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謎(昭和5年4月14日、マヤコフスキー、死去する)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マヤコフスキー

昭和5年4月14日(1930年。 ソ連(現・グルジア)出身の詩人・マヤコフスキー(36歳)が死去しました。

マヤコフスキーは、ダイナミックな詩型、激烈な比喩、原始的な擬人化、パロディー、押韻、誇張や変形といった詩の技法を駆使して、風刺と内省、叙情と叙事といった一見相容れないものを融合、1900年代以降の世界の詩人に絶大な影響を与えました。

マヤコフスキーの死は、ソ連当局が「拳銃自殺」としたことから、永らくそう考えられてきました。マヤコフスキーを翻訳したことで知られる小笠原豊樹(岩田 宏の名で詩も書いた。当地(東京都大田区の北馬込二丁目、山王二丁目)にも在住)でさえ、「最晩年の恋人、モスクワ芸術座の女優ベロニカ・ポロンスカヤとの感情のもつれから(自殺した)」と書いていました(昭和63年発行「日本大百科全書 22」(小学館))。様々な悩み(スターリンに幻滅、戯曲「風呂」の失敗など)から病的な精神状態になり、ポロンスカヤに同棲を迫り拒絶されたのが引き金になって自死したと考えられてきたのです。

しかし、マヤコフスキーを知る人たちは、その死因に首を傾げてきました。

前述の小笠原は、後年、『マヤコフスキー事件』を著して彼の死の真相に迫りました。昭和5年のレーニンの追悼集会で、マヤコフスキーは長篇詩「ヴラジーミル・イリイチ・レーニン」を朗読、聴衆を熱狂させました。それを目の当たりにしたスターリンは、自分以上に影響力をもつ人物として警戒するようになったようです。マヤコフスキーの周辺に秘密警察「OGPU(合同国家政治保安部)」の息がかかった人物が出入りするようになり、結果、マヤコフスキーは侵入者によって射殺された、と小笠原は推測しました。

「自死」「事故死」とされていても、それが疑問視されているケースが他にもあります。

昭和24年、当地(東京都大田区上池台)の自宅を出て帰らぬ人となった初代国鉄総裁・下山定則の“自死”もはなはだ疑わしいです。「国鉄ミステリー」などと呼ばれ、あたかも「謎」(未解決事件)のように言われますが、実は真相がほぼ明らかなのでは?

社会のタブーに果敢に挑戦し続けた映画監督・伊丹十三の“自死”もなんか変です。伊丹はヤクザの民事介入暴力をテーマにした作品を撮っているし(「ミンボーの女」。公開後、伊丹は襲撃され重傷を負った)、死の5日前まで医療廃棄物問題を気迫をもって追求していたし・・・。

昭和7年、当地(東京都大田区)で事故死したとされる詩人・石川善助の死も不明な点が多く、「事件に巻き込まれていた」可能性も指摘されています。

なぞ

まだ解決されていないこと(謎)、解決されていないと見なされていること(秘密)、どうなっているんだかさっぱり訳のわからないこと(不思議)には、人を惹きつけるものがあるようです。

言葉や文学の世界も「謎」だらけです。だから、文学研究する人が絶えないのでしょう。

「百人一首」は藤原定家が撰者とされてきましたが、疑問視もされています。定家の日記「明月記」にある“蓮生(宇都宮頼綱)に「古来の人の歌各一首」を送った”という記述から定家が「百人一首」の撰者とされてきましたが、蓮生は鎌倉幕府の御家人。「承久の乱」(1221年)で、鎌倉幕府を倒すための兵を挙げた後鳥羽院と順徳院の歌が含まれる「百人一首」を定家が送る訳ないというわけ。

また、「百人一首」を一首一首色紙に書いた「小倉色紙」というものが残っていて(そのいくつかは定家の真筆とされる)、それらを上下左右、合せ言葉(共通する言葉)どうしが隣接するように並べると、なんと、ぴったり縦10枚横10枚の正方形ができあがるというのです。さらには、言葉をイメージに置換すると後鳥羽院が離宮を建てた水無瀬の風景が浮かび上がるとか。「百人一首」の歌が、定家が選出したにしては平凡なものが多いのはそういった特殊な意図があったからと推測されています(異論あり)。

いろは歌

「いろは歌」は、「百人一首」よりさらに昔に作られました。1079年(平安時代の最後の100年に入ろうという頃)の「金光明こんこうみょう最勝王経さいしょうおう音義おんぎ」(「金光明最勝王経」(「金光明経」を唐の義浄が漢訳したもの)の注釈書)にすでに記載されていますが、作者は不明。仮名47文字が一つずつ全部入っているだけでなく、仏教の深い理念も詠み込まれていることから、相当な人物が作ったとされ、平安時代末ごろから空海(774-835)が作ったとする説が有力でした。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔いもせず

色あるものは匂やかであっても
いつかは散ってゆく
自分だって誰だって
このままということはない
この世の雑事に満ちた山を
今日越えよう
儚い夢を見たり
ましてやそれに酔わないように

空海作者説は、970年頃に書かれた源 為憲ためのりの『口遊くちずさみ』が、仮名を網羅した歌に言及しながら「いろは歌」を取り上げていないことや、歌の形式などから、近年では否定されています。

なお、「いろは歌」は、7文字ごとに改行して書かれることがありますが(「金光明最勝王経音義」でもそう)、その時、末尾の文字を拾うと「とかなくてしす」となり(上図参照)、いつの頃からか「とがなくて死す」と読まれてきました。これを「罪がないのに死ななくてはならない」と解釈して、「いろは歌」の作者は無実の罪で殺されようという人がその無念を歌に織り込んだと説もあります。また、「罪がなくても皆死んでいく」という仏教的な諦念を表しているとも考えられます。

なお、赤穂事件を題材にした「仮名手本忠臣蔵」に「仮名手本」とあるのは、赤穂浪士四十七士と「仮名手本」(いろは歌)の47文字をかけ、また、「咎なくて死す」(咎があって死ぬのではない、義のために死ぬのだ)の意味も含ませているとされます。

「謎」といえば、UFOの存在も、幽霊の存在もそうですね。よく分からない者の立場からすると、時間が伸び縮みするとか、魚的なものから進化してヒトになったとかいうのも「謎」ですわ。解けていない数学の問題もたくさんあるようです。

小笠原豊樹『マヤコフスキー事件』(河出書房新社)。死の1年半前に上梓された渾身の一作 大江健三郎『取り替え子 〜チェンジリング〜(講談社文庫)』。義兄(伊丹十三)の死をテーマにした作品
小笠原豊樹マヤコフスキー事件』(河出書房新社)。死の1年半前に上梓された渾身の一作 大江健三郎『取り替え子 〜チェンジリング〜(講談社文庫)』。義兄(伊丹十三)の死をテーマにした作品
林 直道『百人一首の秘密 〜驚異の歌織物〜』(青木書店) 小松英雄『いろはうた 〜日本語史へのいざない〜 (講談社学術文庫)』
林 直道『百人一首の秘密 〜驚異の歌織物〜』(青木書店) 小松英雄『いろはうた 〜日本語史へのいざない〜 (講談社学術文庫)』

■ 馬込文学マラソン:
石川善助の『亜寒帯』を読む→

■ 参考文献:
●「マヤコフスキー」(小笠原豊樹)※「大日本百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→ ●『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年発行)P.131-134 ●『マヤコフスキー事件』(小笠原豊樹 平成25年発行)P.5-34 ●「童心の彼方へ。時代の暗みと宿命に殉じた詩人・石川善助」(木村健司)※『鴉射亭随筆 〜石川善助随筆等作品・書簡集〜』(編:森中秀樹 あるきみ屋 令和5年発行)P.220 ●「『百人一首』の撰者 「定家ではない」」(北爪三記)※「東京新聞(朝刊)」(令和5年1月16日号)掲載 ●「百人一首は歌織物 秘められた水無瀬絵図」※「長岡京 小倉山荘」のパンフレットより ●「小倉色紙の登場」(江橋 崇)日本かるた文化館→ ●「いろは歌」(大野 晋、近藤泰弘)※「世界大百科事典」(平凡社)などに収録コトバンク→ ●『いろはの話』(長谷宝秀 真言宗伝道会 大正3年発行)P.6-7

※当ページの最終修正年月日
2024.4.13

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