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“熱情”と“熱情”(昭和44年5月13日、三島由紀夫と東大全共闘が討論)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三島由紀夫 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/三島由紀夫(平成27年5月12日更新版)→

 

昭和44年5月13日(1969年。 東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区駒場三丁目8-1 map→)900番教室で、三島由紀夫(44歳)と東大全共闘の幹部との公開討論がありました。

三島は、警視庁や「楯の会」のメンバーからの警護の申し出を断り、殺気立った左派学生がうじゃうじゃいる会場に、単身やってきました(三島に内緒で、何かあったら飛び出せるよう、「楯の会」の森田必勝(23歳)や私服刑事が前の方に潜んでいた)。現在、右派と呼ばれる人で、こんなことができる人っているでしょうか?

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敗戦後、学生運動が復活。多くの学生が、大学の民主化、米軍基地拡張反対(砂川闘争<昭和30年~>支持)、ベトナム戦争(昭和30-50年)反対、日米安保条約改定反対(60年安保闘争。70年安保闘争)の立場を取りました。当地(東京都大田区羽田)であった「ハガチー事件」(昭和35年)や、「羽田事件」(昭和42年)も、そのうねりの中で起きます。

昭和43年には、派閥や大学を超えた全共闘(全学共闘会議)という運動形態が登場、大学の約8割にあたる165校が参加、昭和44年正月を、30を越える大学がバリケード封鎖したままで迎えるという、たいへんな盛り上がりをみせます。

全共闘のなかでも、特に活発だったのが、東大全共闘と日大全共闘。東大全共闘は、安田講堂を占拠し、全学部をバリケード封鎖、大河内一男おおこうち・かずお 総長と全学部長を辞任に追いやります。しかし、バリケード封鎖のまま迎えた昭和44年正月(1月)の18~19日に、機動隊が導入されて封鎖解除、たくさんの東大生が逮捕されました(「安田講堂事件」)。「安田講堂事件」を含む東大紛争では計767人が逮捕されたとのこと。昭和44年度の東大入試は中止になりました。世界のどこかで政治的紛争によって何人死のうが、それに日本が関わっていようが、どこ吹く風といった感じの、今の多くの東大生からは想像できませんね?

三島が東大にやって来たのは、「安田講堂事件」の約4ヶ月後。事件以後、運動が急速に退潮したものの、ほとぼりが冷めきらぬ中、東大全共闘主催の「焚祭」に三島は招かれてやってきました。

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この公開討論の中で三島は、 「思想と知識だけでこの世に君臨している知識人の自惚れた鼻を叩き割った」 として学生運動を評価、 「君たちが天皇とさえ言ってくれれば手をつなごう」 とさえ言いました。

下の映像はその時のものです。

4分10秒あたりで、赤ちゃんを肩車して登場するのが、全共闘の幹部でスター的存在だった芥 正彦さん(当時23歳。「全共闘C」。彼と三島のやり取りが面白いです。

三島は、歴史や伝統といった枠組みの中に自分を置き、 “日本人” であることを積極的に認める立場を表明。一方、芥さんは、そういった「関係性」を重視することで “歴史にやられ” “人殺しになる(戦争に巻き込まれて人を殺すという意味か)”と主張、無国籍人たろうとします。二人とも重要なことを言っているように思います。

興味深いのは、三島と東大全共闘が単純に敵対しているわけでなく、また、東大全共闘内でも意見を真摯にぶつけ合っている点。映像にもありますが、「全共闘D」(非常に優れた人のように思うが、後に自殺)の「関係を捨象して論を立てたところで観念のお遊び」といった発言などは、むしろ三島に近いと思いますし、会場からも大きな拍手がありました。

三島は討論会の最後のほうで、

・・・他のものはいっさい信じないとしても、諸君の熱情は信じます・・・

と言いました。むろん三島にも“熱情”があったでしょう。情熱を正直さとか、正義感と言い換えることができるかもしれません。“熱情”は、今や大流行の(?)「打算」「保身」「従属」「嘘」「詭弁」「忖度」「金」「事なかれ(「みんな仲良く」「みんなを癒したい」「みんなを愛しているよ〜」「両論併記」「どっちもどっち」とかいった形で現れることも)」などとは無縁でしょう。

三島由紀夫、東大全共闘 『美と共同体と東大闘争 (角川文庫)』 『三島由紀夫 vs 東大全共闘 〜1969-2000〜』(藤原書店)
三島由紀夫、東大全共闘 『美と共同体と東大闘争 (角川文庫)』 三島由紀夫 vs 東大全共闘 〜1969-2000〜』(藤原書店)
伴野準一『全学連と全共闘 (平凡社新書)』 柴田正美、茜 三郎『全共闘』(河出書房新社)
伴野準一『全学連と全共闘 (平凡社新書)』 柴田正美、茜 三郎『全共闘』(河出書房新社)
小阪修平『思想としての全共闘世代 (ちくま新書) 』。著者の小阪氏は、上の映像で出てくる「全共闘E」 『激論‐全共闘 俺たちの原点 〜君たちは命を燃やしたことがあるか!!〜』(講談社)。中上健次、鈴木邦男、立松和平、田原総一郎ほか
小阪修平『思想としての全共闘世代 (ちくま新書) 』。著者の小阪氏は、上の映像で出てくる「全共闘E」 『激論‐全共闘 俺たちの原点 〜君たちは命を燃やしたことがあるか!!〜』(講談社)。中上健次、鈴木邦男、立松和平、田原総一郎ほか
菅野 完 『日本会議の研究 (扶桑社新書) 』。日本会議に関する論考。その起源をたどると、全共闘による長崎大学のバリケード封鎖を、「成長の家」学生信徒グループが排除した「長崎大学学園正常化」がある(昭和44年5月。「三島 vs 全共闘」の討論があった月) 三島由紀夫 『若きサムライのために (文春文庫) 』。全共闘との討論の2ヶ月後(昭和44年7月)に出版。「若きサムライのための精神講話」12項の他、評論「お茶漬ナショナリズム」「東大を動物園にしろ」、政治学者・猪木正道との対談「安保問題をどう考えたらよいか」などを収録
菅野 完 『日本会議の研究 (扶桑社新書) 』。日本会議に関する論考。その起源をたどると、全共闘による長崎大学のバリケード封鎖を、「成長の家」学生信徒グループが排除した「長崎大学学園正常化」がある(昭和44年5月。「三島 vs 全共闘」の討論があった月) 三島由紀夫 『若きサムライのために (文春文庫) 』。全共闘との討論の2ヶ月後(昭和44年7月)に出版。「若きサムライのための精神講話」12項の他、評論「お茶漬ナショナリズム」「東大を動物園にしろ」、政治学者・猪木正道との対談「安保問題をどう考えたらよいか」などを収録

■ 馬込文学マラソン:
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→

■ 参考サイト:
・ ウィキペディア/●討論 三島由紀夫 vs. 東大全共闘 〜美と共同体と東大闘争〜(平成26年5月6日更新版)→ ●日本の学生運動(平成26年4月21日更新版)→ ●全学共闘会議(平成29年2月12日更新版)→ ●東大紛争(平成28年5月23日更新版)→ ●全国学生自治体連絡協議会(平成29年5月8日更新版)→

鈴木邦男をぶっとばせ!/あの場所で、「東大全共闘vs三島」が再現された!→

電源を入れてください ~都会ノォト~/ヤッパリ→
今この時&あの日あの時/東大全共闘スターだった人のこと→

※当ページの最終修正年月日
2019.5.13

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