{column0}


(C) Designroom RUNE
総計- 本日- 昨日-

{column0}

朝鮮の苦悩(昭和25年6月25日、朝鮮戦争始まる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝鮮戦争時のショット ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/朝鮮戦争(令和元年6月17日更新版)→

 

昭和25年6月25日(1950年。 38度線を越えて、「北朝鮮軍」が「韓国軍」を一斉攻撃、朝鮮戦争が始まります。2年前の昭和23年8月、「 大韓民国だいかんみんこく 」(韓国)が成立し、翌月の9月(昭和23年)には「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)が建国を宣言していました。

同じ朝鮮民族どうしが、なぜ殺し合い(戦争)をしなくてはならなくなったのでしょう?

まずは朝鮮が、明治43年の日韓併合から昭和20年に日本が敗戦するまでの35年間、日本に領有されていたことを念頭に置かなくてはなりません。それ以前も、日本は大陸政策の要として朝鮮を利用しその自治を蹂躙してきました。日清戦争(明治27-28年)も朝鮮における清と日本の覇権争いの側面が強いですし、朝鮮で力を持っていた「閔妃びんひ高宗こうそう の妃)の暗殺」(明治28年10月8日)にも日本は関与、日露戦争(明治37-38年)頃になると、ロシアの南下政策を食い止めるため、より露骨に朝鮮を支配下におく策動に出ました。日露戦争が始まるのと同時に、日本は、(第一次)日韓協約を韓国政府に押しつけたのです。日韓併合以後、日本は朝鮮人に日本語を使うことを強制、氏名も日本風に変えることを推奨しました( 創氏改名そうし・かいめい )。

そんな日本が昭和20年に負けると、日本領だった朝鮮を占領すべくソ連が南下、米国が北上。38度線を境に分割占領する形となります。領有は朝鮮が独立するまでの5年間ということでしたが、後のベトナム戦争などと同様、米ソの代理戦争と化していきました。

「北朝鮮軍」はソ連からの戦車(T34)120輌あまりを先頭に約10万の兵でもって38度線を越えて奇襲しました。中国人民解放軍も参戦。国連が実施しようとした朝鮮の統一選挙にソ連は反対しましたし、この奇襲もソ連の同意の上ですから、ソ連(スターリン)の選択は批判されるべきでしょう。日本も当初、米国・英国・中国(中華民国。大陸に中華人民共和国が成立したのでことは複雑)・ソ連の4カ国で統治されるはずのところが、いつの間にか米国1国の統治となり、ソ連としてはせめて朝鮮は“せしめよう”と考えたのでしょうか。

「北朝鮮軍」(共産勢力)は、戦車を保有しない「韓国軍」(国連軍勢力)を圧倒し、3日後の6月28日には韓国の首都・ソウルを占領。この間、「保導連盟事件」「 漢江かんこう 人道橋爆破事件」といった悲惨な事件も起きます。1ヶ月後、「韓国軍」は 釜山プサン map→に追い詰められました。しかし、「北朝鮮軍」も38度線を遥かに越え物資補給が困難になります。9月15日、その背後をついて米軍4万人あまりが、朝鮮半島の西海岸 仁川インチョン map→より上陸(「仁川上陸作戦」。東海岸におとり船舶を結集させた)、「北朝鮮軍」を包囲し、10日ほどでソウルを奪還、さらに北朝鮮の首都・ピョンヤンまで占領します。負けじと毛 沢東は、「義勇軍」という名の総計350万もの中国軍を「北朝鮮軍」に送り、再び攻勢に転じてピョンヤンとソウルを奪還、これをまた「韓国軍」が再奪還と、両軍共進退を繰り返し、死体の山を築きました。元の38度線付近を境に両軍が一応休戦状態になるのは、開戦から3年ほどした昭和28年7月27日です。この戦いで兵士・民間人を合わせて300万人もの犠牲者が出たとのことです。武力によって問題解決を図ろうとすることがいかに馬鹿げていることか・・・。4〜5ヶ月ほど前、好戦的な(?)スターリンが死去し、休戦ムードが高まったのではないでしょうか。スターリンが死去したのと同じ日の3時間ほど前(昭和28年3月5日午後6時頃)、当地(東京都大田区)にゆかりあるロシアの作曲家プロコフィエフも亡くなっています。

日本は朝鮮戦争時、米国からの特需(石炭、トラック、三白さんぱく (セメント、肥料、パルプ)、建築用鋼材、有刺鉄線、麻袋、歯ブラシ、石鹸、布類、3P(パルプ、パチンコ、パンパン)など)で劇的に経済復興を遂げます。当地(東京都大田区)にも三菱重工業(下丸子工場)などこの戦争で儲けたところがけっこうあります。こういったことがあるので、「金儲け大好き人間」(経済第一主義者。「人命より経済」主義者)は戦争に道を開こうとするので、油断なりませんね。

それと、朝鮮戦争を境に日本の再軍備が始まります。開戦の翌月(昭和25年8月10日)、GHQは日本に、警察予備隊(自衛隊の前身)の設置を指示します。“アジアの脅威・日本”の非武装化をすすめていた米国は、ガラリと方向転換して、“共産勢力を食い止める防波堤・日本”とすべく、その再軍備を求めるようになったのです。昭和27年の「サンフランシスコ平和条約」(沖縄・小笠原諸島を除いた日本の主権が回復したとされる)と同時に、戦争を推進したとして 「政治的発言、行動を禁止」されていた20万人もの人たちが戦中の言行を十分に検証されないまま禁止を解かれ、その多くが政界などの要職に復帰します。米国は右派を利用しようとしたのでしょう(今も続く右派の大きな源流でしょう)。

朝鮮戦争には、日本の海上保安庁の掃海艇も派遣され、日本人にも死者・重軽傷者が出ています。「日本国憲法」第9条に違反している可能性からか極秘にされてきたようです。

北朝鮮の楽曲に「イムジン河」というのがあります。イムジン河(臨津江イムジンガン )は、朝鮮の38度線あたりを流れる河です。日本では、昭和41年頃から、ザ・フォーク・クルセイダーズが歌いましたが、途中から、「政治的な配慮」から発売中止となりました(そんな中でも、京都放送のディレクター川村輝夫さんはラジオでかけ続けた)。ザ・フォーク・クルセイダーズは途中でメンバーがかわりますが、下の映像は、左が加藤和彦、中央がはしだのりひこ、右が北山 修。この曲にまつわるエピソードを映画にしたのが、井筒和幸監督の「パッチギ!」Amazon→ですね。キネマ旬報ベストテン1位、毎日映画コンクール最優秀作品賞、ブルーリボン賞作品賞を受賞した、日本映画を代表する1本。

小川山おがわやま (山梨県と長野県の境 map→)には、「スーパーイムジン」というフリークライミングのルートがあります。知る人ぞ知るかつての名クライマー池田 功さんが初登した名ルートです。南北の統一も簡単ではないでしょうが、可能なはず。

※下の3動画はYouTubeにアップされているものからの引用です。右下のYouTubeのロゴをクリックすると、YouTubeで視聴できます。



------------------------------------------------------

芝 豪『朝鮮戦争(上) 〜血流の山河〜(講談社文庫)』(平成26年発行) 西村秀樹『朝鮮戦争に「参戦」した日本』(三一書房。令和元年発行)
芝 豪『朝鮮戦争(上) 〜血流の山河〜(講談社文庫)』(平成26年発行) 西村秀樹『朝鮮戦争に「参戦」した日本』(三一さんいち 書房。令和元年発行)
梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史(平凡社ライブラリー) 』(平成26年発行) 文 京洙(ムン・ギョンス)『新・韓国現代史(岩波新書)』(平成27年発行)
梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史(平凡社ライブラリー) 』(平成26年発行) 文 京洙ムン・ギョンス 『新・韓国現代史(岩波新書)』(平成27年発行)

◾️ 馬込文学マラソン:
プロコフィエフの『彷徨える塔』を読む→

■ 参考文献:
●『明治大正史(下)』(中村隆英 東京大学出版会 平成27年初版発行 同年発行4刷参照)P.162-175 ●『そうだったのか! 現代史(集英社文庫)』(池上 彰 平成19年発行 同年発行2刷参照)P.111-138 ●『昭和史(戦後編)(平凡社ライブラリー)』(半藤一利 平成21年発行 同年発行6刷参照)P.281-310

■ 参考サイト:
・ ウィキペディア/●朝鮮戦争(令和元年6月17日更新版)→ ●朝鮮民主主義人民共和国(令和元年6月4日更新版)→ ●朝鮮総督府(令和元年6月19日更新版)→ ●朝鮮民族(令和元年6月18日更新版)→ ●閔妃(平成31年4月1日更新版)→ ●創氏改名(平成30年12月11日更新版)→ ●T-34(令和元年5月9日更新版)→ ●スターリン(令和元年6月23日更新版)→ ●警察予備隊(令和元年6月18日更新版)→ ●イムジン河(令和元年5月19日更新版)→

※当ページの最終修正年月日
2020.6.25

この頁の頭に戻る