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ええじゃないか(昭和11年2月29日、中野重治、『閏二月二九日』で小林秀雄と横光利一を批判)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸終末、近畿、四国、東海地方で、人々は仮装し、「ええじゃないか」と叫びながら、踊り狂った・・・ ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:「慶應四豊年踊之圖(「絵暦張込帳」より)」(河鍋暁斎)(NDL→


中野重治

昭和11年2月29日(1936年。 中野重治(34歳)が『うるう 二月二九日』という文章を書いています。

タイトルにある「昭和11年2月29日」は、「二・二六事件」の3日後にあたり、文章の冒頭に、銃声やラッパの音、万歳の叫び声を聞いたと書かれています。「二・二六事件」は、陸軍の青年将校が1,500名近くの下士官兵を率いて起こした流血クーデター(暗殺・暴行などの恐怖手段に訴えた「テロ」)で、天皇に上奏できる立場の重臣を殺害して、天皇親政を一挙に実現しようとしたものです。昭和天皇の断固とした拒絶によって未遂となりますが(被害者は出た)、「軍部は怖い」「軍部に反対したらただでは済まない」との恐怖の観念を庶民にも政治家にも根強く植え付け、この後の軍部主導の政治に道をつけることとなりました。

中野は、実態がまだよくつかめていない「二・二六事件」には直接は触れていませんが、この事件が象徴するファシズム(侵略政策をとる独裁制)の台頭と、それを許し、後押ししている文学状況を批判しました。

中野が槍玉にあげたのは、雑誌「文学界」の編集責任者・小林秀雄(33歳)と、新感覚派の騎手・横光利一(37歳)。中野は彼ら2人の「反論理的」な姿勢を厳しく批判しました。

小林は、“日本近代批評の創始者・確立者”として今も言及される文芸評論家です。小林の評論を一言でいうと、“文学的な評論”。自分が美しいと確信したものを、文学的に表現したもの。理詰めでなく、感性に訴えて感動させてしまう文章です。例えば、

・・・嫌いと言うのはやさしいが、好きと言い出すと、まことに混み入った世界に這入はいるものである・・・(小林秀雄「徳利とっくりさかずき」より)

・・・解釈を拒絶して動じないものだけが美しい・・・(小林秀雄「無常といふ事」より)

・・・かなしさは疾走する。涙は追いつけない・・・(小林秀雄「モオツァルト」より)

・・・美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない・・・(小林秀雄「当麻たえま」より)

といったもので、わけが分からないだけに(論理的でないだけに)、含みが生まれ、確かにうっとりしてしまいそうな言葉たちです。硬直しがちな「論理的」な評論を一つの“文学”にまで高めたという点では、小林にも功績があったのでしょう。

しかし、小林が「論理的」なものを攻撃するとき、彼の問題が明瞭になります。

・・・一体論文といふものが、論理的に正しいか正しくないかといふ事は、それほどの大事ではない、その議論が人を動かすか動かさないかが、常に遥かに困難な重要な問題なのだ・・・(小林秀雄「アシルと亀の子」より)

・・・彼の提出するものは、何んでも、悪魔であれ天使であれ、僕等は信ぜざるを得ぬ。そんな事は御免だと言つても駄目である。・・・(小林秀雄「モオツァルト」より)

坂口安吾小林の評論を「教祖の文学」と看破しています。小林の言葉は上品でも、言っていることは、つまりは「つべこべ言うな」であり、「人を動かしえるもの(力や権力やブーム)」に従えであり、「信ぜよ」なのです。小林はヒットラーを手放しで賞賛しました

満州事変の頃からファシズムの台頭が顕著になりますが、それと呼応するかのようにして、小林のような、論理を軽視する、「信ぜよ」「考えるな」「結果オーライ」の言説が、「進歩」「文化」「自由」を装って現れ、ファシズムをアシストしました。中野が「二・二六事件」の3日目に、あえて小林批判をしたのはそのためでしょう。中野はズバリ言います。

・・・そして分らない言いわしでなしには小林は何一ついえない。・・・ (中野重治「閏二月二九日」より)

その後、小林は反論を試みますが、ある意味中野の論を認め、自分の文章は評論ではなく「評論的雑文」なのだと逃げました。

かの時代の「論理的なものに対する嫌悪」は、横光利一の「新しい時代の土俵は、論理の立ち得るような安穏あんのん な所には、なくなって来たのである」といった言葉にも、尾崎士郎の「嘘か本当かはどうでもいい」「情熱こそが重要なのだ」といったトーンにもよく現れています。尾崎は「二・二六事件」も肯定しました。

「論理的なものに対する嫌悪」は大衆に受け入れやすい傾向を持ち、その傾向は、世の中を動かし、実権を握ろうとする者たちに利用されてきましたし、今も利用されています。江戸末期の1867年に吹き荒れた「ええじゃないか」も、討幕軍が、民衆を「反論理」(「世直りええじゃないか」「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」)の狂奔に導き、討幕軍のめちゃくちゃには民衆が目をつぶり、結果が出れば「いいじゃないか」といった世論に染め上げようとした悪質な策謀だったのでは?

ソクラテス
ソクラテス

大衆の「論理的なものへの嫌悪」は、どこから来るのでしょう?

「知」「未知」の海が全世界に広がっていますが、私たちは生涯かけてもその一滴ほども知り得ないでしょう。ですから、知識人とか言われる人たちも含め私たちは皆、一生、無知(バカ)です。紀元前400年代(日本では弥生時代)、ソクラテスは「無知の知」という観念でそれを説明しました。

どんなに勉強しても、考え続けても、我々は一生バカですが、それでも生きている限り「知る」ことにつとめ、不完全ながらも考え続ける態度が「知性主義」で、反対に、少々知識を持っている人への妬み心からか、勉強したくないという怠け心からか、自分はバカではないという威張りたい心からか、「知る」ことを軽視し、知ろうとする人をバカにし、冷笑するのが「反知性主義」なのでしょう。つまりは、バカに輪をかけたバカ。

政府が不祥事を重ねている最中なのに、テレビで「文句ばかりの人は嫌ですね〜」とか、「もっと前向きに考えられないのでしょうかね〜」とか言って批判を封じようとする人たちは、不祥事を重ねている政府かそれを支えている組織(社会)からいいものをもらっている人か、バカに輪をかけたバカなのでしょう。

映画「燃えよドラゴン」でブルース・リーが放つ「考えるな、感じろ」という名セリフは、身体性の回復をいっているのであって、バカに輪をかけたバカになれという意味では決してないですね。バカに輪をかけたバカが引用しそうなので、念のため。

人のいい人は、自分も「バカ」(人間の本質としてのバカ)なのだから、人をバカにするのは止めようと思うかもしれませんが、「バカに輪をかけたバカ」(人間の本質としてのバカ性を見ようとしないバカ)は権力者(政治的な権力者、宗教的な権力者、その他、血縁的、地縁的、組織的、暴力的権力者など)に利用され、いいことがないので、後者の「バカ」の方は批判した方がいいです(感染力が強く、無視すると増殖するし)。

芝 正身『近現代日本の「反知性主義」〜天皇機関説事件からネット右翼まで〜』(明石書店) 小田嶋 隆『超・反知性主義入門』(日経BP)。日本流の「反知性主義」をあぶり出す
芝 正身しば・まさみ『近現代日本の「反知性主義」〜天皇機関説事件からネット右翼まで〜』(明石書店) 小田嶋 隆おだじま・たかし 『超・反知性主義入門』(日経BP)。日本流の「反知性主義」をあぶり出す
トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』(みすず書房)。翻訳:高里ひろ ジェイソン・スタンリー『ファシズムはどこからやってくるか』(青土社)。訳:棚橋志行
トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』(みすず書房)。翻訳:高里たかさとひろ ジェイソン・スタンリー『ファシズムはどこからやってくるか』(青土社)。訳:棚橋志行たなはし・しこう

■ 馬込文学マラソン:
尾﨑士郎の『空想部落』を読む→

■ 参考文献:
●「閏二月二九日」(中野重治 昭和11年「新潮」に初出)※『日本近代文学評論選 【昭和篇】(岩波文庫)』(平成16年初版発行 平成17年発行3刷)に収録 ●「はじめての 小林秀雄」(野波健祐のなみ・けんすけ ) ※「朝日新聞(朝刊)」(平成25年10月28日号)に掲載  ●『「おかげまいり」と「ええじゃないか」 (岩波新書)』 (藤谷俊雄 昭和43年初版発行 昭和49年発行8刷)まえがき ●「小林秀雄批判の文体論的考察(1)~中野重治「閏二月二九日」と坂口安吾の「教祖の文学」について」(坂田 達紀たつき )※国会図書館サーチ→

※当ページの最終修正年月日
2024.2.28

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