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謀略から始まった(昭和6年9月18日、満州事変、勃発)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

満州事変での日本軍 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/満州事変(平成27年8月25日更新版)→

 

昭和6年9月18日(1931年。 午後10時20分、日本が経営権を持つ「南満州鉄道満鉄)」が、奉天(現・中国 瀋陽市しんようし map→)近くの柳条湖りゅうじょうこ で爆破され、「満州事変」が始まります。

関東軍(日本の中国内租借地・関東州<遼東半島先端>と満鉄の守備を目的とした日本軍)の高級参謀・板垣征四郎(46歳)や作戦参謀・ 石原莞爾いしわら・かんじ (42歳)らが秘密裏に仕掛けて爆発させたのですが、板垣はこれを 張 学良ちょう・がくりょう (30歳)の東北軍の仕業であると偽り、「権益を守る」「自衛のため」と、張 学良軍への攻撃を命じました。

3年前(昭和3年)の6月4日の張 作霖の爆殺も関東軍がやったもので(河本大作が立案したとされる)、その時も、蒋介石率いる北伐軍の犯行に見せかけようとしたようです・・・。近年の自公(+維)政権下において、「謀略もいいんじゃね、どの国もやっているし」的なことを言う人が増えたように感じています。謀略を認めてしまったら、「信頼」という言葉の実質がゆっくり死んでいくことでしょう。

昭和天皇とその側近は、常に日中親善を基調にしていて、陸軍大臣・南 次郎(57歳)に軍規を厳重に守るよう厳しく命じていましたが、関東軍は暴走。内地の南や参謀総長の 金谷範三かなや・はんぞう (58歳)も最初から「関東軍の謀略」を是認していたふしがあります。

国民世論も、マスコミの影響で、「満蒙は日本の生命線」(昭和4年、松岡洋右ようすけ )というスローガンで盛り上がっていて、日本が満州で影響力を強めることを是とするムードができあがっていました。張 学良配下による中村大尉殺害事件や、 万宝山まんぽうざん 事件(日本が満州の万宝山に朝鮮人200名を入植させたことによる、中国人と朝鮮人の衝突)などによって、内地の対中感情も悪化していました。

これらの空気を読んでか、朝鮮軍司令官の林 銑十郎せんじゅうろう (55歳)は、拡大に反対だった昭和天皇の意に反して朝鮮軍1万人以上を援軍として越境させ、「関東軍の謀略」にうすうす気づいていた若槻礼次郎(65歳)内閣も全員一致でそれを支持。上層部が毅然と「No」と言えずにずるずるっとなって、そうなると、さすがの昭和天皇も反対しきれなくなります。 「中国の領土なのだから、軍ではなく外務大臣が仕切るべき」といった正論はもう通りません。

新聞社などのマスコミは競うように戦争をあおりにあおり、国民を一色に染め上げていきました。戦争ほど新聞社を儲けさせるものはないようです。「もうけ(結果)第一主義」は、どの時代も、戦争賛成に傾く傾向があるようです。産業界もしかり、軍需によって景気がよくなるので、戦争に賛成(または戦争に反対しない)傾向が出るようです。 東京都大田区の工場も、「満州事変」から「日中戦争」に突入する昭和12年までの約5年間で、工場数が約2倍、従業員数が約4倍、生産高が約5倍に増大しています。

関東軍には政府からの予算が下り、ハルビン、チチハルへと侵攻(張 学良は平和的解決を望み、あまり抵抗しなかったようだ)、翌昭和7年3月1日には、満州を中国から切り離し、清朝最後の皇帝・ 溥儀ふぎ を頭にすえて、あくまでも中国が作ったという形で「日本の言うことを聞く満州国」が誕生。

日本だけが独立国として認める満州国でしたが、関東軍の本庄 繁(司令官)、板垣征四郎(高級参謀)、石原莞爾(作戦参謀)らが帰国するや、国民は彼らをヒーローとして迎えました(小澤征爾さんの名は、板垣征四郎と石原莞爾から一文字ずつ取っている)。そして、この段でも、本庄は、謀略はやっていないと昭和天皇を欺いています。

そして、「上海事変」、暗殺事件(「結盟団事件」「五・一五事件」)が起き、リットン調査団が満州から日本が撤退することを要求するや日本は国際連盟を脱退、そして「二・二六事件」「日中戦争」「太平洋戦争」・・・と深みにはまっていきます。

矢内原忠雄

植民地研究に精力的に取り組んでいた矢内原忠雄は、満州事変勃発時、当地(東京都大田区山王二丁目)に住んでいました(事変勃発時38歳)。昭和7年、自由が丘に転居しますが、満州国建国一ヶ月後の昭和7年4月頃から矢継ぎ早に「新満蒙国論」「満州植民計画の物質的及び精神的要素」「満州経済論」を書き、日本の満州政策を批判します。満州事変のきっかけになった満鉄の爆破が「関東軍の謀略」だったことを日本国民が知るのは太平洋戦争後ですが、矢内原はその頃から、怪しいと確信していたのです。

・・・その年八月下旬から九月にかけて、私は満州を視察旅行した(これは大学からの出張であった)〔矢内原は同年2月関東軍特務部から満州出張を依頼されたが、ただちに電報で断っている)。その見聞の結果は、最初の直感通り満州事変が日本側の作為であることを私に確信せしめ、爾来私の学問と私の信仰とは一致した力となって、私をして満州事変に対立せしめた。・・・(中略)・・・満州旅行から帰った私は、昭和八年夏学期の特別講義として『満州問題』を講義した。・・・(『矢内原忠雄全集(第二十六巻)』より)

矢内原が教鞭をとっていた帝国大学では、軍事教官が学生たちに矢内原の授業はけしからんから聴くなと言いはじめ、昭和12年、矢内原は帝国大学を辞任(事実上の追放。「矢内原事件」)、著書の『満州問題』は昭和13年、当局からの指示で増刷禁止となります。

半藤一利『昭和史(1926-1945)(平凡社ライブラリー)』。満州事変から満州国建国までのことも分かりやすくコンパクトにまとめられている。第二章「昭和がダメになったスタートの満州事変」、第三章「満州国は日本を“栄光ある孤立”に導いた」 加藤陽子『満州事変から日中戦争へ(シリーズ日本近現代史〈5〉)(岩波新書)』
半藤一利『昭和史(1926-1945)(平凡社ライブラリー)』。満州事変から満州国建国までのことも分かりやすくコンパクトにまとめられている。第二章「昭和がダメになったスタートの満州事変」、第三章「満州国は日本を“栄光ある孤立”に導いた」 加藤陽子『満州事変から日中戦争へ(シリーズ日本近現代史〈5〉)(岩波新書)』
「ラストエンペラー (ディレクターズ・カット [DVD] )」。監督:ベルナルド・ベルトルッチ。清朝最後の皇帝にして、満州国の皇帝になった溥儀の物語。溥儀の自伝『わが半生』を元にしている。アカデミー賞を9部門で受賞。坂本龍一さんが音楽の一部と、大杉 栄らを殺したとされる甘粕正彦役で出演。蓮實重彦さんが「誰が見ても溝口健二にオマージュを捧げた映画」と評しているが・・・。川島芳子の描かれ方がひどい? R.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏―完訳 (上)』(祥伝社)。著者のレジナルド・ジョンストンは溥儀の家庭教師を努めたイギリスの中国学者。当時の清や中華民国、溥儀周辺を記した一級資料とされる。平成元年発行の岩波書店版は、なぜか1章から10章が省かれているようなので、これか、または、著者が修正して出された第4版を訳した「本の風景社」版がよいかと
「ラストエンペラー (ディレクターズ・カット [DVD] )」。監督:ベルナルド・ベルトルッチ。清朝最後の皇帝にして、満州国の皇帝になった溥儀の物語。溥儀の自伝『わが半生』を元にしている。アカデミー賞を9部門で受賞。坂本龍一さんが音楽の一部と、大杉 栄らを殺したとされる甘粕正彦役で出演。蓮實重彦さんが「誰が見ても溝口健二にオマージュを捧げた映画」と評しているが・・・。川島芳子の描かれ方がひどい? R.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏―完訳 (上)』(祥伝社)。著者のレジナルド・ジョンストンは溥儀の家庭教師を努めたイギリスの中国学者。当時の清や中華民国、溥儀周辺を記した一級資料とされる。平成元年発行の岩波書店版は、なぜか1章から10章が省かれているようなので、これか、または、著者が修正して出された第4版を訳した「本の風景社」版がよいかと
矢内原忠雄 『満洲問題 (NDL所蔵古書POD[岩波書店]) 』 緒方貞子『 満州事変 〜政策の形成過程〜 (岩波現代文庫)』
矢内原忠雄 『満洲問題 (NDL所蔵古書POD[岩波書店]) 』 緒方貞子『満州事変 〜政策の形成過程〜 (岩波現代文庫)』
姜 尚中(カン・サンジュン)、 玄 武岩(ヒヨン ムアン) 『大日本・満州帝国の遺産(興亡の世界史) (講談社学術文庫) 』 平塚柾緒『図説 写真で見る満州全史 』(河出書房新社)。編:太平洋戦争研究会
姜 尚中カン・サンジュン玄 武岩ヒヨン ムアン 『大日本・満州帝国の遺産(興亡の世界史) (講談社学術文庫) 』 平塚柾緒『図説 写真で見る満州全史』(河出書房新社)。編:太平洋戦争研究会
安冨 歩『満洲暴走 隠された構造 〜大豆・満鉄・総力戦〜 (角川新書) 』 佐野眞一『甘粕正彦 〜乱心の曠野〜 (新潮文庫)』
安冨 歩『満洲暴走 隠された構造 〜大豆・満鉄・総力戦〜 (角川新書) 』 佐野眞一『甘粕正彦 〜乱心の曠野〜 (新潮文庫)』

■ 参考文献:
●『昭和史(1926-1945)(平凡社ライブラリー)』(半藤一利 平成21年発行)P.16、P.53-115 ●『濁流 ~雑談=近衛文麿』(山本有三 毎日新聞社 昭和49年発行)P.124-138 ●『大田区史(下)』(東京都大田区発行 平成8年)※当時の工場数の推移---P.513 ※当地の矢内原忠雄について---P.361-362 ●『矢内原忠雄伝』(矢内原伊作 平成10年初版発行 同年発行の3刷参照)P.377-384、P.419-428、P.458

■ 参考サイト:
●ウィキペディア/・張作霖爆殺事件(令和2年9月15日更新版)→ ・ 中村大尉事件(平成26年12月8日更新版)→レジナルド・ジョンストン(平成29年6月5日更新版)→ ・ 紫禁城の黄昏(平成29年6月26日更新版)→  ●東洋経済ONLINE/天皇は、なぜ「満州事変」に言及したか ~「日本のリベラリズムの危機」を考える→

※当ページの最終修正年月日
2020.9.18

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