟」の締結以前より「日独防共協定」(昭和11年〜)を結んでおり、日本はナチス=ドイツと親しくしていました。当地には「独逸ドイツ学園」(東京都大田区山王二丁目39 Map→ ※ベアテ・シロタ・ゴードンも在籍していた)があり、特別な交流もありました。昭和13年ヒトラー・ユーゲント(ヒトラー青少年団)が来日したおり、大森青年団が歓迎に出向いています。当地(東京都大田区)には、拡大主義と「日独伊三国同盟」のイデオローグ・徳富蘇峰も住んでいました。

ヴィクトール・フランクル 『夜と霧 』(みすず書房)。翻訳:池田香代子。著者は、ナチスの強制収容所に収容され奇跡的に生還したユダヤ人精神科医。極限に置かれた自他の精神を洞察する。なぜ、人は、こんなにも残酷になれるのか? 世界的ロングセラー マイケル・ベーレンバウム 『ホロコースト全史』(創元社)。翻訳:石川順子、高橋 宏。ナチス台頭からユダヤ人迫害、抵抗運動、強制収容所の設立と開放まで。ホロコースト記念博物館の公式ガイド本。原書のタイトルは「The World Must Know」(世界は知らなければならない)
ヴィクトール・フランクル 『夜と霧 』(みすず書房)。翻訳:池田香代子。著者は、ナチスの強制収容所に収容され奇跡的に生還したユダヤ人精神科医。極限に置かれた自他の精神を洞察する。なぜ、人は、こんなにも残酷になれるのか? 世界的ロングセラー マイケル・ベーレンバウム 『ホロコースト全史』(創元社)。翻訳:石川順子、高橋 宏。ナチス台頭からユダヤ人迫害、抵抗運動、強制収容所の設立と開放まで。ホロコースト記念博物館の公式ガイド本。原書のタイトルは「The World Must Know」(世界は知らなければならない)
「時代は独裁者を求めた 〜第二次世界大戦〜(NHKスペシャル/新・映像の世紀 第3集」 。第二次世界大戦の根っこにいる人物・ヒットラー。人々はなぜ、彼を熱狂的に向かい入れたのか 「否定と肯定」。平成28年公開の英・米合作映画。ホロコーストを研究する学者がホロコースト否定論者から名誉毀損で訴えられた実話に基づく。否定論者の詐術にいかに対したか
「時代は独裁者を求めた 〜第二次世界大戦〜(NHKスペシャル/新・映像の世紀 第3集」 。第二次世界大戦の根っこにいる人物・ヒットラー。人々はなぜ、彼を熱狂的に向かい入れたのか 「否定と肯定」。平成28年公開の英・米合作映画。ホロコーストを研究する学者がホロコースト否定論者から名誉毀損で訴えられた実話に基づく。否定論者の詐術にいかに対したか

■ 参考文献:
●『戦争私書(中公文庫)』(室伏高信 平成2年発行)P.235-236 ●『大田区史年表』(東京都大田区 監修:新倉善之 昭和54年発行)P.466-468 ●『新訂 小林秀雄全集 〜第七巻 歴史と文学〜』(新潮社 昭和53年発行)P.133 ●『小林秀雄全作品13 〜歴史と文学〜(第六次小林秀雄全集)』(新潮社 平成15年発行)P.125-126 ●「小林秀雄における「天才」の問題 〜ヒットラー観の変遷を中心に」(菅原健史)発表資料その1→ ●『詳説 世界史研究』(編集:木下康彦、木村靖二、吉田 寅 山川出版社 平成20年初版発行 平成27年発行10刷参照)P.497-506

■ 参考サイト:
●「第二次世界大戦・時代は独裁者を求めた(NHKスペシャル/新・映像の世紀」(初回放送:平成27年)

■ 謝辞:
●比較文学・文明論の研究者のT・S氏より励ましのお言葉をいただきました。ありがとうございます。

※当ページの最終修正年月日
2024.6.15

この頁の頭に戻る