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大正2年9月20日(1913年。
辻 潤(28歳)と伊藤野枝(18歳)の子・辻 父親は日本を代表するダダイストの辻 潤で、母親は超有名な婦人解放運動家の伊藤野枝です。伊藤は後に辻の元から出奔、大杉 栄と行動を共にし、大正12年、大杉とともに憲兵に虐殺されます。 伊藤が去り、放浪癖のある辻の元に残されたまことは、その後どうやって育っていったのでしょう? 辻の母の美津がまことの面倒をみたようだし、辻がまことを抱いて講演会の壇上に上がるようなこともあったようです(今ではさほど珍しくないかもしれませんが、戦前ですからね)。また、伊藤は出て行きましたが、辻父子との関係が途絶したわけでなく、まことはちょくちょく大杉と伊藤の家に遊びに行き、大杉にも可愛がられていました。夏は、大杉と伊藤の家で過ごしたようです。辻は自由を愛した人なので、まことの自由も阻害しなかっただろうし(放任といった方がいいかも)、まことの少年時代は実におおらかで冒険的でした。小学校5年のとき、「多摩川探検隊」(辻まこと『多摩川探検隊』(Amazon→))を結成し(隊長のまことと隊員が一人しか集まらなかった)、当地(東京都大田区)のおそらく蒲田(Map→)あたりから多摩川の水源を求めて3日間歩き通しで、登戸(Map→)から八王子を経由し、 その後辻は、放浪の末に精神を病み、しばしば常規を逸した行動をとり、まことの苦労は並大抵でありませんでした。しかし、まことは両親(辻と伊藤)の著作をよく読んでいます。“血”などというものは信じられませんが、両者(辻と伊藤)の「言葉」に接したその密度と時間が、まことの一側面を形成したのは確かでしょう。 教育 この虫は「人」を
(辻 まこと『虫類図譜』より) 怪物「フランケンシュタイン」(実は、その怪物を作った青年科学者の名前)を創作したのはどんな男か?と勝手に思いましたが、メアリー・シェリーといううら若い女性だったのですね。原作『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』を完成させた時、メアリーはわずか21歳でした。 様々なフランケンシュタインものの映画が撮られてきたので、様々なフランケンシュタインがいるのでしょうが、原作のフランケンシュタインは、物理学者・フランケンシュタインが死体の骨から作り上げた人造人間。人間以上の力を持ちます。ところが容貌が醜悪だったために人間社会から排斥され、しだいに凶悪化、殺戮を繰り返し、自分の作り主のフランケンシュタイン博士まで殺してしまうというものです。 極めて批評性のある物語であることは、その怪物を『原子力』や「AI」に置き換えれば、そのまま、現代にも通じることなどからも明らかでしょう。容貌による排斥も、異質なものを差別したり、ルッキズムに流されたりする人間の愚かしさ突いています。 メアリー・シェリーは、自身の出生後数日で死んだ母親を理想としていたといわれています。母のウルストンクラフトは女性解放運動を最初に体系づけた人です。著書の『女性の権利の擁護』(1792年発行)(Amazon→)は、女性の経済的・精神的な自立や、女性の参政権について言及した画期的なものでした。女性運動の理論的指導者だった山川菊栄にも与えています。 メアリー・シェリーは家庭を顧みない父親のことは嫌ったそうですが、父の元に出入りした学者や作家からは大きな影響を受けたようです。父親のゴドウィンはカルバン派の牧師から著作家になった人で、フランス革命後に書いた『政治的正義』で、富の偏在と政治権力を否定、富の分配を説いて思想界に衝撃を与えました。アナキズム(無政府主義)を最初に哲学的に表現した人と評価されています。 この両親にして“フランケンシュタイン”。なるほどです。 野間 宏の『真空地帯』、三島由紀夫の『仮面の告白』、高橋和巳の『悲の器』や水上 勉の『霧と影』などを編集し名を馳せた坂本一亀と、音楽家の坂本龍一も親子です。 文芸評論家の吉田健一が元総理の吉田 茂の息子とは驚きですね?
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