「船岡城址公園」(原田甲斐の居城跡。宮城県柴田郡柴田町船岡舘山95-1 Map→)の
樅
の大木。この木を山本周五郎も見上げただろうか? 根方には周五郎の『樅ノ木は残った』の文学碑がある。作品の終わりの方の一文が刻まれている(Photo→)
昭和29年6月18日(1954年。
山本周五郎(51歳)が、『樅ノ木は残った』(Amazon→)の新聞連載を1ヶ月後にひかえ、小説の舞台となる宮城県下の取材に出かけました。
原田甲斐
は伊達騒動の最中、“悪人”として死にますが、周五郎は、甲斐が藩を救うために自ら汚名を着た、という筋立てを考えていました。
甲斐の居城跡(「船岡城址公園」)を取材した周五郎は、そこに群生する「樅ノ木」の静かな佇まいから、甲斐を造形していきます。
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船岡駅(宮城県柴田郡柴田町船岡中央一丁目1-1 Map→)から見える
件
の樅。駅のプラットフォームにも(Photo→)、旅の宿にも(Photo→)「樅ノ木」が |
樅は、松科の常緑高木。高さ50mにもなる。「縦」にそびえるところから「樅」の字体になったと推測されている。松かさ(果実)も縦に直立してつく(Photo→) |
『樅ノ木は残った』
に出てくる
宇乃
という13歳の少女は、伊達騒動の最中に両親を殺されて孤児になり、弟の虎之助(6才)と一緒に、良源院(現在の東京都港区役所(東京都港区芝公園一丁目5-25 Map→)の敷地にあった。伊達家が増上寺参拝のおりなどに利用した)に預けられています。そこに甲斐が訪ねてきます。
緊張する姉弟に優しく声をかけたあと、甲斐は、庭の一本の樅を指して語ります。甲斐が船岡から持ってきた思い入れのある木です。
・・・「私はあの木が好きだ」と甲斐は言った、 「船岡にはあの木がたくさんある、樅だけで林になっている処もある、静かな、しんとした、なにもものを言わない木だ」
「木がものを言いますの」
「宇乃は知らないのか」宇乃は甲斐を見た、甲斐はその眼を見返しながら言った、「木はものを言うさ、木でも、石でも、こういう柱だの壁だの、屋根の鬼瓦だの、みんな古くなるとものを言う」・・・(中略)・・・「宇乃、この樅はね、親やきょうだいからはなされて、ひとりだけここへ移されてきたのだ、ひとりだけでね、わかるか」
宇乃は「はい」と頷いた。
「ひとりだけ、見も知らぬ土地へ移されて来て、まわりには助けてくれる者もない、それでもしゃんとして、風や雨や、雪や霜にもくじけずに、ひとりでしっかりと生きている、宇乃にはそれがわかるね」
「はい─」
「宇乃にはわかる」と甲斐は言った。彼はふと遠いどこかを見るような眼つきをした。
宇乃は思った。おじさまは淋しい方なのだ。宇乃は甲斐の言葉をそのようにうけとった。自分に言ってくれた言葉とは思わず、甲斐が彼自身の心のなかを語ったのだというふうに。
「おじさま」と宇乃が言った、「宇乃はいつか、お国へつれていっていただけますのね」・・・(山本周五郎『樅ノ木は残った』より)
この箇所は、物語最後のクライマックスとも呼応する重要な箇所です。
ところで、上の文の「みんな古くなるとものを言う」とはどういうことでしょう?
その「モノ」を見ると、その「モノ」と共にあった時代のあれやこれやが蘇ってくることではないでしょうか。その頃共にあった人々の顔や家の匂い、道の眩しさや、人を傷つけてしまったときの心の疼きまで蘇
ってくるかもしれません。「木がいちばんものを言う」のは、それこそ、生まれた時もそこにあり、ともに成長し、この世を去る時もそこに立っていたりするから。共にあった時間の長さが、その「モノ」が語ることの豊かさとなるでしょう。
悲惨な精神状態にあった若い頃の志賀直哉は、「ものを言う」古いものに接することで、精神の平衡を取り戻していったようです。大正3年頃(31歳頃)の一時期と、大正12年(40歳)から昭和13年(55歳)までの15年間、京都・奈良あたりを転々としています。以下は、志賀の半自叙伝『暗夜行路』の一節です。
・・・大森の生活は予期に反し、全く失敗に終つた。彼は恐しく惨めな気持に絶えず追ひつめられ、追ひつめられ、そして安々とは息もつけない心の状態で来たが、
不図した気まぐれで、一ト月程前からこの京都へ来てみて、彼は初めて幾
らか救はれた気持になつた。
古い土地、古い寺、古い美術、それらに接する事が、知らず彼をその時代まで連れて行つてくれた。しかもそれらの刺激が今までのそれと全く異つてゐた。それが現在の彼には如何によかつたか。そして如何によき逃場であつたか。しかし彼は単に逃場としてでなく、これまでさういふ物に触れる機会の比較的少なかつた自分として、積極的な意味からもこの土地に兎に角も暫く落ちつく事は悪くない事だと考へたのである。
彼は丁度快癒期にある病人のやうな淡い快さと、静けさと、そして謙遜な心持を味はひながら、寺々を見て廻
つた。・・・(志賀直哉『暗夜行路』より)
志賀の15年間の京都・奈良時代、滝井孝作、網野 菊、武者小路実篤、小林秀雄、尾崎一雄らもその近辺に住みました。
片山広子に次の一首があります。75歳の片山は浜田山(東京都世田谷区 Map→)で、一人暮らしていました。
人多く住みける家をおもひいづ
林檎をもりし幾
つもの皿 (片山広子)
夫に先立たれ、長女も嫁ぎ、長男にも先立たれて、以後は一人で暮らしていました。何枚もの皿に目がとまり、昔のにぎやかだった時代が懐かしく思い出され、かつ、胸が締めつけられるようでもあったのでしょう。
映画「小さなおうち」(原作:中島京子、監督:山田洋次、出演:松たか子、黒木
華
ほか、公開:平成26年)には、つかみ切れない奥深さがありました。女中のタキから見た一家の様子が描かれています。タキが、その家の夫人に強く惹かれているのはわかります。夫にも、夫の先妻の子にも、夫の会社の若者にも好意をもって尽くしていました。分からないのは、なぜ、タキが、夫人と若者との不倫を阻止しようとしたか・・・。鍵はタイトル(「小さなおうち」)にあるのでしょう。家に住まう全ての人、そこに出入りした人たち、さまざまな出来事、それらの思い出・・・、その赤屋根のモダンな家が語りかけてくるそれら全てがタキにはかけがえのないものだったのでしょう。
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草川啓三『森の巨人たち 〜巨樹と出会う〜(近畿とその周辺の山)』(ナカニシヤ出版) |
川上弘美『古道具 中野商店 (新潮文庫) 』 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
・ 志賀直哉の『暗夜行路』を読む→
・ 片山広子の『翡翠』を読む→
■ 参考文献:
●『樅ノ木は残った(カラー版国民の文学11)』(山本周五郎 河出書房 昭和43年発行) P.35-38 ●「『樅ノ木は残った』の作者をめぐって」(大池唯雄) ※ 『樅ノ木は残った(山本周五郎小説全集8)』 付録「山本周五郎ノート<1>」に収録 ●『山本周五郎(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)P.80-85 ●「樅」※「デジタル大辞泉」(小学館)に収録(コトバンク→) ●『昭和文学作家史(別冊一億人の昭和史)』(毎日新聞社 昭和52年発行)P.317 ●『志賀直哉(上)(岩波新書)』(本多秋五 平成2年発行)P.173-177 ●「(志賀直哉)略年譜」(紅野敏郎
)※『志賀直哉(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)に収録 ●「片山廣子関係略年譜」※『片山廣子 孤高の歌人』(清部千鶴子
短歌新聞社 平成9年初版発行 平成12年発行3刷)に収録 ●『燈火節』(片山廣子 月曜社 平成19年発行)P.190-191 ●「高志
の国文学館 紀要(第1号)」(平成29年発行)P.25
※当ページの最終修正年月日
2024.6.22
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