
昭和45年11月25日、三島由紀夫は自衛隊員たちに決起を促す。しかし、隊員たちの多くは「このヤロー!」「チンピラ!」「英雄気取りしやがって!」「下に降りてこい!」とヤジを飛ばすのみだった。その後、三島と森田必勝は腹を切って自裁 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 オランダ国立公文書館とSpaarnestad Photoから、パートナーシッププログラムの一環として寄贈された写真
昭和45年11月25日(1970年。
三島由紀夫(45歳)が、 「盾の会」の4人と自衛隊駐屯地(東京都新宿区市谷本村町
5-1 Map→)で、
益田兼利総監(57歳)を人質にして、総監室前のバルコニー前に800人もの自衛隊員を集め、演説を強行しました。「三島事件」と呼ばれるものです。
三島は自衛隊員たちに何を訴えたのでしょう?
演説は途切れ途切れにしか残っていませんが、バルコニーから撒かれた「檄
」は残っており、その内容を知ることができます。「檄」は、
われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。・・・
で、始まります。三島は昭和42年(42歳)から数度、自衛隊に体験入隊し、そこで「一片の打算もない教育」を受け、柵外ではすでに失われた「真の日本」を自衛隊に見出しました。
・・・(中略)・・・われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずにして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜
してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを見た。・・・
経済第一(金儲け第一主義。他は蹴落としてよい主義。なんちゃらファースト主義)、その場しのぎ、偽善、保身、権力欲、ごまかしによって汚された日本を、「真の日本」に戻すため、銭勘定抜きで価値を追求し、その場しのぎでない長期的な展望を持ち、嘘をつかず、ごまかしもせず、自らの保身や権力保持を度外視できる人が国をリードすべきと三島は考えます。その矜持が残っている自衛隊がその中心にふさわしいと考えました。
次に、憲法9条のことが出てきます。中心となるべき自衛隊が、憲法上、 違憲状態にあると考え、嘆いています。
・・・(中略)・・・しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名前を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。・・・
9条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあるのに、自衛隊が「戦力」を保持しているのは、「御都合主義の法的解釈」によるごまかしであると三島は考え、自衛隊が国軍たり得る憲法改正が必要と考えました。
9条は「パリ不戦条約」の崇高な理念に基づいたものでしたが、連合国側には「戦争大好き国家・日本」(日清戦争しかり、日露戦争しかり、満州事変からアジア太平洋戦争にいたる諸戦闘しかり)から軍備を取り上げるといった切実な目的もありました。ところが、冷戦構造が明らかになり、国連軍の編成も難しくなって、そして、昭和25年に朝鮮戦争が勃発。米国は一転して、日本(吉田 茂首相)に7万5千人もの再軍備を許可したのです。米国は日本を共産主義の防波堤にしようと考えるようになりました。そして、できた「国家警察予備隊」が自衛隊の前身です。 9条には連合国側の危機感が反映されており、自衛隊には米国の都合が反映されています。
三島はシヴィリアン・コントロールに対しても否定的で、党利党略の政治家によって自衛隊の自律性が奪われているとしました。しかし、どうでしょう、三島が思い描くような、嘘・ごまかし・打算を一切拒絶するような清廉な人物が自衛隊のトップに常にあり続けることなど可能でしょうか、はなはだ疑問です。背後には米国もいるのです。自衛隊を持ち上げた三島も、実は自衛隊に絶望もしていました。
・・・(中略)・・・核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。
と。続けて、
・・・沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か?
アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。
三島の“予言”は当たりました。今も米軍は沖縄を中心に駐留(占領)し続けています。米国は日本政府に相談しないで駐留軍を日本国内で自由に動かすことができるのです(そのことを知っている日本人はどのくらいいるでしょう?)。 さらには、有事の際は自衛隊が米軍の指揮下に入る密約まで日米間で交わされているのです(「ナッシュ・レポート」の基礎資料や指揮権密約)。日本は本当に独立国家なのでしょうか? 米国から憲法を押しつけられたと目を剥
く人たちが、こういった日本政府の米国への追随には目をつむるのが不思議です(実は不思議でも何でもない)。三島が言う通り「矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善」なのでしょう。
「檄」は以下の文で終わります。
・・・共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
そこまで自衛隊員に期待しました。当然、自衛隊員はそんなレベルには到底達しておらず、多くの隊員は三島の呼びかけに対して嘲笑とヤジで応えました。
演説のあと、三島は、同志の森田
必勝(25歳)とともに、「打算のない愛国心」を切腹という究極の形で表現。三島は最期まで、誰も真似できない表現者でした(法に触れる行為ではありましたが)。
自裁の7日前(昭和45年11月18日)、当地の三島邸(東京都大田区南馬込四丁目32-8 Map→)で、三島は最後の対談をしています。対談相手は、マルクス主義・民主主義の立場から文芸評論した古林 尚です。古林が、「文化防衛の要としての天皇」という考え方や、三島が作った民兵組織「盾の会」などは、軍国主義化や、徴兵制実施のために利用されるのではと問うと、三島は、
ぼくはぜったい利用されませんよ。いまの段階に極限して見れば、それは利用とも言えるでしょう。彼らはいま、ぼくを利用価値があると思っていますよ。しかし、まあ長い目で見てください。ぼくはそんな人間じゃない。
と答えています。三島は純粋を鋭く志向した人なので、少しでも打算がある人たちは、まあ、利用しきれないでしょうし、第一、三島の考える憲法改正は、米国から真に独立するためのもの。米国を笠に着て、他国に圧力をかけようという人たちが企む憲法改悪とは真逆です。米国から独立できていない現在の状態で9条を変えようものなら、米国が始める戦争に自衛隊はホイホイと「傭兵」として参加することになるでしょう(軍事産業や建設業(破壊された街を再建する際大儲け)が儲かるし)。
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| 三島由紀夫『文化防衛論(ちくま文庫)』 |
中村彰彦『烈士と呼ばれる男 〜森田必勝の物語〜』(文藝春秋) |
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| 鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ! (岩波ブックレット)』。著者は森田必勝の友人。民族主義団体「一水会」の元最高顧問であり、三島(文学)の理解者でもある。岩波が真正右翼の本を出す時代になった |
矢部宏治 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)。「原発」から生み出される核弾頭の原料(プルトニウム)。「米軍基地」は、再軍国主義化が懸念される日本に突きつけられた匕首
か!? |
■ 馬込文学マラソン:
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
■ 参考文献:
●『三島由紀夫研究年表』(安藤 武 西田書店 昭和63年発行)P.194-195、P.328-336 ●『五衰の人 〜三島由紀夫私記〜』(徳岡孝夫 文藝春秋社 平成8年初版発行 同年発行2刷参照)P.218-219、P.236-237 ●「檄」(三島由紀夫)(小さな資料室→) ●『戦後史の正体(「戦後再発見」双書)』(孫崎
享)P.110 ●『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 集英社インターナショナル 平成26年初版発行 平成27年9刷参照)P.206、P.269-270 ●『決定版 三島由紀夫全集40』(新潮社 平成16年発行)P.753(古林 尚との対談)
※当ページの最終修正年月日
2024.11.25
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