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二人の共同生活(昭和32年4月30日、長谷健の『邪宗門』、発行される)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


長谷 健 長谷 健
長谷 健

昭和32年4月30日(1957年。 長谷 健はせ・けん (52歳)の小説『 邪宗門じゃしゅうもんAmazon→が発行されました。

長谷は福岡県柳川Map→出身です。柳川と言えば北原白秋。長谷が「白秋三部作」を書くのは自然な成り行きでした。『邪宗門』はその第二部です(第一部は『からたちの花』、第三部『 帰去来 ききょらい 』は、同年(昭和32年)12月19日、長谷が交通事故で死去したため未完)。

『邪宗門』を発行した時、長谷は東京調布市の「 銀杏庵いちょうあん 」に住んでいましたが、それまでは当地(池上徳持町7。現・東京都大田区池上六丁目29Map→あたり)に住んでいました。戦中は郷里の柳川に疎開していましたが、昭和24年再上京したのです。ここで「白秋三部作」にも取り組み始めました。

特筆すべきは、火野葦平も同居したこと。1階に長谷の一家が住み、九州と東京を行き来していた火野は、上京の度に2階に起居しました。火野も福岡県(若松)出身で、2人は年齢も近かったので、何かと接点がありました。長谷は明治37年生まれで、火野は3歳年下の明治40年生まれです。

芥川賞作家が同じ家に住んだ初のケースかと思います。火野は昭和13年『糞尿譚』で受賞、長谷も翌昭和14年『あさくさの子供』で受賞していました。

2人の当地での共同生活について、染谷孝哉が『大田文学地図で、「酒友、長谷 健と火野葦平」という章を立てて書いていますが、同地でのことは、3年ほど共同生活したことと、「池上界隈にさまざまな武勇伝やら酔虎伝やらを残していった」とあるだけで、具体的なことは書かれていません。他に具体的な資料はあるでしょうか?

火野は東京での住まいを「鈍魚庵どんこあん 」と呼んだようで、当地の住まいもそう呼び、昭和28年当地を去って東京阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷三丁目273 Map→)に設けた住まいもそう呼びました。

当地にいた頃の火野は、当初、戦中の言行が問題視されて執筆制限中でしたが、それでも、『天皇組合』『昭和鹿鳴館』『たい五枚』『悲しき兵隊』『対馬(ルポルタージュ)』を書き、『青春と泥濘でいねい 』と『幻燈部屋』を完結させ、「時事新報」と「大阪新聞」に『青春発掘』を連載するなど書きまくっています。火野は相変わらず人気作家でした。清水 こん の挿絵入りの『河童』を出したのもこの頃です。昭和25年、執筆制限が解除され、更に筆に勢いがついたようです。ただし、父を病で失い、「毎日新聞」に連載した『赤道祭』で柿右衛門焼を名乗る一方を「ニセ柿」と書いたかどで訴えられ7年もの裁判闘争をするはめにもなりました。当地の「鈍魚庵」は、ちょっとした身の隠しどころだったかもしれません。

作家の同居といえば、共に芥川賞をとっている阿部和重さんと川上未映子みえこさんもご夫婦です。阿部さんは平成17年『グランド・フィナーレ』Amazon→で、川上さんは平成20年『乳と卵』Amazon→で受賞。長谷と火野同様、受賞後の同居です。

小池真理子さんと藤田宜永よしなが さんは、共に、直木賞作家です。2人は昭和59年から東京都港区のマンションで同居しました。11年後の平成7年、両者は同時に直木賞の候補になります。しかし、翌平成8年に受賞したのは小池さんのみ(受賞作『恋』Amazon→)。選考委員もずいぶん残酷なことをしますね(しようがないか・・・)。藤田さんが受賞するのは5年後の平成13年です(受賞作は『愛の領分』Amazon→)。同じ物書きの夫婦の、一方が賞を取り、一方が賞からもれる時、2人の間にどういった心理的葛藤が生まれるものでしょう。下の映像は、藤田さんの受賞時に、両者が同時にインタビューを受けた時のものです。

天国への道行きは、藤田さんが先でした・・

尾崎士郎 宇野千代

当地(東京都大田区)にゆかりある人物では、尾﨑士郎と宇野千代も、大正12年から昭和4年までのおよそ6年間一緒に暮らしました。やはり、宇野の方が先に評価されました。共同生活が破綻するのは、宇野の男女関係が極めて開放的で、尾崎には到底ついて行けなかったから。尾崎の『悲劇を探す男』は一種の離婚宣言です。“妻を捨てる”に至る心境(お互い愛情を抱きながらも別れざるをえなくなった経緯)をほぼ事実に即して誠実に描いています。作中の「Y温泉」は湯ヶ島温泉で、洋画家「高尾伸三」は梶井基次郎がモデルです。

江口 渙 北川千代

当地にゆかりある北川千代江口 かんも7年間ほど夫婦でしたが、江口から性病を移されたことに衝撃を受けた北川が、江口に不満を募らせていきました。足尾銅山の坑夫7千人のストライキを指導した勇者・高野松太郎の出現も大きかったでしょう。

辻 潤 伊藤野枝

辻 潤伊藤野枝の場合は、一緒になった時点では、両者とも物書きではありませんでした(はロンブローゾの『天才論』の和訳は始めていたが)。なんせ、は上野女学校(現「上野学園(中学校・高等学校)」(東京都台東区東上野四丁目24-12 Map→)の英語教師であり、伊藤はそこの生徒だったのですから。一緒に生活するようになると、伊藤から知識を貪欲に吸収し、「青鞜」(明治44年9月創刊。幸徳秋水らの処刑の8ヶ月後)の熱心な読者になり、その後、「青鞜」の編集長にまで急成長。そんな伊藤の前に大杉 栄が現れます。よりラジカル(本質的)に社会変革を志向する人が、より実践的な人(北川にとっての高野、伊藤にとっての大杉)に心奪われるのは止むを得ないでしょう。

伊藤は大杉の元に走りますが、その前に辻との間に2子を授かっており、その長男が「辻まこと」です。

川上未映子『きみは赤ちゃん (文春文庫) 』。なるほど、そんななのか! もちろん「あべちゃん」も登場 小池真理子、藤田宜永『夫婦公論 (集英社文庫)』。ライバルであり、戦友でもある2人の本音。解説:山田詠美
川上未映子『きみは赤ちゃん (文春文庫) 』。なるほど、そんななのか! もちろん「あべちゃん」も登場 小池真理子、藤田宜永『夫婦公論 (集英社文庫)』。ライバルであり、戦友でもある2人の本音。解説:山田詠美
ビアンカ・ランブラン『ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代』(草思社)。訳:阪田由美子。サルトルとボーヴォワール夫婦両者の“愛人”だったという著者の衝撃の書 「炎の人ゴッホ 」。ゴッホの劇的な生涯を描いた名作映画。ゴッホをカーク・ダグラス、ゴーギャンをアンソニー・クインが演じる。約2ヶ月間の2人の劇的な共同生活も描かれている
ビアンカ・ランブラン『ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代』(草思社)。訳:阪田由美子。サルトルとボーヴォワール夫婦両者の“愛人”だったという著者の衝撃の書 「炎の人ゴッホ 」。ゴッホの劇的な生涯を描いた名作映画。ゴッホをカーク・ダグラス、ゴーギャンをアンソニー・クインが演じる。約2ヶ月間の2人の劇的な共同生活も描かれている

■ 馬込文学マラソン:
北原白秋の『桐の花』を読む→
染谷孝哉の『大田文学地図』を読む→
宇野千代の『色ざんげ』を読む→
尾﨑士郎の『空想部落』を読む→

■ 参考文献:
●『文学と教育のかけ橋 〜芥川賞作家・長谷 健の文学と生涯〜』(堤 輝男 文芸社 平成14年発行)P.156-157、P.162-171、P.206-209 ●『火野葦平選集(第八巻)』(東京創元社 昭和34年発行)※著者(火野)自らが書いた年譜 ●『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年発行)P.97-99、P.206-209 ●『ゲテ魚好き』(火野葦平青空文庫→ ●「著者自作年譜」(小池真理子)※『贅肉(小池真理子 短篇セレクション6』(河出書房 平成9年発行) ●『評伝 尾﨑士郎』(都筑久義 ブラザー出版 昭和46年発行)P.351-353 ●「「芥川賞・直木賞」をどれだけ知っていますか」東洋経済ONLINE→ ●「北川千代年譜」(編:浜野卓也)※北川千代 ・ 壷井 栄(日本児童文学大系22)』(ホルプ出版)P.454-456

※当ページの最終修正年月日
2023.10.29

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