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小関智弘の『大森界隈職人往来』を読む(生きて立っている製品とは?) - 馬込文学マラソン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に羽田空港に触れている。

敗戦直後のこと。GHQは、同港拡張のために、羽田の3つの町(羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町)の約1,200世帯3,000人に対して、48時間以内に退去するよう命じた。「戦争に負けたのだからしようがない」と言えばそれまでだが、今や華やかかりし羽田空港。それが、元住人の多大な犠牲の上に成り立っているのを忘れてはならない、と同書は訴える。

羽田にも国際便が行き来するようになり、便数が増えたのか、または航路に変更があったのか、あるいはアンタッチャブルの米軍機なのか、真夜中も、轟音を立てて飛行機が飛ぶようになった(ような気がする)。大田区は同港を経済活性化の目玉にしようとしているようだが、あらたな“犠牲”は生まれてはいまいか?

『大森界隈職人往来』というタイトルだが、職人を描くにも、そこには舞台があり、歴史もある。羽田空港の歴史しかり、主要産業だった海苔養殖が壊滅した経緯、捕虜や戦犯の収容所だった平和島の歴史なども、職人の“背景”として語られる。

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小関氏が当地(大森)にむちゃくちゃ詳しいのは、現在にいたるまで当地に住み、当地の歴史をつぶさに見てこられたからだ。住むだけでなく、氏はこの地で51年間、旋盤工をされ、その合間に執筆の筆を執った。彼自身がタイトルにもある「職人」だったのだ。労働を描いた作家は多しといえども、彼のように長期間、労働現場に身を置いた作家はそうはいまい。

そんなだから、小関氏の、地域や労働にまつわる話には、当事者ならではの視点があり、腹にずっしりくる。

たとえば、公害問題。公害を告発した本はたくさんあるが、ここでの公害はちょっと違う。当地で草分け的存在で町づくりに一役買って来た工場が、隣にアパートが建ったことで、騒音の苦情を受けるようになって、町を追われていく。ここには“告発される側”の公害がある。訴えられる側も人間であり、やはりそこにも苦悩がある。

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こんな興味深いエピソードも紹介されている。

工場で働き始めたばかりの小関氏は、元からいる二人の職人が仕上げた製品に違いがあることに気がつく。どちらも、規定通りにきれいに仕上がっている。なのに、どこかが違う。

親方が小関氏に言う。

「そうなんだ。どっちもきれいに仕上がっている。たしかにそうなんだが、岡本のはきれいなだけなんだ。そこいくと、岸田のほうのは、品物が生きて立っている。そこがちがうんだ」

“生きて立っている”品物とは、はたしてどんなものか?−−−本書を読まれたい。どんな職業、いやもっと広く生き方、芸術、芸能、スポーツなどにも生かせる智恵がそこにある。


『大森界隈職人往来』 について

昭和56年に書かれた小関智弘氏(当時48歳)のノンフィクション作品。朝日新聞社から出版された。 第8回日本ノンフィクション賞を受賞。

小関智弘 『大森界隈職人往来 (岩波現代文庫)』
小関智弘 『大森界隈職人往来 (岩波現代文庫)』

小関智弘氏について

馬込文学圏で生まれる
昭和8年(1933年)、入新井第一小学校の横にあった魚屋「魚信(うおのぶ)」で生まれる。 7人兄弟の5番目。魚信は山王から麻布まで顧客があり繁盛していた。父方も母方も代々大森。入新井第五小学校(大森北六丁目 map→)を卒業。学校の先生に知っている言葉を褒められて国語に自信を持った。空襲で家を焼かれ極度の貧困を体験。

旋盤工と作家の二足のわらじ
戦中から都立大学付属工業高等学校普通科に在籍。戦後、学校の文芸雑誌に小説を発表するようになった。ロマン・ローランの小説に感化される。原水爆禁止の署名集めをして教師とぶつかることもあった。卒業後、品川、馬込、大森、蒲田、糀谷こうじや、六郷、下丸子しもまるこ などの町工場で旋盤工をしつつ、小説やエッセイを執筆。以後51年間、旋盤工をしながら執筆する。 昭和31年頃(23歳頃)、近所の工場労働者、商店員、主婦などと手書きの同人誌「塩分」を発行。そこに載せた『ファンキー・ジャズ・デモ』で認められた。毎月1冊の本について語り合う読書会を持ち、現在に到る(平成27年現在)。

当地を舞台にした『錆色の町』(昭和52年)、『地の息』(昭和54年)、『羽田浦地図』(昭和54年)、『祀る町』(昭和56年)で高く評価され、前者2作は直木賞候補、後者2作は芥川賞候補となる。

敗戦後GHQによって破壊された当地の3つの町(「羽田江戸見町」「羽田穴守町あなもりちょう」「羽田鈴木町」)について書いた『羽田浦地図』は、昭和59年、NHKでドラマ化され、近年DVDにもなる。*

物作りに関わる著作も多数。

小関智弘 『働きながら書く人の文章教室 (岩波新書) 』 小関智弘 『どっこい大田の工匠たち ―町工場の最前線』
小関智弘 『働きながら書く人の文章教室 (岩波新書) 』 小関智弘 『どっこい大田の工匠たち ―町工場の最前線』
小関智弘 『粋な旋盤工 (岩波現代文庫)』 小関智弘 『東京大森海岸 ぼくの戦争』(筑摩書房)
小関智弘 『粋な旋盤工 (岩波現代文庫)』 小関智弘 『東京大森海岸 ぼくの戦争』(筑摩書房)

小関智弘さんと馬込文学圏

生まれも育ちも職場も現在の住所も全て馬込文学圏。

「アカハタ」の配達をしているとき配達先の泡盛屋「河童亭」を知り、常連となる。河童亭に置いてもらった文学同人誌「塩分」に掲載された『ファンキー・ジャズ・デモ』を、店の常連の久保田正文が認め、彼の手で「新日本文学」に掲載された。野間宏が16枚にもわたる批評を書いたという。河童亭の常連大垣肇(大森で書店を経営しながら戯曲を書いていた人。サトウハチローや佐藤愛子と腹違いの兄妹)とも知り合い、演劇にもかかわる。河童亭での出会いが文学的ジャンピングボードになったようだ。

善慶寺(山王三丁目 map→)の本堂で活動していた「わかくさコーラス」のリーダー栄子夫人と結婚。大垣夫妻が媒酌した。

現在、善慶寺の近くに住んでおられる。善慶寺は義民六人衆ゆかりの寺。氏の『祀る町』に義民六人衆のことが出てくる。

作家別馬込文学圏地図 「小関智弘」→


参考文献

●『大森界隈職人往来』(小関智弘 朝日新聞社 昭和56年発行 昭和56年3刷参照)P.10-12、P.29、P.32、P.72-73、P.94 ●『羽田浦地図<新装版>』(小関智弘 現代書館 平成15年発行)P.41-152 ●「わが町あれこれ 第2号」(編・発行:城戸 昇 あれこれ社 平成6年発行) P.10-12 ●「いつもそばに本が」(小関智弘)※平成15年3月「朝日新聞」に3回連載 ●「小関智弘『祀る町』 〜大田区・大森北周辺〜(東京物語散歩)」(堀越正光)※平成21年6月10日「朝日新聞」掲載


参考講演

●講演会「町工場 〜大田区のもう一つの顔〜」(小関智弘 平成27年12月28日薬師堂<山王三丁目 map→>にて)


参考サイト

COMZINE/小関智弘さん→
とんとん・にっき/元旋盤工・小関智弘さんのお話を聞く!→


※当ページの最終修正年月日
2020.9.20

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