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裁かれた戦中の言行(昭和23年5月22日、尾﨑士郎らに「政治的発言、行動を禁止する」追放令状が出る)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ポツダム宣言」第6条より。原文は英語で書かれている。哲野イサクさんの訳文を使わせていただきました。リンク:哲野イサクの地方見聞録/<参考資料> ポツダム宣言 全訳/お詫びと訂正→

 

尾崎士郎

昭和23年5月22日(1948年。 尾﨑士郎(50歳)らに 「政治的発言、行動を禁止する」 令状(「追放令状」)が出ました。2ヶ月ほど前に届いた追放仮指定通知には、「『文学部隊』『戦影日記』『文学論』『林房雄トノ対話』等ニヨル影響力甚大ナリト認ム」とありました。

上の4書は未見ですが、尾﨑と軍国的翼賛体制との関わりをいえば、昭和16年、高見 順(当時34歳)との間に「文学非力説論争」というのがありました。高見が、文学は国民を決起されるには非力であるとして、軍国的翼賛体制から距離を置こうとすると、尾﨑(当時43歳)がその弱腰を批判したのです。また、尾﨑は昭和18年から「日本文学報国会」の常務理事を務め、軍国的翼賛体制に寄与しました。

昭和17年、尾﨑が書いた『日蓮』(小学館)という小説には、元寇がらみで以下のような下りがあります。

・・・もはや、蒙古の襲来を待つときではない、進んで高麗を攻め蒙古を侵略せよ、といふ聲が民間からも湧くやうに聞えてきたのである。・・・

・・・「戦の機微はわれより先手を打つことにある。財を持つものは財を捧げよ。力を持つものは力を致して国家の難に当れ!」・・・

と。さらには、 阿仏房 あぶつぼう といえば高齢をおして佐渡から3度も身延の日蓮を訪ねたとされる人物ですが尾﨑はその阿仏房を、元寇を迎え撃つ戦場に赴かせ、「最後の死に花を咲かせていただければ身にあまる光栄に存じまする」と言わせています。歴史を捻じ曲げて、戦意を高揚したといえます。

ただし、尾﨑に“特別に犯罪的な行為”があったかというと疑問です。戦争は始まってしまっており、身近なところにも戦死者が出始め、日本の良いこと、日本の良い成果しか伝えられず、そして、いよいよヤバそうな感じが伝わってくれば、誰しも、相手国で流れる血などには毛頭思い及ばず、ただひたすらに「日本、頑張れ!」「兵隊さん、頑張れ!」になってしまうかもしれません。

敗戦後、戦時中は自らも戦争に反対できなかったのに、“戦争責任”を声高にいう人がにわかにあふれました。伊丹万作も知らず知らずに追及する側に組み込まれていることに気づき、「戦争責任者の問題」(青空文庫/伊丹万作「戦争責任者の問題」→) という一文を著しています。

・・・さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。・・・(中略)・・・つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
  このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。・・・(中略)・・・それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。・・・(中略)・・・「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
 「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。・・・(伊丹万作「戦争責任者の問題」(昭和21年8月発表))

確かに戦時は、国民のほぼ全員が多かれ少なかれ間違いを犯したのでしょう。もし当時戦争に反対したら、国策に反する、非国民(反日)と上からも下からも横からも指弾され、無事ではいられなかったでしょうし。各自がその反省に立つことこそが大事だと。

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米国、英国、中華民国が発した「ポツダム宣言」(日本への降伏要求の最終宣言)を、昭和20年8月14日、日本は受諾。その「世界征服に赴かせた影響勢力及び権威・権力は永久に排除されなければならない」との条文に従い、戦犯容疑者らを逮捕し、また、その勢力・権威として、職業軍人、特高、憲兵、国家主義団体や大政翼賛会の有力者はもとより、海外に出先機関を持つ金融機関や開発組織の有力者、占領地の行政長官、マスコミ関係者、財界人、言論人、地方議員、行政官庁の職員、地方公務員、教員にいたるまで、20万人ほどを処罰・追放したようです。尾﨑ら文学者にも最後の方で令状がでました。この大規模な逮捕・追放によって、日本の軍国主義は一掃されるかに見えました。

ところが、米国は昭和20年7月16日に「世界初の原子爆弾の実験」(トリニティ実験)に成功し、対枢軸国の政策においてソ連に協力も求める必要も少なくなり、その翌日から開かれた「ポツダム会談」(昭和20年7月17日〜8月2日。「ポツダム宣言」が表明された)あたりですでに東西の冷戦構造が顕在化しつつあったようです。

日本国内は、軍国主義者の排除によって左派・自由主義・民主的・労働運動勢力が伸張。 昭和24年1月の衆議院総選挙では、日本共産党が4議席から35議席まで議席を伸ばします。

それらを脅威に感じてか、GHQの日本の占領政策が、対「軍国主義」から対「共産主義」へと180度転換します(「逆コース」)。そんな中、昭和24年、「松川事件」も起きました。

昭和25年には、中華人民共和国の毛沢東とソ連のスターリンの同意と支援を受けた北朝鮮軍が、38度線を越えて南に侵攻、「朝鮮戦争」も始まりました。

昭和27年、「サンフランシスコ平和条約」で日本(沖縄・小笠原諸島を除く)の主権が回復(?)したことにともなって「追放令」も解除され、戦中の言行が十分に検証されないまま、追放解除者が続々と日本の中枢部に返り咲きます。占領終結後初の国会議員選挙(昭和27年10月。衆議院)では、当選者のな、なんと42%を追放解除者が占めたとか!(孫崎『アメリカに潰された政治家たち』)。現在の政治家の多くもその流れの中から出てきていると思うと油断がなりません。伊丹のいうところの「自己反省と努力」を踏まえているなら良いのですが、そうでない人も散見されるようで・・・

桜本富雄 『日本文学報国会 〜大東亜戦争下の文学者たち〜』(青木書店。平成7年発行) 柳河瀬 精(やながせ・ただし) 『告発 戦後の特高官僚 〜反動潮流の源泉〜』(日本機関紙出版センター)。小林多喜二など多くの人を死に追いやった特高官僚の戦後。教育委員長、国会議員、県知事、公安調査庁局長、警視庁長官になった人も
桜本富雄 『日本文学報国会 〜大東亜戦争下の文学者たち〜』(青木書店。平成7年発行) 柳河瀬 精やながせ・ただし 『告発 戦後の特高官僚 〜反動潮流の源泉〜』(日本機関紙出版センター)。小林多喜二など多くの人を死に追いやった特高官僚の戦後。教育委員長、国会議員、県知事、公安調査庁局長、警視庁長官になった人も

■ 馬込文学マラソン:
尾﨑士郎の『空想部落』を読む→
高見 順の『死の淵より』を読む→

■ 参考文献:
●『評伝 尾﨑士郎』(都築久義 ブラザー出版 昭和46年発行)P.215-221、P.286-308、P.355-356 ●『佐佐木茂索(随筆集)』(文藝春秋 昭和42年発行)P.355 ●『日蓮』(尾﨑士郎 小学館 昭和17年発行)P.263-267 ●『高見 順 人と作品』(石光 葆 清水書院 昭和44年初版発行 昭和46年2刷参照) P.56-58、P.80 ●『詩人 高見 順 その生と死』(上林猷夫 講談社 平成3年発行)P.282 ●『そうだったのか! 現代史(集英社文庫)』(池上 彰 平成19年初版発行 同年発行2刷参照)P.111-138 ●『アメリカに潰された政治家たち』(孫崎 享 小学館 平成24年発行)P.26

■ 参考サイト:
● ウィキペディア/・ポツダム宣言(平成28年5月15日更新版)→ ・公職追放(平成28年4月18日更新版)→ ・情報局(平成30年4月3日更新版)→ ・燃ゆる大空(平成29年9月20日更新版)→ ・武者小路実篤(平成25年4月26日更新版)→ ・ポツダム会談(平成29年3月10日更新版)→ ・冷戦(平成30年5月4日更新版)→

※当ページの最終修正年月日
2020.5.22

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