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歴史・文化・伝統を守る(昭和45年11月25日、三島由紀夫と森田必勝、死去する)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和45年11月25日の三島由紀夫 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 作者:ANP scans 8ANP 222 出典:ウィキペディア/三島由紀夫(平成27年11月23日更新版)→

 

昭和45年11月25日(1970年。 三島由紀夫(45歳)が、 「盾の会」の4人と東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地(東京都新宿区市谷本村町5−1 map→)で、益田兼利総監を人質にして、総監室前のバルコニー前に800人もの自衛隊員を集め、演説を強行しました。

彼は何を訴えたのでしょう?

演説の際、バルコニーからまかれた「げき 」を見てみましょう。(全文:四国の山なみ/特別読物/三島由紀夫割腹余話→)。

 われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流した我々の汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆ちくした。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈りんれつ の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

三島は昭和42年(42歳)から数度、自衛隊に体験入隊しています。そして、自衛隊に「真の日本」を見るようになったようです。

 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本おおもと を忘れ、国民精神を失ひ、もとを正さずにしてすえに走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
 政治は矛盾の糊塗こと、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計たいけいは外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を けが してゆくのを、歯噛はが みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを見た。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名前を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の 頽廃 たいはい の根本原因をなして来てゐるのを見た。

エコノミック・アニマルに成り下がって、国の歴史と伝統を自ら汚しても平気な日本人。その中で唯一打算なく、唯一精神(魂)が残る自衛隊。その自衛隊の存在が違憲であることを指摘し、それを「道義の頽廃の根本」としました。昭和21年の「芦田修正」によって、「自衛のための戦力保持は可能」と読めるようになりましたが、今でも、9条第2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」の「戦力」に自衛隊が該当するとして「自衛隊は違憲である」とする人がいるようです。昭和48年の「長沼ナイキ基地訴訟」(一審)でも自衛隊は違憲という判決が出ました。ならば、自衛隊を憲法にきちんと位置づける必要があるのかもしれません。「憲法の三原則(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)」を壊す「 壊憲かいけん」ではなく、自衛隊を位置づけ、解釈で憲法の三原則がねじ曲げられないように文を補ってその理念をより明瞭にする「加憲かけん 」です。

現在、改憲すべきと主張している人の何パーセントが、現憲法の精神を尊重しているでしょう。安倍晋三氏は現憲法を「みっともない憲法」と見下しました。集団的自衛権が認められて、三原則にも大きな傷ができました。強行採決を平気で行なう彼ら多数派の土俵にのって改憲論議すれば、さらなる「壊憲」につながりかねません。

 もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質な欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

「歴史・文化・伝統」(国体)が大切にされて国は成立するということでしょう。そして、自衛隊はその国体を守る国軍たれと。この昭和45年には「よど号ハイジャック事件」がありました。中国では、4年前の昭和41年から文化大革命となり、数十万人が粛清されつつあり、多くの文化財も破壊されつつありました。三島は当時その状況を批判し得た数少ない1人です。三島は、自国のことに限らず、、、、、、、、、 、そういった権力や暴徒による暴力と“伝統破壊”を批判しました。

前年(昭和44年)5月13日の三島と東大全共闘との公開討論で、三島は「君たちが天皇とさえ言ってくれれば手をつなごう」 と言いました。学生らの打算のない精神は認めたのです。日本の歴史・文化・伝統と軌を一にした天皇を認めるのなら、手をつなごうと。

げき 」はその後やや冗長なので要約すると、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」のが国軍の本義であるとし、1年ほど前の昭和44年10月21日の「国際反戦デー」で共産主義者(日本共産党は六全協で武装を放棄した)が暴動を起こせば、警察だけでは手におえず自衛隊の治安出動となって、国軍としての本義が顕現すると期待したが、不発に終わった、と語られます。そして、自衛隊の存在の本義があいまいな状態に甘んじるのかと隊員に発破をかけています。 民主的軍隊はシヴィリアン・コントロールされるといっても「人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用される」までで、自らが自らの存在の本義を自覚せよと。「核停条約(部分的核実験禁止条約か)」も、「五・五・三の不平等条約」(史上初の軍縮会議「ワシントン会議」(大正10~11年)で締結された米・英・仏・日の「四カ国条約」のことか。多大な対英債権をもつ米国が主導したこの条約によって、日英同盟は破棄となり、日本の主力艦の保有量は米・英の60%に制限された)と同じ不平等なもので、強国のいいなりなのに、物申す者はいないのかと叱っています。そして、以下のように予言。

沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か?
 アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。

今も米軍が沖縄を中心に駐留し続けています。米国は日本政府に相談しないで駐留軍を自由に動かすことができ、また、有事の際は、自衛隊が米軍の指揮下に入る密約まで日米間で交わされているとのこと(「ナッシュ・レポート」の基礎資料や指揮権密約)。三島の指摘通り、自衛隊は「アメリカの傭兵」なのでしょうか。憲法を米国からの押し付けと主張する人たちが、こういった対米従属には目をつむるのが不思議です。三島が言う通り「矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善」なのでしょうか。

そして「 げき 」は以下の文で括られます。

 共に起つて義のために共に死ぬのだ。
 日本を日本の 真姿 ますがた に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。
 もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

演説のあと、三島は、同志の森田必勝まさかつ (25歳)とともに、「打算のない愛国心」を切腹という究極の形で表現します。三島はやはり最期まで表現者でした。

三島由紀夫『文化防衛論(ちくま文庫)』 鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ! (岩波ブックレット)』。著者は三島とともに散った森田必勝の友人。民族主義団体「一水会」の元最高顧問。三島文学の理解者でもある
三島由紀夫『文化防衛論(ちくま文庫)』 鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ! (岩波ブックレット)』。著者は三島とともに散った森田必勝の友人。民族主義団体「一水会」の元最高顧問。三島文学の理解者でもある

■ 馬込文学マラソン:
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→

■ 参考文献:
●『三島由紀夫研究年表』(安藤 武 西田書店 昭和63年発行) P.194-195、P.328-336  ●『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 集英社インターナショナル 平成26年初版発行 平成27年9刷参照)P.8-88

■ 参考サイト:
ウィキペディア/檄 (三島由紀夫)(平成28年6月1日更新版)→
ウィキペディア/長沼ナイキ事件(平成26年8月6日更新版)→

※当ページの最終修正年月日
2018.11.25

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