朝鮮戦争時のショット ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:work of the United States federal government
昭和25年6月25日(1950年。
朝鮮半島の北緯38度線を越えて「北朝鮮軍」が攻勢に出たことから、朝鮮戦争が始まりました。
明治43年から昭和20年までの35年間、朝鮮は日本の支配下にありました。昭和20年に日本が破れ、朝鮮が日本の支配から解放されると、独立政府樹立の動きが始まり、同年(昭和20年)9月には独立が宣言されました。
ところが、日本の一部だった朝鮮は、敗戦国(日本)の一部として、北緯38度線を境に、米ソに分割占領されることになり、それが仇
となります。戦前日本に蹂躙された朝鮮は、戦後、米ソに蹂躙されることとなります。
ファシズム国家(日・独・伊)という共通の敵と戦った米ソは、合同委員会を作って独立したての朝鮮を支援するはずでした。が、米ソは、戦後処理を巡ってすでに反目するようになっていたのです(「冷戦」の始まり)。それまで連合国側はファシズム国家との戦いでソ連を必要とし、ソ連の参戦を促していましたが、米国は2発の原爆を投下したあとはソ連を必要としなくなり、むしろ、ソ連に対して原爆保有を誇示して、優位に立とうとしました(愚かな核兵器開発競争が始まる)。
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李 承晩の陰に米国のトルーマン、金 日成の陰にソ連のスターリン |
昭和23年、米国は、国連総会に付託という形で、北緯38度以南だけで選挙をし(米ソの共同委員会が決裂した状態での選挙にソ連は反対した)、「大韓民国」(韓国)を成立させてしまいます(昭和23年8月。初代大統領:李 承晩)。翌月(9月)、北緯38度以北でも、金 日成を首相として「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)が独立を宣言、朝鮮は南北に分裂してしまいました。昭和25年6月25日の「北朝鮮軍」の北緯38度線突破をもって朝鮮戦争が始まったとされますが、それ以前に喧嘩を売ったのは米国のようです(南だけでの単独選挙を行った)。
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現在、朝鮮は、「停戦ライン」で南北に分かれた状態になっている |
昭和25年6月25日、ソ連の戦車(T34)120輌あまりを先頭に約10万の「北朝鮮軍」が北緯38度線を越え、朝鮮を舞台にした米ソの代理戦争が始まります(朝鮮戦争)。最初、「北朝鮮軍」は、戦車を保有しない「韓国軍」を圧倒、3日後の6月28日には韓国の首都・ソウル(Map→)を占領。この間、「保導連盟事件」「
漢江人道橋爆破事件」といった悲惨な事件も起きます。1ヶ月後、「韓国軍」は釜山
(Map→)にまで追い詰められました。しかし、「北朝鮮軍」も38度線を遥かに越えたため物資補給が困難になります。9月15日、その背後をついて米軍4万人あまりが、ソウル近くの西海岸
仁川
(Map→)より上陸(「仁川上陸作戦」。東海岸に軍艦を集結させ、おとりにした)、「北朝鮮軍」を包囲し、10日ほどでソウルを奪還、さらに北朝鮮の首都・ピョンヤン(Map→)まで占領します。負けじと毛 沢東が「義勇軍」という名の総計350万もの中国軍を援軍として送り、「北朝鮮軍」は再び攻勢に転じ、ピョンヤンとソウルを奪還。それをまた「韓国軍」が再奪還、と両軍共、進退を繰り返し、死体の山を築いていきました。兵士・民間人を合わせて300万人もの犠牲者が出たとのこと。為政者は、人一人一人の命などはどうでもいいのでしょうね?
北緯38度線付近の板門店
(北緯38度線の南方5km)での交渉が実り休戦になるのは、、開戦から3年超たった昭和28年7月27日です。
米国では、トルーマン(日本に2発の原爆を落とした大統領)に代わって、昭和28年1月20日より、朝鮮戦争早期停戦を公約にして当選したアイゼンハウアーが大統領になり、ソ連でも、同年(昭和28年)3月5日、最高指導者のスターリンが病没、休戦交渉が進捗したのでした。
フルシチョフがソ連の次の最高指導者となります。フルシチョフは、スターリンの悪事を暴き、のちには、米国との核戦争の危機(「キューバ危機」)を回避しました。米国にしてもソ連にしても、戦争に向かわせる指導者もいれば、戦争から遠ざける指導者もいたのですね。
日本は朝鮮戦争時、米国からの特需(石炭、トラック、三白
(セメント、肥料、パルプ)、建築用鋼材、有刺鉄線、麻袋、歯ブラシ、石鹸、布類、3P(パルプ、パチンコ、パンパン)など)で劇的に経済復興を遂げます。当地(東京都大田区)にも三菱重工業(下丸子工場)などこの戦争で儲けたところがけっこうあります。戦争にはこういった“うま味”があるので、「金儲け大好き人間」(経済第一主義者。「人命より経済」主義者。「国益ガ」が口癖の人)は往々にして戦争に道を開こうとするので、油断なりません。
それと、朝鮮戦争を境に日本の再軍備が始まります。開戦の翌月(昭和25年8月10日)、GHQは日本に、警察予備隊(自衛隊の前身)の設置を指示。“アジアの脅威・日本”の非武装化をすすめていた米国は、ガラリと方向転換して、“共産勢力を食い止める防波堤・日本”とすべく、日本に再軍備を求めるようになります。昭和21年より、戦争・植民地政策を推進した21万人もの人たちが「公職追放」されましたが、昭和24年になると、戦中の言行が十分に検証されないまま彼らは解放されていき、その多くが政界などの要職に復帰してしまいます。彼らが今なお勢力を保つ「右派を装う米国従属派」の源流にいます。
当初米国は、日本や韓国に米軍基地を置く構想がもっていませんでしたが、朝鮮戦争を境に米軍の両国での駐留が常態化し現在に至ります(米国の信託統治の期限は5年間と決まっていたのに)。日本(東京や沖縄など)から飛び立ったB-29が北朝鮮を無差別爆撃。日本は隣人(朝鮮)の不幸(朝鮮戦争)に加担することとなりました。昭和39年、朝鮮戦争時の米戦略空軍司令官だったカーチス・ルメイ(東京大空襲の時の指揮官でもあった)に、日本政府はなんと勲一等旭日大綬章を贈っています(総理大臣が自民党の佐藤栄作の時)。勲一等は天皇が手渡すのが慣例ですが、昭和天皇はそれを拒否されました。
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芝 豪『朝鮮戦争(上) 〜血流の山河〜(講談社文庫)』 |
梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史(平凡社ライブラリー) 』 |
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林 博史『朝鮮戦争 〜無差別爆撃の出撃基地・日本〜』(高文研)。平和憲法をもつ日本が、米国の戦争に加担し続けているなんて・・・。朝鮮戦争は停戦しているだけでまだ終わっていない。加担した以上、日本にも責任がある。朝鮮の和平なくして、拉致問題の解決もなし |
「パッチギ!」。「パッチギ」(박치기)とは朝鮮語で「乗り越える」。朝鮮高校の番長の妹に恋をした康介。朝鮮語を必死に覚え、「イムジン河」を彼女の前で演奏する決意・・・。監督:井筒和幸、出演:塩谷 瞬、 沢尻エリカ、高岡蒼佑、小出恵介ほか。キネマ旬報ベストテン第1位 ●予告編→ |
■ 参考文献:
●『詳説 世界史研究』(編集:木下康彦、木村靖二、吉田 寅 山川出版社 平成20年初版発行 平成27年発行10刷参照)P.504、P.512、P.516、P520-521 ●『明治大正史(下)』(中村隆英 東京大学出版会 平成27年初版発行 同年発行4刷参照)P.162-175 ●『そうだったのか! 現代史(集英社文庫)』(池上 彰 平成19年発行 同年発行2刷参照)P.111-138 ●『昭和史(戦後編)(平凡社ライブラリー)』(半藤一利 平成21年発行 同年発行6刷参照)P.281-310 ●「板門店」(魚 塘)※「日本大百科全書(ニッポニカ) 」(小学館)に収録(コトバンク→) ●「勲一等、「親授」せず」(上別府保慶)(西日本新聞→) ●『詳説 日本史研究』(編集:佐藤 信、五味文彦、
高埜利彦、鳥海 靖 山川出版社 平成29年初版発行 令和2年発行3刷参照)P.484、P.486 ●「公職追放」(五十嵐 仁)※「日本大百科全書(ニッポニカ) 」(小学館)に収録(コトバンク→)
※当ページの最終修正年月日
2024.6.25
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