{column0}


(C) Designroom RUNE
総計- 本日- 昨日-

{column0}

“絶対化”に抗する(三島由紀夫の『喜びの琴』、上演中止となる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

三島由紀夫

昭和38年11月21日(1963年。 文学座の戌井いぬい市郎理事(47歳)が、当地の三島由紀夫の家(東京都大田区南馬込四丁目32-8 Map→)を訪れ、三島の戯曲『喜びの琴』Amazon→の上演が団員の意向で保留になったことを三島(38歳)に伝えました。三島はいっそ上演中止になることを望み、戌井が承諾。翌日(11月22日)三島は、昭和27年から約11年間続いた文学座との関係を断ちます。

文学座では『喜びの琴』の稽古に入っていたのに、なぜ、そんなことになったのでしょう?

同作に反共(反共産主義)的な台詞があり、一部の劇団員にはそれが耐え難たかったようです。この戯曲は警察署の一室が舞台ですが、そこに登場する片桐という公安の若い巡査が次のように語ります。

片桐:(村松の目くばせに気づかず)わかり切つてるぢやありませんか。国際共産主義者の陰謀ですよ。あいつらは地下にもぐつて、世界のいたるところに噴火口を見つけようとうかがつてるんです。世界中がこの火山脈の上に乗つかつてるんです。もしこのほしいままな跳梁ちょうりょうをゆるしたら、日本はどうなります。(いよいよ激して)日本国民はどうなります。日本の歴史と伝統と、それから自由な市民生活はどうなります。われわれがガッチリ見張つて、奴らの破壊活動を芽のうちに摘み取らなければ・・・(三島由紀夫『喜びの琴』より)

そして、作中、電車転覆事故が起こりますが、右翼系の人の仕業と思われるように共産系の人が仕組んだ陰謀だったというオチです。特にここが問題となったのでしょう。

実は、3ヶ月ほど前(昭和38年9月)、14年という長い裁判闘争をへて「松川事件」の裁判が結審、告訴された人たち全員の無罪が確定したばかりだったのです。「松川事件」は、GHQ・政府(第3次吉田 茂内閣)・警察・検察・司法がグルになって、共産系の人や労働組合員を陥れようと仕組んだ権力犯罪だったのです(昭和45年、国は原告に賠償金を払い罪を認めた)。

三島はその判決を嘲笑うような、または誤解を招くような表現を『喜びの琴』でしたのです。そして、文学座の一部の座員が涙ながらにこの脚本を拒絶した。

共産主義と血

座員の心情も理解できますが、三島が共産主義(特に国際共産主義)を嫌悪したのにも理由がありました。

この時期、共産国をかたるソ連と中国がとんでもないことになっていたからです。ソ連は、7年前(昭和31年)、フルシチョフ(61歳)がスターリン(没後約3年)らがおこなった大粛清を公表、日本でも知られるところとなっていました。

中国についても、三島の“予見”が当たり、3年後の昭和41年、「文化大革命」が起きます。毛 沢東思想を信奉する学生らが紅衛兵こうえいへいを組織し、「革命無罪(革命のためにやったことは罪に問われない)」を掲げ破壊・暴行の限りを尽くしました。「文化大革命」は毛 沢東が死去し、革命を推進した「四人組」が逮捕されるまで続きますが(昭和51年)、この10年間に300万人が投獄され、50万人が処刑されたというデータもあります。反対派と見なされることを恐れた人々は、吊るし上げられる前に、自らの“潔白”を示すために進んで自己批判しました。「文化大革命」の10年間は、日本の学生運動も武闘化。武闘化の走りとされる「羽田事件」は革命2年目の昭和42年に起きます

「文化大革命」について多くの文化人が口を閉ざす中、革命勃発の翌年(昭和42年)、反対を表明したのは、三島(42歳)、川端康成(67歳)、安部公房(42歳)、石川 淳(67歳)の4名です。

・・・われわれは左右いづれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに学問芸術の自由の圧殺に抗議し、中国の学問芸術が(その古典研究をも含めて)本来の自律性恢復かいふく するためのあらゆる努力に対して、支持を表明するものである。・・・(4氏の抗議声明より)

三島らに賛同する人が少なかったのは、当時、中国に唯一特派員を置くことを許された「朝日新聞」が、中国におもねってか「文化大革命」を批判してこなかったことが大きいのでしょう。毛 沢東をニコニコした穏やかそうなおじさんくらいに思っている日本人が多かったと思います。そんな中で、実態を見抜き決然と批判した三島らは鋭い。ちなみに、安部は昭和25年から共産党員だった人です(昭和36年の日本共産党党大会決定に批判的な立場をとり除名されたが)。

上の声明の肝は、「左右いづれのイデオロギー的立場をも超えて」という部分でしょう。問題は、左とか右とか、または「ど真ん中」(偏っている人ほど自分の立場をよくそう表す)といったスタンス(立場)ではなくて、それが「自由」を、つまりは「個人」の多様な意思や思想や思索や表現や生活を、保証しているか、侵害していないかということです。

共産主義は、公平・公正といった素晴らしい(実は当たり前なことですが)理念を含むため、三島がいち早く見抜いたように、「これっきゃない、他はダメ」と教条的になり、排他的になり、全体主義、独裁主義、絶対主義にも陥りやすいのでしょう。主義は素晴らしくても、それを運用するのは、あくまでも「不完全な人間」。批判を聞く耳を失った時点(批判を誹謗中傷と言い出す時点)から堕落が始まります。

宗教も、理念が先鋭化すると、「これっきゃない、他はダメ」と排他的になり、自らの立場を絶対化し、他は「たわめてよし(教化してよし)」「排除してよし」「殴ってよし」「殺してよし」となりやすいことは、古今東西の歴史がよく物語るところ。あなたの教会の牧師は、イスラム教や仏教について、また社会主義について、フロイトやデリダについて、どの程度の見識を持っているでしょう?

話を元に戻すと、『喜びの琴』を最後まで読むと、反共的なプロパガンダ作品などでは全くないことが分かります。反共思想を単純に信じ込んでいる主人公の片桐を批判しているとも読めます。三島が言いたいのは、「絶対的な正義」など存在しないこと。相対的な正義(常に自己検証を必要とするプロセスの中にある正義)を人は孤独に受け入れるしかなく、しかし、その孤独の中でこそ、救済もあるということ。その救済の象徴が“喜びの琴”なのでしょう。

『文化大革命五十年』(岩波書店)。著者:楊 継縄、編集:辻 康吾 黒川正剛(まさたけ) 『図説 魔女狩り (ふくろうの本/世界の歴史)』(河出書房新社)
『文化大革命五十年』(岩波書店)。著者:楊 継縄ヤン・チーション、編集:辻 康吾こうご 黒川正剛まさたけ 『図説 魔女狩り (ふくろうの本/世界の歴史)』(河出書房新社)
『アメリカと戦争 〜1775-2007〜 〜「意図せざる結果」の歴史〜』(大月書店)。著:ケネス・J. ヘイガン、イアン・J. ビッカートン 。訳:高田 馨里(かおり) 松本 創(はじむ) 『誰が「橋下 徹」をつくったか 〜大阪都構想とメディアの迷走〜』(140B)。彼の「2万%」に騙され続ける人たち
『アメリカと戦争 〜1775-2007〜 〜「意図せざる結果」の歴史〜』(大月書店)。著:ケネス・J. ヘイガン、イアン・J. ビッカートン 。訳:高田 馨里かおり 松本 はじむ 『誰が「橋下 徹」をつくったか 〜大阪都構想とメディアの迷走〜』(140B)。彼の「2万%」に騙され続ける人たち

■ 馬込文学マラソン:
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
川端康成の『雪国』を読む→

■ 参考文献:
●『決定版 三島由紀夫全集24』(新潮社 平成14年発行)P.7-100、P.713-715 ●『松川事件から、いま何を学ぶか ~戦後最大の冤罪事件の全容~』 (伊部正之 岩波書店 平成21年発行 平成22年発行2刷)P.134-140 ●『二人の夫からの贈りもの』(長岡輝子 草思社 昭和63年発行)P.279-281、P.302-303 ●『五衰の人』(徳岡孝夫 文藝春秋社 平成8年発行)P.79-80 ●『三島由紀夫研究年表』(安藤 武 西田書店 昭和63年発行)P.262 ●『そうだったのか! 現代史(集英社文庫)』(池上 彰 平成19年初版発行 同年発行2刷)P.191-210

当ページの最終修正年月日
2024.11.21

この頁の頭に戻る