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昭和23年5月22日(1948年。 尾﨑士郎(50歳)らに 「政治的発言、行動を禁止する」 令状(「追放令状」)が出ました。
アジア太平洋戦争を目前にした昭和16年7月、尾﨑と高見 順(34歳)との間で「文学非力説論争」というのがありました。高見が、文学は国民を決起されるには非力であるとして、軍国的翼賛体制から距離を置こうとすると、尾﨑(43歳)がその弱腰を批判したのです。
昭和17年発表の尾﨑の『日蓮』(小学館)という小説には、元寇がらみの以下のような下りがあります。
・・・もはや、
と、読者に、「先制攻撃」「侵略」の必要と正当性を刷り込もうとしたのでしょう。また、同作中で、
しかし、日本は敗戦。米国、英国、中華民国が発した「ポツダム宣言」(日本への降伏要求の最終宣言)を、昭和20年8月14日、日本は受諾したのです。その「世界征服に赴かせた影響勢力及び権威・権力は永久に排除されなければならない」との条文に従って、国際検事団(米国、英国、中国、フィリピン、ニュージーランド、カナダ、オランダ、オーストラリア、ソ連、フランス、インドの11ヶ国で組織)が、戦犯容疑者らを逮捕していきました。
A級戦犯には、「侵略戦争を計画し、あるいは指導した者、ならびに戦争を防止しなかった者」が指定され、100人以上が巣鴨拘置所に入れられ、その内の28人が最初に起訴され、7名が処刑されました(「東京裁判」)。残りの人も裁判にかけられる予定でしたが、後述のような世界情勢の激変によって、起訴されずに放免されました(岸 信介、笹川良一、児玉誉士夫など)。当地(東京都大田区)にゆかりある徳富蘇峰も逮捕命令対象者リストに載りましたが、老齢と三叉神経痛のために自宅拘禁となり、不起訴となりました。
BC級戦犯には、「捕虜や戦地の住人に対する虐待・虐殺の責任者とその下手人」が指定され、25,000名以上が逮捕され、2,244件の裁判があり、984名に死刑判決がおり、920名が実際に処刑されました。
また、戦犯とは別に、職業軍人、特高、憲兵、国家主義団体や大政翼賛会の有力者はもとより、海外に出先機関を持つ金融機関や開発組織の有力者、占領地の行政長官、マスコミ関係者、財界人、言論人、議員、公務員、教員にいたるまでの20万人ほどが処罰・追放されます(「公職追放」)。尾﨑ら文学者にも最後の方で令状が出たのです。
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伊丹万作 |
敗戦後のこの“戦犯ブーム”に乗じて、戦時中は自らも戦争に反対できなかったのに(戦中、反戦を唱えたらおそらく刑務所にぶち込まれただろう)、“人の戦争責任”を声高にいう人がにわかにあふれました。伊丹万作(伊丹十三のお父ちゃん)も知らず知らずに戦争責任を追及する側に組み込まれていることに気づき、「戦争責任者の問題」(青空文庫→)という一文を著しました。戦後みんな口を揃えて「
・・・「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。・・・(伊丹万作「戦争責任者の問題」より)
この“戦犯ブーム”によって、日本の軍国主義は一掃されるかに見えました。軍国主義者の排除によって左派・自由主義・民主的・労働運動勢力が伸張。昭和22年4月の総選挙(衆議院選挙)では社会党が143議席を獲得、6月には社会党、民主党、国民協同党の3党連立の内閣が誕生、翌昭和23年に芦田内閣へと引き継がれました。昭和24年1月の衆議院総選挙では、日本共産党も35議席まで議席を伸ばします。
ところが、この日本の民主勢力の伸長に脅威を感じたGHQは、日本の占領政策の根本を、対「軍国主義」から対「共産主義」へと180度転換(「逆コース」)。そんな中、昭和24年8月、共産党や労働運動を貶めるために画策された「松川事件」も起きます。
昭和25年には、中華人民共和国の毛沢東とソ連のスターリンの同意と支援を受けた北朝鮮軍が、38度線を越えて南に侵攻、「朝鮮戦争」も始まり、冷戦構造が明瞭になります。
昭和27年、「サンフランシスコ平和条約」で日本(沖縄・小笠原諸島を除く)の主権が回復(?)し、「追放令」も解除され、戦中の言行が十分に検証されないまま、追放解除者が日本の中枢に続々と返り咲きます。ここらあたりが、日本の再右傾化の源流でしょう。
「国連憲章」には第二次世界大戦で連合国に敵対した国(日本・ドイツ・イタリアなど7か国)に関する条項(「敵国条項」)があり、平成7年の国連総会で死文化しているとの決議案が採択されたものの、改正・発効には至っていません。ドイツについては、大戦後の徹底した謝罪外交を通し、今やヨーロッパのリーダーの地位を獲得、「敵国」から完全に脱した感ありですが、日本はどうでしょう? 戦前に散々に痛めつけたアジアの諸国をいまだに蔑視・敵対視し、戦前の価値観を復活させようとするアホ政治家が政権の中枢にいるうちは、世界が認めないでしょう。
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| 加藤典洋、竹田青嗣、橋爪 大三郎『天皇の戦争責任』(径書房 ) | 日暮吉延『東京裁判 (講談社現代新書) 』 |
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| 桜本富雄 『日本文学報国会 〜大東亜戦争下の文学者たち〜』(青木書店) | カール・ヤスパース『われわれの戦争責任について (ちくま学芸文庫) 』。訳:橋本文夫 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 尾﨑士郎の『空想部落』を読む→
・ 高見 順の『死の淵より』を読む→
■ 参考文献:
●『評伝 尾﨑士郎』(都築久義 ブラザー出版 昭和46年発行)P.215-221、P.286-308、P.355-356 ●『
※当ページの最終修正年月日
2025.5.22