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対案は「開発せず」(昭和3年4月30日、羽田町・大森町の町民3,000人が埋め立てされないことを祈願)-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和3年4月30日(1928年。 当地(東京都大田区)の羽田町と大森町の町民3,000名が、漁場ぎょじょうの海が埋め立てられないことを祈願し明治神宮に参拝しました。

3ヶ月前(昭和3年1月31日)「京浜運河株式会社」(社長:浅野総一郎)が出願した「京浜運河の開削埋め立て造成」を受け、東京府知事が、当地(東京都大田区、品川区)の4町(羽田町、大森町、入新井町、大井町)に賛否を問うたのです。回答期限は1ヶ月。

埋め立ての推進は、海苔養殖を中心とする漁業の放棄を迫る酷なものであり、町民は絶望感から、寺社仏閣への祈願も盛んに行いました。特に羽田町と大森町の漁場は江戸中期からのもので、一帯は「日本一の海苔養殖場」。羽田町と大森町の町民は明確に反対の意向を示しました。

かたや、入新井町と大井町は、漁業への参入が明治以降なため、生業への思い入れが羽田町と大森町の町民に及ばなかったのでしょう、埋立地の一部無償払い下げを条件に了承してしまいます。住民に分断が生まれ、開発推進者の思う壺となりました。

浅野らの思惑は、当地の海岸線付近をすべて開削し、埋立地にして、そこに一大工業地帯を作ることでした。「東京港」を「横浜港」同様、大型船の発着できるものにすべきとの考えは明治13年からありましたが、資金難で工事は進捗しませんでした。ところが、大正12年に関東大震災が起き、国内外からの援助物資を積んだ大型船が「東京港」に出入りする際、水深がないため危険を伴ったのを踏まえ、昭和2年、政府も海岸線付近の開削に興味を示し出します。そして、東京府も動き出したのです。

昭和3年、日本は戦争に大きく傾斜しました。3月には、天皇制を悪用した戦争推進者に抗う人たちの大量検挙があり(三・一五事件)6月には関東軍の河本参謀らが中国の軍閥の総帥・張 作霖を爆殺埋め立て地を一大工業地帯にする計画は、これらの動向から生じた兵器の需要増大に応えるものだったのでしょう。

埋め立て工事の中止を求める請願書が、高木正年の斡旋で衆議院・貴族院に提出されましたが、政府は埋め立てを断念しませんでした。同年(昭和3年)6月、大森漁業組合の役員の息子・ 鳴島音松 なるしま・おとまつ (26歳)が天皇への直訴を試みます。が、捕らえられて下獄。鳴島が下獄する際には、「 貴船 きふね 神社」(東京都大田区大森東三丁目9-19 Map→ ※境内に「漁業納畢のうひつ 之碑 Photo→」が立つ)に漁民が参集、感謝と涙で見送ったそうです。皇居侵入罪としては最低の懲役6ヶ月で済んだのは、高木が紹介した弁護士が奮闘したからのようです。鳴島の直訴は、政府と東京府に計画の再考を迫り、その後7年間(昭和10年頃まで)は、開削と埋め立てが一部凍結されました。

しかし、太平洋戦争をはさんで埋め立ては徐々に進み、昭和39年の東京オリンピックに向けた整備の影響を受け、昭和37年に東京都漁業組合連合会が漁業権を放棄、翌昭和38年春の収穫を最後にこの地での海苔養殖が終焉します。オリンピックに浮かれた人たちは、当地の海苔養殖業者たちに一瞬でも思いを馳せることがあったでしょうか? 当時も、戦前や現在のように、国策に反対する人たちを「反日」(非国民)呼ばわりする冷酷な人たちがいたでしょうか?

しかして、当地の海岸線はほぼ埋め立てられ、工場が林立、かつての海苔養殖業の面影をたどるのは難しくなります。

・・・先日、大森の海岸近くの町中を歩いていて、胸が締めつけられるような情景に出会った。溝の臭いのする細い水路に、フジツボに真っ白におおわれたべか舟が沈みかけていた。朽ちかけた舟端ふなばた に、一羽のハクセキレイがとまってさえずっていた。『二十年後の青べか』。そんな小説の題だけが、ふいに頭に浮かんできた。海には千葉も東京も神奈川もない。ヒトが自然ととけあった生活をしていたころには、そこにくり広げられる風物詩はどこでも似たようなものであったろう。べか舟、のり ひび 粗朶 そだ (細い木を束にしたもの)・竹・網をたてて海中の海苔の 胞子 たね を付着させる〕、野鳥たち、アシ原、これらは東京湾の原風景そのものであった・・・(加藤幸子『鳥よ、人よ、よみがえれ 〜東京港野鳥公園の誕生、そして現在』より)

加藤さんは後に、「東京湾の原風景」の一端を蘇らせるべく、ある活動を始めます。

かつて、当地には、日本一の海苔養殖場が広がっていた ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:「大田区海苔物語」(編・発行:大田区立郷土博物館) 小泉癸巳男(こいずみ・きしお)作「大森・海苔乾し」(昭和12年作)。 ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:「大田区海苔物語」(編・発行:大田区立郷土博物館)
かつて、当地には、日本一の海苔養殖場が広がっていた ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:「大田区海苔物語」(編・発行:大田区立郷土博物館) 「大森・海苔乾し」(作:小泉癸巳男きしお 作 昭和12年)。 ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:「大田区海苔物語」(編・発行:大田区立郷土博物館)

開発至上主義者は、「夢だ! 希望だ!」「発展だ! 経済効果だ!」と叫びますが(自分たちの儲けや権力保持にもなるしね?)、「開発」には必ずや負の面があります。慎重な議論と、そこで生活している人たち全員の同意(土地は、基本、そこで生活している人たちのものなのだから)が不可欠です。建築法が許すからといって、近隣の不利益・不快を度外視して、ボコボコと巨大建造物を建てようとする政治家は誰で、企業はどこでしょう?

昭和9年、丹那たんな トンネルができたことで、牧野信一の「思い出」は崩壊しました。

鉄道や道や駅の敷設も、利便性を高める一方、敷設時には、山や丘が削りとられ、地下や山が 穿 うが たれ、自然が大規模に破壊されます。鉄道・道は「大地の傷」でもあるのです。駅とその周辺は人が集中し栄えても、駅と駅の間は寂れる一方。行き来のあった地域と地域が鉄道・道によって分断されます。都市部では鉄道が過密になる一方ですが、地方では廃線が続き、過疎化が加速、少子化の一因になっています。「国鉄の民営化」(昭和61年。第三次中曾根内閣時。国鉄の労働組合とそのバックの社会党を潰すことが目的だった)は明らかに失敗しつつあります。

大正12年頃から当地(東京都大田区)に住んだ尾﨑士郎が、急速に進む開発について書いています。

・・・今や、すべての風景が一変した。雑木林は根こそぎ払い去られ、滑かな丘は斜めに削りとられて 赫土 あかつち の肌が現われた。幽厳な音を立てて鳴っていた竹林のあとには新しいテニスコートができ、赫土傾斜面を土を積んだトロッコが勢いよくすべってゆく音は最近の四年間、彼の耳を離れなかった。この村の風致は大きな坂を越えて殺到してくる新しい侵入者によって片っぱしから切崩された。街道を挟んで両側に重り合っている小さい谷──日ぐれがたうすい霧がおりると椎の若葉のかおりがその谷の底からしっとりと流れてきたものであったが、しかし、今はその谷底には地ならしが終って借家建の文化住宅のトタン屋根が十月の午後の陽ざしの中に新しいペンキの色を照りかえしてならび、大根畑の青い線によって彩られていた勾配のゆるやかな丘は真っ二つに裂かれて、石を敷いた新道路が蛇のようにうねうねとのびている。・・・(尾﨑士郎『荏原郡馬込村』より)

目に親しみ、思い出が刻まれた風景を奪う権利が誰にあるでしょう?

埴原一亟 『東京湾の風』。自らの生き様を、大森の海苔漁者が漁業権を放棄するまでの道のりに重ねる NHKドラマ「海の畑」。漁業権放棄に追い込まれる海苔養殖業者の葛藤。漁業権放棄の翌年(昭和38年)の放送。出演:嵐 寛寿郎ほか、解説:加賀美幸子、山田洋次
埴原一亟 『東京湾の風』。自らの生き様を、大森の海苔漁者が漁業権を放棄するまでの道のりに重ねる NHKドラマ「海の畑」。漁業権放棄に追い込まれる海苔養殖業者の葛藤。漁業権放棄の翌年(昭和38年)の放送。出演:嵐 寛寿郎ほか、解説:加賀美幸子、山田洋次
吉川 洋『高度成長 (中公文庫)』。17年間の高度経済成長の負の面にも迫る。現代日本の原像 山本義隆『リニア中央新幹線をめぐって 〜原発事故とコロナ・パンデミックから見直〜』(みすず書房)
吉川 洋『高度成長 (中公文庫)』。17年間の高度経済成長の負の面にも迫る。現代日本の原像 山本義隆『リニア中央新幹線をめぐって 〜原発事故とコロナ・パンデミックから見直〜』(みすず書房)

■ 馬込文学マラソン:
牧野信一の『西部劇通信』を読む→
尾崎士郎の『空想部落』を読む→

■ 参考文献:
●「大正期の大森・蒲田・羽田/近代工業の展開」(山本定男)※『大田区史(下巻)』(東京都大田区 平成8年発行)P.261-273 ●「京浜運河の開削と漁業の破壊」(千本秀樹)※『大田区史(下巻)』(東京都大田区 平成8年発行)P.471-478 ●「海苔養殖のはじまり」「品川・大森での創始」「大森の海苔とり揺籃期」(藤塚悦司、北村 敏)※『大田区史(中巻)』(東京都大田区 平成4年発行)P.973-976 ●『大田区海苔物語』(編・発行:東京都大田区立郷土博物館 平成5年発行)P.12-14 ●『鳥よ、人よ、甦れ ~東京港野鳥公園の誕生、そして現在~』(加藤幸子 藤原書店 平成16年発行)P.40-44 ● 『大森界隈職人往来』(小関智弘 朝日新聞社 昭和56年初版発行 同年発行3刷)P.51-54 ●『牧野信一全集<第六巻>』(筑摩書房 平成15年発行)P.522、P.616、P.634-645 ●「中曽根元首相が私に語った「国鉄解体」を進めた本当の理由 〜「戦後政治の総決算」とはなんだったか〜」(牧 久)(現代ビジネス(講談社)→

※当ページの最終修正年月日
2024.4.29

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