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| 当地(東京都大田区)に住んだ頃(昭和3~4年頃)の犀星一家 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『室生犀星文学アルバム』 | 当地(東京都大田区)に来た頃の周五郎ときよ以 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『山本周五郎(新潮日本文学アルバム)』 |
室生犀星は、昭和34年、70歳の時、妻のとみ子を亡くしています。
2人は大正7年の結婚以来42年間苦楽をともにしました。経済的に苦しいときは、とみ子が自分の服を質屋にいれて助けています。 彼女は家の前を路上生活者が通ると呼び止めて、握り飯を持たせるといった心根の人でした。
昭和13年とみ子が脳溢血で半身が不自由になると、犀星(49歳)は彼流の優しさで彼女を支えました。空襲の恐れが出てくると、当地(東京都大田区南馬込一丁目49-5 Map→)の家の庭にとみ子が楽に入れる防空壕を作り、何度も避難訓練をしたそうです。体は不自由でも彼女は幸せだったでしょう。
とみ子が亡くなると犀星は、家の庭に彼女の墓を作り、脇の水鉢に毎日のように季節の花を生けました。一周忌には、2人の思い出の地・軽井沢の矢ヶ崎川のほとりに、南馬込の家の庭の傭人像(ようにんぞう)を移し、とみ子の骨の一部を納めました。彼女の死から2年半して昭和37年、犀星が亡くなると、遺族によってもう一体の傭人像が南馬込の庭から移され、犀星の骨の一部も納められます。
昭和20年5月4日、山本周五郎(41歳)のきよ
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| 芥川龍之介と文夫人。婚礼の日に、田端の天然自笑軒で ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『芥川龍之介(新潮日本文学アルバム)』 | 三島由紀夫と瑤子夫人 出典:『三島由紀夫 〜人と文学〜』(学研) |
昭和2年7月24日、芥川龍之介(35歳)が、薬を飲んで自死しました。生前、片山広子や
昭和45年11月25日に自死した三島由紀夫(45歳)の妻・
片山広子(42歳)は、大正9年3月14日、夫の貞治郎(50歳)を亡くしています。貞治郎は日本銀行の理事だった人で、大森倶楽部の発起人にも名を連ねる地元の名士でもありました。片山は貞治郎を亡くして間もない頃、「弁天池(東京都大田区山王四丁目23-5 Map→)の底へ結婚ゆびわをほうり込んできました」「せいせいした」と言って、知り合いの村岡花子(当時26歳)を驚かせています。こんな歌も作っています。
うらわかき我がほそ指にはめられし
指輪もよごれ疵つきにけり
昭和18年、夫の高野松太郎を狭心症で亡くした
北川千代(48歳)は2人の名を刻んだお墓を建てました。 墓は不要と考えた折口信夫でしたが、昭和20年3月、硫黄島の激戦で愛弟子で、
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| 「小室等」。作詞:谷川俊太郎、作曲:小室 等、編曲:佐藤充彦の「おまえが死んだあとで」を収録 | 城山三郎『そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)』 |
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| キャサリン・M. サンダーズ 『家族を亡くしたあなたに ~死別の悲しみを癒すアドバイスブック~ (ちくま文庫) 』。訳:白根美保子 | 「髪結いの亭主」。監督:パトリス・ルコント。出演:ジャン・ロシュフォール、アンナ・ガリエナ。満たされた生活だったが・・・。唐突な別れとその余韻 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 室生犀星の『黒髪の書』を読む→
・ 山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
・ 芥川龍之介の『魔術』を読む→
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
・ 片山広子の『翡翠』を読む→
■ 参考文献:
●『原 民喜(人と文学)』(岩崎文人 勉誠出版 平成15年発行)P.81-109 ●『死と愛と孤独』(原 民喜)(青空文庫→) ●『評伝 室生犀星』(船登芳雄 三弥井書店 平成9年発行)P.188、P.270-271、P.285 ●『大森 犀星 昭和』(室生朝子 リブロポート 昭和63年発行)P.197-203、P.255-256 ●『山本周五郎 馬込時代』(木村久邇典 福武書店 昭和58年発行)P.87、P.227-243 ●『空襲下日記』(添田知道 刀水書房 昭和59年発行)P.142-145 ●「浦安と馬込」(木村久邇典)※『山本周五郎(新潮日本文学アルバム)』(昭和61年初版発行 昭和61年発行2刷)P.42、P.45 ●『片山廣子 ~孤高の歌人~』(清部千鶴子 短歌新聞社 平成9年初版発行 平成12年発行3刷)P.145-162、P.165 ●「大正期の大森・蒲田・羽田/開けゆく田園生活の諸相」(大濱徹也、山本定夫)※『大田区史(下巻)』(東京都大田区 平成4年発行)P.358
※当ページの最終修正年月日
2023.9.28