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対米自主か、対米追随か(昭和26年9月8日、「対日講和条約」締結される)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和26年9月8日、(1951年。 「対日講和条約」(「サンフランシスコ平和条約」「日本国との平和条約」)に、49カ国が調印し、日本の主権が国際社会から認められました。

昭和20年8月14日、無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」の受諾を昭和天皇が決め、米軍の占領が始まり、その後約6年間の占領期間をへて、日本はようやく“独立国家”としての道を歩むこととなります。

第二次世界大戦・アジア太平洋戦争終結後、米国(GHQ)は、日本の軍国主義の解体に注力しましたが、世界的に共産勢力がにわかに伸長し、冷戦構造が明瞭になって、対日政策を大きく変えます(「逆コース」)。

昭和24年には中国共産党が国民政府を追い出して中華人民共和国を建国、昭和25年には中ソ友好同盟相互援助条約が締結され、昭和26年にはソ連軍が供与した武器で武装した北朝鮮軍が38度線を突破、韓国に侵攻しました(「朝鮮戦争」の始まり)。共産主義国家と地理的に近い日本もその勢力下に入るのを米国は危惧し(GHQによる占領が続いて、日本国内にも反米ムードが高まってきた)、日本を主権国家に戻し、自由主義国家の一員として、共産主義の防波堤としての役割を担わせようと米国は考えるようになります。米国の要請により、「警察予備隊」(「自衛隊」の前身)が創設され、日本の再軍備も始まりました。追放(パージ)されていた戦前・戦中の軍国主義者も解放し、彼らを要職に返り咲かせて、反共政策に利用したのです。それらの人たちが、現在にも連なる反共主義者の源流です。

そして、講和は急がれ、昭和26年「対日講和条約」が締結されたのです。

冷戦構造がすでに抜き差しならない状態になってきていたので、講和会議に中国は招待されず、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアの共産主義の3カ国は招待されましたが調印を拒否(ソ連は日本の再軍備制限を盛り込んだ修正案を提出したが拒否された)、「全面講和」(第二次世界大戦で日本の交戦国だった全ての国との講和。安倍 能成よししげ和辻哲郎、清水幾太郎いくたろう、丸山真男まさお、桑原武夫、羽仁はに五郎、大内兵衛おおうち・ひょうえ 、中野好夫、矢内原忠雄らが声明を出した)には至らず、禍根を残すこととなります。日本の侵略戦争で多大な被害を被った中国や朝鮮を代表する政府は「対日講和条約」に招待されなかったのです。世界中の国々と協和するといった新憲法の理念から早くも外れ、中立国家ではなく、親米的な国家として日本は再出発することとなったのです。

「対日講和条約」が締結された日に、日米2国間だけで「安全保障条約」(安保条約。旧安保条約)も締結されました。これによって、米軍は日本に駐留し続けることになります。どこに基地を置くか、どれだけの兵力を置くか、どれだけの期間置くか、また、有事の際に日本との事前協議が必要かといった条文を欠くもので、米国は日本のあらゆる場所に、望む兵力を、望む期間、置くことができ、また有事の際、事前に日本と協議しないでそれを運用することができるようになってしまいます。双方が署名した場所は、「対日講和条約」と同じサンフランシスコでも、米国陸軍第六軍基地内の下士官クラブ(士官クラブではなく 士官クラブ)といった国同士が条約を結ぶにふさわしからぬ場所で、署名した人も米国側は4人で、日本側は吉田 茂首相1人とバランスを欠きました。当時外務次官を務めた寺崎太郎の言葉を借りれば「『敗戦国』としての身のほどを知らせる」ものだったのです。

翌昭和27年には、「安全保障条約」の第3条(細目決定についての条文。「細目決定は両国間の行政協定による」)に基づき、「日米行政協定」(後の「日米地位協定」)もできます。その17条で米軍の治外法権(その国の法律の支配を受けない特権)が認められ、その9条で米国将兵・軍属の住民登録が免除され、彼らは出入国管理の対象外となり、日本サイドからその人数すら把握できなくなりました。また、有事の際、自衛隊が在日米軍の指揮下に入ることも約束されます(「統一指揮権密約」。昭和27年と昭和29年に、吉田首相が米国に口頭で約束。米国の公文書に残っており、条約と同じ効力をもつ)。

「日米地位協定」をいかに運用するかの会議が「日米合同委員会」で、在日米軍のトップと日本の官僚とによって、現在も月2回、「ニュー山王ホテル」(東京都港区南麻布四丁目12-20 Map→)などで行われているようです。「条約」は国会の審議が必要ですが、「協定」はその必要がないので、米軍に関することはここでなんでも決めることができ、さらには議事録もほぼ公開されていません。ここで決まったことは「高度な政治性」(昭和34年の砂川事件の最高裁判決で問題になった文言)を帯びるものとして、「日本国憲法」よりも優越すると考えられます。本当に日本は独立国家になったのでしょうか?

こういった「対米追随」の構図は、占領直後からのもので、現在ますます強固になってきてますが、多くの日本人がそれに気づいていないようです(気づかないので強固になっているとも言える)。また、気がついても、多くの場合、「米国に守ってもらっているのだから」とその構図を許容してしまうようです(近隣諸国全てと真っ当な外交をすれば、米国に守ってもらう必要はなくなる。もちろん米国とも友好関係を保ちつつ)。そして、国の独立性は毀損され続けています(いつも米国のてのひらの内というわけ)。

その構図に疑問を持たない方が、政治家としても、官僚としても、経済人としても、マスコミ人としても、その他の全ての一般人としても、波風立てずに生きやすいようになってしまっています。その構図の中で一定のポジションを得ている人たちは、その構図を保持するため、その構図に疑問が持たれないよう、人々が社会の仕組み(仕掛け)や政治に関心を向かないよう(そして、選挙にも行かないよう)、「サーカス」(スポーツ、芸能、グルメなど)を ちまたにあふれさせています。

本来なら、日本の独自性や独立性を尊重するはずの「右翼」(右派)がこの構図に一番疑問を持つはずですが、日本の場合、事態が全く逆です。彼らの多くは右派という言葉を隠れみのにしてますが、右派でもなんでもありません。対米追随の中であぐらをかいているだけです。彼らのことを「ウヨ」(ニセモノの「右翼」(右派))と呼んで、真正「右翼(右派)」と区別した方がいいでしょう。「またサヨク(左翼)かよ〜」が「ウヨ」の口癖ですが、彼らがけなすところの「サヨク(左翼)」の方が、よっぽど右寄り(日本の独自性や独立性を尊重する人たち)であることに、多くの人がようやく気付き始めています。

三島由紀夫は、50年以上も前から、この「対米追随」の構図を問題視し、世に訴えていました三島が昭和44年5月13日に示唆したように、真正「右派」と、「左派」(人権と自由と平和を尊ぶことを教わってきた人たち)とが手を結ぶことができれば、日本も真に独立する道を歩み始めるかもしれません。

半藤一利『昭和史 〜戦後篇〜 (平凡社ライブラリー)』。米国といっても、GHQといっても一枚岩でない。GHQ内で、日本の民主化の中心にたった「民政局」(GS)と、戦前、侵略戦争を推進した日本の軍国主義者を利用した「参謀第2部」(G2)の主導権争いがあった 孫崎 享『戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)』(創元社)。「対米自主」か「対米従属」か、その2つの勢力の相克から、戦後日本を読み解く。「対米追随」の吉田 茂、中曽根康弘、小泉純一郎・・・、「対米自主」の重光 葵、石橋湛山、芦田 均、田中角栄、鳩山由紀夫・・・
半藤一利『昭和史 〜戦後篇〜 (平凡社ライブラリー)』。米国といっても、GHQといっても一枚岩でない。GHQ内で、日本の民主化の中心にたった「民政局」(GS)と、戦前、侵略戦争を推進した日本の軍国主義者を利用した「参謀第2部」(G2)の主導権争いがあった 孫崎 享まごさき・うける『戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)』(創元社)。「対米自主」か「対米従属」か、その2つの勢力の相克から、戦後日本を読み解く。「対米追随」の吉田 茂、中曽根康弘、小泉純一郎・・・、「対米自主」の重光 葵、石橋湛山、芦田 均、田中角栄、鳩山由紀夫・・・
梅林宏道『在日米軍 〜変貌する日米安保体制〜 (岩波新書) 』 山本章子『日米地位協定 〜在日米軍と「同盟」の70年〜 (中公新書) 』
梅林宏道『在日米軍 〜変貌する日米安保体制〜 (岩波新書) 』 山本章子『日米地位協定 〜在日米軍と「同盟」の70年〜 (中公新書) 』

■ 馬込文学マラソン:
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→

■ 参考文献:
●『【図説】太平洋戦争』(編:池田 清、著:太平洋戦争研究会(平塚柾緒、森山康平) 河出書房新社 平成7年初版発行 平成13年発行12刷)P.132-139 ●『昭和史(戦後篇)』(半藤一利 平凡社 平成21年初版発行 同年発行6刷)P.317、P.332-341 ●『戦後史の正体 〜1945-2012〜』(孫崎 享 創元社 平成24年初版発行 同年発行2刷)P.75-78、P.116-130 ●『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 集英社インターナショナル 平成26年初版発行 平成27年発行9刷)P.40-50、P.72、P.274-275

※当ページの最終修正年月日
2023.9.8

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