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| 燃える本門寺祖師堂から救出された日蓮像 ※クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植ライセンスで使用を許諾された写真 撮影:Noriaki Oota 出典:ウィキペディア/池上本門寺(令和2年3月6更新版)→ | 当地の大森北地区の昭和20年1月11日、5月23日、5月29日(「大森北大空襲」)の空襲による犠牲者を供養する万霊地蔵尊。「
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当地(東京都大田区)が狙われたのは、軍需産業がさかんだったからです。昭和7年には1,112箇所だった工場が、アジア太平洋戦争を日本が引き起こした昭和16年には、5倍近くの5,148箇所に跳ね上がりました。その多くが兵器製造に携わったのでしょう。遠距離無差別爆撃用の「風船爆弾」の生産拠点 「国際化学工業研究所」も蒲田にありました。
日本本土への空襲は、昭和19年11月から激化しました。昭和19年7月、米軍はマリアナ群島(サイパン島など)を制圧し大規模な航空基地を建設、さらには硫黄島を
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戦争が苦しみや恐怖だけをもたらすのならば、避けるのは簡単でしょう。しかし、戦争は、閉塞感に苦しむ人々に一時的であれ目標や興奮を与えてしまいます。シューティングゲームに興じるのと一緒です。それに、共通の敵を持つことで連帯感も強まります(スポーツ観戦でも見られる心理)。他者(他国)の痛みを想像できない人にとって、戦争は、エンターテインメントでもあるのです。
また、戦時景気で一部の人は糞儲けできるので、「経済で結果を出す」が口癖の経済第一主義者とその腰巾着は、自分や身内に被害が及ばない限りの戦争を推奨したりします。「国益が!」と叫び、仮想敵国をこしらえて「国を守る!」とかやり始めます。 あと、戦争は、威張りたい人、人を支配・コントロールしたい人、他国民や他民族を差別したい人たちにとっても垂涎ものでしょう。
戦中も当地(東京都大田区)にとどまった添田知道の『空襲下日記』(Amazon→)を読むと、前年(昭和19年)の12月末くらいまでは、空襲があっても、まだ余裕があり、人々は、まるでスポーツ観戦するように戦争に酔っていたのが分かります。敵機が墜ちるのを見て、
・・・やった。 ・・・やったぞ。巨大の29、落ちる。 まったく、落ちる。 身をもみながらのろのろと落ちる。 ぐるりとひっくりかへり、落ちてゆく。 思はず万歳を叫ぶ。 アパアト前、町会前の連中も、万歳をいふ。 見たぞ。 まざまざと見たぞ29の落ちるのを。 ・・・・のろのろと落ちる。 落下傘をひらいた。
敵機が落ちて危険が遠ざかるのを喜ぶのは当然ですが、それ以上に「幸福」「生き甲斐」を感じてしまう。添田ほどの人でも、正しい情報を得ていないとこれだけの“アホ”になってしまいます。国と一体になった報道機関は戦争遂行に都合のいいことしか国民に伝えませんでした。
戦争がいったん始まると、もう歯止めが利かず、“地獄”を見るまで突き進んでしまいます。戦争に反対しようものなら猛烈に弾圧されるでしょうし、また、戦争指導者たちは負けそうでも自分に戦争責任が及ぶくらいなら国民を道連れにしようとするかもしれません。
さすがに、空襲の“地獄”が出現し、自分や身内の命まで危ぶまれれば、自分たち本位の人たちも戦争を憎み始めることでしょう。が、もう後の祭り。
日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、アジア太平戦争、と日本が戦争を仕掛け、拡大させてきました。国民がその「加害の歴史」と「そのカラクリ」から目をそらすなら、きっとまた、同じ道を歩むことになるでしょう。
三島由紀夫が予見したように、今度戦争があるとしたら、日本人は米国の指揮下に入り、米国のため(米国に従うことで得する人たちのため)に血を流すことになるのでしょうか?
なお、日本は空襲加害国でもあることも忘れてはなりません。そのことも、学校などでの“平和教育”でちゃんと教えているでしょうか?
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| 『本土空襲 全記録』(NHK)。45万9564名の命を奪った米国による本土空襲の全容 | 上岡伸雄『東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ (ハヤカワ新書)』 |
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| 重信幸彦『みんなで戦争 〜銃後美談と動員のフォークロア〜』(青弓社) | 「戦争と青春」。原作・脚本:早乙女勝元。今井 正監督の遺作となった。重い口を開いて語る父の戦争体験は・・・ |
■ 馬込文学マラソン:
・ 小関智弘の『大森界隈職人往来』を読む→
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
■ 参考文献:
●『空襲下日記』(添田知道 刀水書房 昭和59年発行)P.29-30、P.99-100、P.124 ●『大田区史年表』(監修:新倉善之 東京都大田区 昭和54年発行)P.472-P.474 ●「本門寺公園に仮埋葬」、「兵器
※当ページの最終修正年月日
2025.4.16