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(推定)昭和29年8月13日(1954年。
同社所属の「備後丸」が現場に急行しますが、同じように消息を絶ち、近くの大戸島の漁船も数名を救助したあとやはり消息を絶ちます。遭難した漁船の乗組員・山田政治は、島に流れつき、「大きな生き物」の存在を告げました。 以上、昭和29年11月3日に公開された東宝映画「ゴジラ」の冒頭です。言うまでもなく「大きな生き物」がゴジラです。 ゴジラは、200万年前のジュラ紀から深海に生息していましたが、水爆実験でその安住の地を追われ、人間の住む場所にも現れ出るようになったのでした。 船舶の遭難は17隻にも及びますが、ゴジラにとっては邪魔な虫を追い払うほどのことだったのでしょう。大戸島にも現れ住民に被害がありました。防衛隊は大戸島にフリゲート艦隊(護衛艦)を派遣して、ゴジラに爆雷攻撃を加えました。この映画の公開の3ヶ月ほど前の7月1日自衛隊法が施行され自衛隊(陸海空)が発足(朝鮮戦争へ出動した8万人もの在日米占領軍の穴埋めのためにできた警察予備隊が自衛隊の母体。米国の指示で日本の再軍備が始まった)。この映画で「(自衛のための)戦力」をさりげなくアピールしています。この映画を海上保安庁が賛助しました。 攻撃されればされるほどゴジラは激昂し、攻撃に導かれるようにして日本本土に接近。東京湾にも現れ、現在の品川コンテナ埠頭(Map→)・天王洲アイル(Map→)あたりからとうとう上陸(品川埠頭は昭和42年使用開始、天王洲アイルは平成初年あたりに完成。ともにゴジラ上陸時にはなかった)、八ツ山陸橋(東海道線が京浜急行線と交差する所 Map→)を破壊し、周囲に甚大な被害。一旦は海に引き返した後再上陸したゴジラは、防衛隊の大々的な攻撃にますます激昂、口から放射能を帯びた白熱光を吐き出しながら一帯を火の海にし、銀座も、国会議事堂も、勝鬨橋も破壊。防衛隊は、残された最後の手段に望みをかけます・・・。 米国は、昭和20年8月6日に広島に原爆を落とし、3日後の8月9日にも長崎に落としました。その惨状を知った上ででしょうが、米国は、もう翌年(昭和21年)には核実験を再開しています。しかも、ソ連との核開発競争が始まると、原爆の数百倍の威力があるという水爆の開発も始め、昭和29年3月1日に成功しました(ビキニ環礁での「ブラボー実験」)。しかし、その実験で、米国の不十分な危険水域設定によって、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」など数百隻の漁船と、近辺の島民2万人以上が、「死の灰」(放射性降下物)を浴びます。 「第五福竜丸」 の久保山無線長(当時40歳)は6ヶ月後の9月に死去。日本人医師団は死因を放射能症としました(米国は「放射線が直接の原因ではない」とした)。 第1作目「ゴジラ」は、このブラボー実験の約8ヶ月後に公開されました(昭和29年11月3日。平和主義を謳う「日本国憲法」の8回目の公布記念日に公開)。原爆投下とその後の核実験への批判が込められているとみていいでしょう。「ゴジラ」が“反核映画の傑作”といわれる ゴジラは動けばそれだけで人間に害を与えてしまいます。「ゴジラも核実験の被害者」でしたが、それを駆逐しようとする人間。ゴジラの口から吐き出される白熱光には、怒りと悲しみがこもっていることでしょう。 ゴジラによって破壊し尽くされた都会の姿は、空襲・原爆後の焼け野原と二重写しとなり、朝鮮戦争の特需に浮かれ、戦争をもう遠いことのように思い始めていた日本人に、「戦争の悲惨」を思い起こさせたことでしょう。
その後、ゴジラ映画はシリーズ化。ゴジラへの同情もあってか、回を重ねるごとにゴジラは人類の味方になっていきます。平成16年公開の第28作目の「ゴジラ FINAL WARS」後、なりを潜めていましたが、12年後の平成28年、突如、再来。第29作目の「シン・ゴジラ」が公開されました。原爆・水爆実験同様、放射能を撒き散らした「福島第一原発事故」(平成23年3月11日)によって、ゴジラがまた目を覚ましたのでしょう。 「シン・ゴジラ」は、「現代日本にゴジラが現われたら」との想定で作られた“新ゴジラ”です。凄まじくパワーアップ。短い台詞を重ねていく斬新な画面作り、見る者を繰り返し震撼させる絶妙なストーリー運び、特撮における日本初のフルCGの導入、キャスティングの豪華さ、批評性の高さ、多面的に描かれたその文学性、そのリアリティから生まれる“爽快な”破壊シーンなどから、新たなゴジラブームとなり、約100日間で映画館に累計500万人が詰めかけ、累計興行収入80億円をたたき出します。キネマ旬報ベストテンでゴジラ映画としては初めての第2位、日本アカデミー賞では作品賞・監督賞など最多の7部門で受賞、日本映画の1つの金字塔となりました。 楽曲を第1作目の「ゴジラ」の
・・・・完成度と素晴らしさは最初のゴジラに集約している。あの面白さ、あの衝撃にわずかでも近づけたいと思ったら、同じようなことをやるしかないんです・・・ と語りました。「シン・ゴジラ」を見た方は第1作目の「ゴジラ」も見てください。「シン・ゴジラ」の完成度はダントツですが、「生身の人間」の痛い表現や、批評性などにおいては第1作目の「ゴジラ」が頭一つ出ているように思います。第1作目の「ゴジラ」で主演した宝田 明は、作中人物の精神を生き、生涯平和主義を貫きました。 初代「ゴジラ」でも「シン・ゴジラ」でも、主要な舞台として、当地(東京都大田区・品川区)が登場します。初代ゴジラの上陸地点は品川区と大田区であり、「シン・ゴジラ」ではさらに係り深く、羽田闘争の舞台となる大田区の海老取川から侵入、
■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |