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企業と戦争(昭和31年1月27日、三菱重工の丸子工場、閉鎖を労働組合に通告)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和31年1月27日(1956年。 三菱重工(「三菱重工業東京機器製作所」)が当地の丸子工場(東京都大田区下丸子四丁目21 Map→)の労働組合に工場閉鎖を通告しました。

昭和25年6月から朝鮮戦争が始まり、米軍からの軍需で、低迷していた日本経済は一挙に活況を呈しました。当地(大田区)でも、11箇所の工場(従業員が25名以上の工場)がその“特需”にあやかりました。広大な敷地を有した三菱重工の丸子工場は、「米軍の軍用車の修理」(ロールアップ作戦。「A工事」)を日本政府経由で米軍から指令されます。それによって4,700名もの従業員を抱えるまでになりました。丸子工場は日中戦争が始まる昭和12年に建設され、戦車の製造などで栄え、終戦時には大井工場(東京都品川区)を含めて6,000名超の従業員がいましたが、敗戦と共に凋落、しかし、この「A工事」で復活したのです。

ところが、朝鮮戦争は、3年して昭和28年7月休戦協定が成立、昭和30年には「A工事」が打ち切られ、丸子工場では1,000名近い(928名の)余剰人員が生まれます。軍需景気は「神風」と呼ばれましたが、6年間ほどで吹き去ってしまったのです。労使は交渉を重ねましたが決裂、会社側が工場を閉鎖するに至りました。企業の都合で(米軍から直接指揮監督を受けた米軍の管理工場だったので米軍の都合でといった方がいいか)多くの人が雇われ、企業の都合で多くの人が首を切られたのです。

三菱重工の丸子工場跡にたつ記念碑
三菱重工の丸子工場跡にたつ記念碑

このように、企業活動が戦争と密接に関係する場合が多々あります。「仕事なのだからしようがない」「自衛のための軍備は必要」とそこまでで思考を停止するのではなく、誇りをもって仕事するためにも、自らが関わる仕事が「流血(戦争)」に関係していないか、また、関係しているとしたら、今後どういった学びと活動が必要なのか考えてみてはいかがでしょう。

そもそも当地(東京都大田区)で工業が発展したのも、戦争が関係しています。

江戸時代から、当地の東海道沿いに 麦藁 むぎ 細工の店が 立ち並び繁盛していました。その関係からか、明治になって、 麦稈 ばっかん 真田 さなだ 業(麦わらと真田 ひも の生産)が盛んになりました。

明治末年(明治45年)ごろから、浅野総一郎、安田善次郎、渋沢栄一といった人たちが、横浜港から東京に至る浅瀬を埋め立てて一大工業地帯にするよう動き出しました。当地は日本一の海苔生産地でしたが、国も、東京府も関与して、漁民たちの大反対を押し切って、埋立地が造成され、工場が誘致され、しかして、当地の海苔生産業は壊滅します。

そして、「戦争」をきっかけに、当地(東京都大田区)の工場は爆発的に増加。満州事変の翌昭和7年には1,112箇所だっった工場が、アジア太平戦争が始まる昭和16年には5倍近くの5,148箇所に跳ね上がっています。当地が集中的に空襲されたのは、軍需工場がたくさんあったからです。

軍需で伸びた企業は、そのしがらみから抜け出せていないかもしれません。「兵器を作る(兵器を作ることに関わる)企業」は、どこかで戦争・紛争が起これば、需要が生まれて成績が伸びるでしょうから、心中では「戦争が起きてもらいたい」と願うものでしょうか。戦争による悲惨(第一次世界大戦→ 第二次世界大戦→ 満州事変から日中戦争→ アジア太平洋戦争末期→ 空襲→ 広島・長崎原爆→ 沖縄戦→ 樺太地上戦→ 朝鮮戦争→ ベトナム戦争→)は小学生でも知っているはずですが、それでも戦争がなくならない大きな理由がそこにあります。

あと、企業献金が大問題です。戦争を決断するのは政府ですが、その政府を構成する政治家や政治家が所属する政党が、「兵器を作る(兵器を作ることに関わる)企業」から献金してもらっていたらどうなるでしょう? 言わずもがなですね。近年も、戦前回帰を盛んに主張する某政治家が「兵器を作る(兵器を作ることに関わる)企業」の株を保有していることが発覚し、大問題になりました。

あと、世論形成はマスコミ次第ですが(信頼できる出版社の書籍に目を通している人は少数?)、そのマスコミの番組のスポンサーに「兵器を作る(兵器を作ることに関わる)企業」が名を連ねていたらどういったことになるでしょう? これも容易に想像できます。

以上、全て「金の問題」でした。つまりは、経済第一主義者という名の拝金主義者とその同調者が戦争推進者となるんでしょうね(「国を守る」「愛する人を守る」とかなんとかいった美辞はだいだいの場合が後付けかと)。

佐藤栄作 三木武夫
佐藤栄作
三木武夫

佐藤栄作内閣の「非核三原則」三木武夫内閣の「武器輸出三原則」(武器輸出を禁じた)といった日本国憲法の平和主義にのっとった提案が多くの国民の支持を得て、国是となりつつありました。

ところが、どうでしょう、安倍晋三内閣は、平成26年4月、「武器輸出三原則」を閣議決定のみで廃止し、代わりに「防衛装備移転三原則」(「防衛装備」「移転」という言葉で、武器輸出が見えずらい名称になっている)を策定、積極的に海外へ武器を輸出する政策へ転換したのです。核兵器の脅威はよく言われますが、小型兵器(小銃など。そのほとんどが先進国と呼ばれる国から輸出されるもの)などによって、世界では、毎年、50万人もの死者が出ているそうです。(平成12年。談:河野洋平)。まさかその“血なまぐさい先進国”のお仲間に日本も入ろうというのではないでしょうね?

日本は戦場になっていないだけで、すでに戦争に参加していると言えるのかもしない・・・。

令和元年には、幕張メッセ(千葉市美浜区)で大規模な武器見本市(「DSEI JAPAN 2019」)(DSEI=Defence and Security Equipment International)が開かれ、日本企業(三菱重工や川崎重工など)を含む約150社が出展、日本政府も支援しました。戦後数十年かけて築き上げてきた日本の“平和”ブランドが急速に崩れ始めています。

「日本国憲法」を読み直してみましょう。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(「日本国憲法」前文より)

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(「日本国憲法」第九条)

武器輸出や武器見本市の開催が「日本国憲法」の平和主義に反しているのは一目瞭然です。その“違憲性”に居心地悪いものを感じている人たちが、「改憲!」とか言っているのでしょうか?

道場親信『下丸子文化集団とその時代』(みすず書房)。戦後、労働組合の組織化と平行して、文学、演劇、美術、音楽などの「職場サークル」が全国に生まれ、当地のサークルはその中核的な存在となった 「世界(2016年6月号)」(岩波書店)。特集「死の商人国家になりたいか」。執筆者:河野洋平、小山内美江子、高遠菜穂子、古賀茂明、小野塚知二、望月衣塑子、谷口長世、杉田弘也、杉原浩司ほか
道場親信『下丸子文化集団とその時代』(みすず書房)。戦後、労働組合の組織化と平行して、文学、演劇、美術、音楽などの「職場サークル」が全国に生まれ、当地のサークルはその中核的な存在となった 「世界(2016年6月号)」(岩波書店)。特集「死の商人国家になりたいか」。執筆者:河野洋平、小山内美江子、高遠菜穂子、古賀茂明、小野塚知二、望月衣塑子、谷口長世、杉田弘也、杉原浩司ほか
長 有紀枝『入門 人間の安全保障 〜恐怖と欠乏からの自由を求めて〜 (中公新書) 』 堤 未果『政府はもう嘘をつけない 〜お金の流れで世界を見抜け!〜 (角川新書) 』
長 有紀枝『入門 人間の安全保障 〜恐怖と欠乏からの自由を求めて〜 (中公新書) 』 堤 未果『政府はもう嘘をつけない 〜お金の流れで世界を見抜け!〜 (角川新書) 』

■ 参考文献:
●「日清・日露の中で/近代工業の夜明け」「戦時体制下の区民生活/工業発展と変貌する町」「戦時体制下の区民生活/兵器 しょう としての街」「復興への足跡/特需景気のもとで」(山本定男)※『大田区史(下)』(東京都大田区 平成8年発行)P.225-229、P.511-513、P.579-595、P.723-732 ●「三菱重工 丸子工場跡地」(川本思心)みみずのずみみ→) ●『下丸子文化集団 〜一九五〇年代サークル文化運動の光芒〜』(道場親信 みすず書房 平成28年発行)P.11-21、P.271-272 ●「いまこそ軍縮の理念を語れ(インタビュー)」(河野洋平)※「世界(2016年6月号)」P.71-78 ●「「死の商人 日本にいらない」 幕張で武器見本市 市民ら抗議の声」※「東京新聞(朝刊)」(令和元年11月19日掲載)

※当ページの最終修正年月日
2024.1.27

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