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米国の軍事介入と、日本(昭和39年8月2日、トンキン湾事件、起こる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベトナム戦争(ベトナムでは「対米抗戦」と呼ばれる)」では、両陣営合わせて約200万人(内米兵は5万人)が死亡。写真は南ベトナムのソンミ村での虐殺の現場。無抵抗の農民160人(主に老人や婦女子だった)を米兵が虐殺した(昭和43年) ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 撮影:Ronald L. Haeberle 出典:The Acts of the Democracies→


昭和39年8月2日(1964年。 南ベトナム軍を支援する米軍の駆逐艦「マドックス」が、ベトナムと中国の境にあるトンキン湾Map→に入ったところ(北ベトナムが主張する領海(陸地から約22km)に侵入した)、北ベトナム軍の魚雷艇から攻撃され、米国ジョンソン大統領は北ベトナム軍に抗議しています。米国が主張する領海は陸地から5.5kmだったのです。北ベトナム軍もそれを認めました。

ところが、2日後(8月4日)にも、領海外なのに駆逐艦「マドックス」がまた北ベトナム軍から攻撃を受けたと報告してきました。米議会は、大統領に戦争の権限を与える「キントン湾決議」を可決、それにしたがって、米国は北爆(北ベトナムへの爆撃)を始めます北爆を推進するにあたりカーチス・ルメイ空軍参謀総長(12万人もの死者を出した東京大空襲も指揮した人。なのに日本は、佐藤栄作内閣時、ルメイに勲一等旭日大綬章を授与した)は、「北ベトナムを石器時代に戻してやる」との暴言を吐いています。

これらを「トンキン湾事件」と呼びます。20年間にわたる「ベトナム戦争」(昭和30年頃から昭和50年頃まで。始期と終期に異説あり)の中ほどで起きた大きな事件です。

北爆には、B-52という巨大な爆撃機(47.55m。225Kgの爆弾を108発搭載可能)が使用され、グアム島や沖縄(米国の占領下だった。昭和47年に返還されたというが、現在も31の米軍施設があり、米軍基地が沖縄本島の約15%を占める)から連日出撃。ベトナム人はそんな沖縄を「悪魔の島」と呼んだようです。沖縄の人は沖縄の人で、出撃基地を抱えているので、戦争に再び巻き込まれるのではと恐怖におののいたとのこと。

北ベトナムからの「1度目の攻撃」(8月2日)は北ベトナムも認めていましたが(戦闘相手の南ベトナムを支援する米国の駆逐艦が領海に侵入して来たのだから当然)、2日後の「2度目の攻撃」(8月4日。米国による北爆の格好の口実となった)は米国側の捏造だったことが明らかになっています。7年後の昭和46年、「ニューヨーク・タイムズ」などに「ペンタゴン・ペーパーズ(ベトナム戦争や「トンキン湾事件」などに関する非公開の政府報告書)」が暴露されました。「戦争をやりたい人たち(戦争で問題解決しようとする人たち)」の言うことはほんと信用できません。

ジュネーブ協定」の後、ゴ・ジン・ジェムが北緯17度以南に南ベトナムを作ったのがことの始まりです(その頃(昭和30年頃)をもってベトナム戦争の始期と考えることができる)反共的だったので、米国はそれを手厚く援助。しかし、この政権は、民主主義とはほど遠い独裁政権で、金は一族とお仲間にしか行き渡らず、国内の貧富の差は拡大、さらには反対派を徹底的に弾圧したのです(カトリック教徒だったゴ・ジン・ジェムは仏教を弾圧。その頃の僧侶が抗議の焼身自決をしている写真をご覧になった方もいるでしょう)。近年の日本でもそんな政権があったような?(今も?)

そんな政権に抵抗して生まれたのが「解放戦線(南ベトナム民族解放戦線)」です。ベトナムの平和的統一の実現、中立的政策の実現を綱領に掲げました。ベトコンという蔑称をつけられ(ゴ・ディン・ジエムが名付けたようだ)、米国映画などで「恐ろしい奴ら」に描かれて刷り込まれてしまっている方も多いと思いますが、「解放戦線」がそういった背景で生まれたことを理解しなくてはなりません。

「キューバ危機」を回避したりその名演説などで人気があるようですが、「解放戦線」を“共産主義の手先”として1万6,000人もの「軍事顧問団」を南ベトナムに送ったのが、米国の前大統領・ケネディーです。ただし、間接的援助にとどめ、米軍が直接参戦することは「彼らの戦争」だからと否定してきました。ところが「キントン湾事件」の前年(昭和38年)11月22日ケネディー大統領が暗殺されると、次のジョンソン大統領は50万人(20万人?)を越える軍隊をベトナムに派遣、米軍が前面に出るようになってきます。米国に同調して、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピンも軍隊を送りました。昭和39年頃からソ連や中国も北ベトナムへの支援を表明し始め(米国のようには終始前面には出なかった)、「代理戦争」の様相も深まります。

故郷のジャングルを味方に闘う「解放戦線」に対し、米軍はジャングルを破壊するための「枯葉剤」(極めて有害なダイオキシンを含む)を撒布、爆撃後、疑わしいとみれば村を焼き払い、疑わしいとみれば農民だろうがその家族だろうが次々と射殺していきました。戦前の日本も大陸に侵略していく際、「彼らのためにやってやってる」と国民を騙しましたが、ベトナムでもある米軍将校が「この町を救うためにそれを破壊している」とのたまったとか・・・。

昭和39年からの「北爆」による民間人の殺戮が報道され、それに日本も加担していることが明らかになると、日本でもベトナム戦争反対の動きが高まってきます。翌昭和40年には、作家の 小田 実おだ・まことを中心に、ベトナム戦争に反対する人なら誰でも参加でき自由に去ることもできる非暴力を掲げた「 ベ平連 べへいれん (ベトナムに平和を! 市民連合)が結成され、左右に関係なく、学生、社会人、主婦などさまざまな人たちが参加しました。

昭和42年10月8日、佐藤栄作総理大臣が南ベトナムを訪問することが明らかになると、それを阻止しようと新左翼系の学生を中心に2,500名あまりが当地の羽田空港(東京都大田区 Map→)を目指しました。大田区市街部と空港部の間を 海老取 えびとり 川が流れていますが、その3つの橋(北から 穴守 あなもり Map→、稲荷橋 Map→、弁天橋 Map→)に警視庁の機動隊がバリケードを築き、そこで両者が衝突(「羽田事件」)。強行突破を図ろうとする一団は角材とヘルメットで武装しており、この行動様式が平和運動を負の方向に導くこととなります。が、ベトナム戦争における「米国など(日本を含む)の大いなる暴力(殺戮)」を黙過している人たちに彼らを非難する資格があるかは疑問。

海老取川河口近くにかかる弁天橋(左)と右に見えるのは羽田を飛ぶ飛行機からも見下ろせる大鳥居。GHQによる羽田3町の強制退去によりこの場所に移された。シン・ゴジラが海老取川を遡上したのは故なきことではないのでは? 海老取川河口近くにかかる弁天橋(左)と右に見えるのは羽田を飛ぶ飛行機からも見下ろせる大鳥居。GHQによる羽田3町の強制退去によりこの場所に移されたシン・ゴジラが海老取川を遡上したのは故なきことではないのでは?

小関智弘さんの小説『錆色さびいろ の町』(『羽田裏地図』Amazon→に収録 ※それらを原作にしたドラマ→)には、「羽田事件」で負傷した青年が出てきます。近くの町工場に保護された彼は、工場という現場で、生活の実感をつかんでいきます。記録映像「現認報告書 羽田闘争の記録」Amazon→でも、近所の人に保護され逮捕を免れた人が実際にもいたことを伝えています。

玉城デニー沖縄県知事は、令和元年7月28日のフジロックで、CCRの「雨を見たかい」を歌ったようですね!●YouTube/CCR「Have You Ever Seen The Rain→

ニック・タース 『動くものはすべて殺せ 〜アメリカ兵はベトナムで何をしたか〜』(みすず書房 平成27年発行)。訳:布施由紀子 『泥まみれの死 〜沢田教一ベトナム写真集〜(講談社文庫)』。一枚の写真が、人々にベトナムの現状を伝え、人々を動かした
ニック・タース 『動くものはすべて殺せ 〜アメリカ兵はベトナムで何をしたか〜』(みすず書房 平成27年発行)。訳:布施由紀子 『泥まみれの死 〜沢田教一ベトナム写真集〜(講談社文庫)』。一枚の写真が、人々にベトナムの現状を伝え、人々を動かした
「ペンタゴン・ペーパーズ(最高機密文書)[Blu-ray] )。監督:スティーブン・スピルバーク。オスカー俳優のメリル・ストリープとトム・ハンクスが初競演 高橋武智『私たちは、脱走アメリカ兵を越境させた…… 〜ベ平連・ジャテック、最後の密出国作戦の回想〜』(作品社)
「ペンタゴン・ペーパーズ(最高機密文書)[Blu-ray] )。監督:スティーブン・スピルバーク。オスカー俳優のメリル・ストリープとトム・ハンクスが初競演 高橋武智『私たちは、脱走アメリカ兵を越境させた…… 〜ベ平連・ジャテック、最後の密出国作戦の回想〜』(作品社)

■ 馬込文学マラソン:
小関智弘の『大森界隈職人往来』を読む→

■ 参考文献:
●『詳説 世界史研究』(編集:木下康彦、木村靖二、吉田 寅 山川出版社 平成20年初版発行 平成27年発行10刷参照)P.528-535 ●『そうだったのか! 現代史(集英社文庫)』(池上 彰 平成19年初版発行 同年発行2刷参照)P.211-252 ●「ベトナム戦争」(片山 裕)※「知恵蔵」(朝日新聞出版)に収録コトバンク→ ●「沖縄のベトナム戦争」(宮武実知子)「考える人」(新潮社)→

■ 参考映像:
●映画「標的の村 〜国に訴えられた沖縄・高江の住民たち〜」(監督:三上智恵)公式サイト→ ※沖縄(高江)の「ベトナム村」(米軍が近所の沖縄住民にベトナム人の役をさせて演習を行った)も紹介

※当ページの最終修正年月
2024.8.2

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