芦田 均あしだ・ひとし。明治20年京都生まれの政治家。帝大法科を卒業後外交官をへて政界に。戦前から、軍部の言いなりの政府とその翼賛政策を批判、リベラルを貫く。戦後、「日本国憲法」九条に「芦田修正」をし自衛のための戦力保持を可能にする。昭和23年(60歳)、片山 哲の連立内閣を継ぎ内閣総理大臣に。7ヶ月後「昭電事件」で失脚。当地(東京都大田区山王一丁目)に邸宅があった。昭和34年(71歳)死去。参考サイト:ウィキペディア/芦田 均→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/芦田均(平成25年11月14日更新版)→ |