佐藤玄々

佐藤玄々

さとう・げんげん。明治21年福島県相馬市生まれの彫刻家。15歳頃から宮大工の父親を手伝う。18歳で上京し山崎朝雲に師事して朝山の号を得るが、後に師弟関係を解消して玄々となる。ブールデルに師事。「和気清麻呂像」「神狗」「天女像」などで独自の抽象化・様式化を試みた。大正8〜昭和20年(26年間)当地(東京都大田区南馬込六丁目)にアトリエを構えたが空襲で焼失。昭和38年(75歳)死去する。参考サイト:ウィキペディア/佐藤玄々→

※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:福山誠之館同窓会/帝国美術学校のこと/佐藤朝山→

戻る 閉じる 「馬込文学マラソン」 のHPへ→