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| 李 承晩の陰に米国のトルーマン、金 日成の陰にソ連のスターリン |
昭和23年、米国は、国連総会に付託という形で、北緯38度以南だけで選挙をし(米ソの共同委員会が決裂した状態での選挙にソ連は反対した)、「
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| 現在、朝鮮は、「停戦ライン」で南北に分かれた状態になっている |
昭和25年6月25日、ソ連の戦車(T34)120輌あまりを先頭に約10万の「北朝鮮軍」が北緯38度線を越え、朝鮮を舞台にした米ソの代理戦争が始まります(朝鮮戦争)。最初、「北朝鮮軍」は、戦車を保有しない「韓国軍」を圧倒、3日後の6月28日には韓国の首都・ソウル(Map→)を占領。この間、「保導連盟事件」「
北緯38度線付近の
米国では、トルーマン(日本に2発の原爆を落とした大統領)に代わって、昭和28年1月20日より、朝鮮戦争早期停戦を公約にして当選したアイゼンハウアーが大統領になり、ソ連でも、同年(昭和28年)3月5日、最高指導者のスターリンが病没、休戦交渉が進捗したのでした。
フルシチョフがソ連の次の最高指導者となります。フルシチョフは、スターリンの悪事を暴き、のちには、米国との核戦争の危機(「キューバ危機」)を回避しました。米国にしてもソ連にしても、戦争に向かわせる指導者もいれば、戦争から遠ざける指導者もいたのですね。
日本は朝鮮戦争時、米国からの特需(石炭、トラック、
それと、朝鮮戦争を境に日本の再軍備が始まります。開戦の翌月(昭和25年8月10日)、GHQは日本に、警察予備隊(自衛隊の前身)の設置を指示。“アジアの脅威・日本”の非武装化をすすめていた米国は、ガラリと方向転換して、“共産勢力を食い止める防波堤・日本”とすべく、日本に再軍備を求めるようになります。昭和21年より、戦争・植民地政策を推進した21万人もの人たちが「公職追放」されましたが、昭和24年になると、戦中の言行が十分に検証されないまま彼らは解放されていき、その多くが政界などの要職に復帰してしまいます。彼らが今なお勢力を保つ「右派を装う米国従属派」の源流にいます。
当初米国は、日本や韓国に米軍基地を置く構想がもっていませんでしたが、朝鮮戦争を境に米軍の両国での駐留が常態化し現在に至ります(米国の信託統治の期限は5年間と決まっていたのに)。日本(東京や沖縄など)から飛び立ったB-29が北朝鮮を無差別爆撃。日本は隣人(朝鮮)の不幸(朝鮮戦争)に加担することとなりました。昭和39年、朝鮮戦争時の米戦略空軍司令官だったカーチス・ルメイ(東京大空襲の時の指揮官でもあった)に、日本政府はなんと勲一等旭日大綬章を贈っています(総理大臣が自民党の佐藤栄作の時)。勲一等は天皇が手渡すのが慣例ですが、昭和天皇はそれを拒否されました。
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| 芝 豪『朝鮮戦争(上) 〜血流の山河〜(講談社文庫)』 | 梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史(平凡社ライブラリー) 』 |
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| 林 博史『朝鮮戦争 〜無差別爆撃の出撃基地・日本〜』(高文研)。平和憲法をもつ日本が、米国の戦争に加担し続けているなんて・・・。朝鮮戦争は停戦しているだけでまだ終わっていない。加担した以上、日本にも責任がある。朝鮮の和平なくして、拉致問題の解決もなし |
■ 参考文献:
●『詳説 世界史研究』(編集:木下康彦、木村靖二、吉田 寅 山川出版社 平成20年初版発行 平成27年発行10刷参照)P.504、P.512、P.516、P520-521 ●『明治大正史(下)』(中村隆英 東京大学出版会 平成27年初版発行 同年発行4刷参照)P.162-175 ●『そうだったのか! 現代史(集英社文庫)』(池上 彰 平成19年発行 同年発行2刷参照)P.111-138 ●『昭和史(戦後編)(平凡社ライブラリー)』(半藤一利 平成21年発行 同年発行6刷参照)P.281-310 ●「板門店」(魚 塘)※「日本大百科全書(ニッポニカ) 」(小学館)に収録(コトバンク→) ●「勲一等、「親授」せず」(上別府保慶)(西日本新聞→) ●『詳説 日本史研究』(編集:佐藤
※当ページの最終修正年月日
2024.6.25