辻 潤は、尺八片手に日本全国を放浪した ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/辻 潤(平成25年12月30日更新版)→
昭和7年4月4日(1932年。
辻 潤(47歳)が、代々幡
町(現・渋谷区)の「井村病院」(昭和19年頃戦災により閉院)に入院しました。重度のアルコール依存でした。
前にも、同年(昭和7年)、斎藤茂吉(62歳)が院長の「青山脳病院」に入院しており、翌昭和8年には、名古屋警察に保護されて「東山寮病院」、三島 寛(武林無想庵の弟)が精神科医を務めた「慈雲堂病院」にも入院。昭和10年には当地(東京都大田区)の大森警察署と、王子の滝の川警察署に保護され、昭和12年には京都の西陣署に保護されて「大倉病院」に入っています。
辻と同棲していた小島キヨによると、この頃の辻は次のようでした。
・・・はだしでウオッと
云ふ様な声をあげて一目散
に外へ走りだしました。
そして十分も経った頃玄関からまたはだしのまゝキラキラと瞳を輝した異様な形相で、二階の書さいに上って行きました。
ね床の裡
で、彼は何時もよりも狂暴に唇を求めました。 そして次の行動に移りながら、彼は、私の首をしめつけようとするのです。 私は、彼を振り切って階下へと逃げ降りました。酔狂どころではない、判然と狂ったように感じられました。
翌朝、彼は二階の窓からひさしに下り、「俺は天狗になったぞ」 とどなり
乍
ら、パッと下へ飛び降りました。・・・(小島キヨ『酒の匂う人生図絵』より)
一方辻は、どんな心境だったのでしょう。
・・・こんど発病してから自分のやった行為や自分のまのあたり見たヴィジョンはかなり素晴らしいもので(というのは病人のウワゴトだと思っていただきたい)、自分が「天狗」になったり「
役
の行者」〔飛鳥時代の修験道の開祖〕になったりしたらしいが、ハタ目にははなはだ滑稽に思われるかも知れんが、患者自身にとっては極めて深刻な体験で、「死線」を突破したようなかんじがしているのである。これは同じような経験をもった人にだけわかることで、説明のしようもなく、なんともいいようがないからそのままにしておくが、自分では生涯の中でこれ程異常な事柄に接したのは初めてで、この世ならざる「世界」にしばらく
彷徨
したような気がして、覚めてからはちょうど「
憑
き物」が離れたように、「神かくし」に
遇
った子供のようにウスボンヤリして今でもいるのだが、自分の見た「夢の世界」は決して忘れられそうもないのである。いわゆる「現実」の世界というものが、それに比べるとまるでみんなウソのような気さえしているのである。それを誇張したり、得意になって
饒舌
ったりしたら、自分はまた病院へ逆戻りをしなければならないことになりそうだからやめておくが、「現実現実」とさも確からしい顔をしてなんの疑いも狭まないような人達を一度、みんな気狂いにしてみたいと考えている。 そうしたら、その人達は今まで自分達がひどく気が狂っていたのだという自覚に到達することでもあろう。・・・(辻 潤「天狗になった頃の話」より)
2~3日眠らないで酒を飲み続けると“天狗”にもなりましたが、アルコールが抜けると、上の文章が書けるくらいの「現実」をとり戻しています。ただし、その「現実」が正常と言えるのか? と辻は疑います。
辻は、大正12年、元妻の伊藤野枝らが甘粕大尉らに虐殺された頃から酒に溺れ、治安維持法が制定されて民主主義がますます弾圧されるようになる大正14年頃から気が変になり(小島との心中も画策)、暴力的に作られた日本の傀儡
「満州国」の建国が宣言された昭和7年に“天狗”になりました。確かに、「現実」も全く異常でした。
上の文章で辻は、「夢の世界」のリアリティーを強調しています。確かに経験的にいっても夢の中にいる時はそれが現実そのものと疑いません。夢で辛いことがあると「これが夢だったらいいのに」と夢の中で切に願う自分がいたりします。その第二の現実=「夢の世界」が「現実」を侵食し始めると、“天狗”になったりもするのでしょうか。
辻は食卓に飛び乗ったり、訳の分からないことを喚いたり、裸足で外へ飛び出したりもしたようですが、葛西善蔵にも同じような行動があったようです。彼もアルコールでしょう。
関東大震災直後(大正12年10月)、雑誌「随筆」の編集者になった牧野信一(26歳)は、複数の作家をたずね歩き、葛西(36歳)とは盃を重ねるようになり、葛西のアルコール依存がすっかり感染
ってしまったようです(二人で飲んでいるところの写真→)。ただ牧野には、辻や葛西ほどの奇行はなく(
大家
の家に向かって「家賃が高いぞ」と叫ぶくらいのことはあった(笑))、生活の急迫とあいまって自己否定的な感情に
苛
まれるといった程度でした(それはそれで辛いものかと思いますが)。また、昭和2年の4月から翌月にかけて郷里の「小林病院」(神奈川県小田原市栄町一丁目14-18 Map→ Site→)に通院してアルコール依存の治療を受けたもよう。同時期に書かれた「昔の
歌留多
」(昭和2年6月発表)(青空文庫→)には病院にかけこんでアルコール依存の生活から脱却しようとする人物が描かれています。この頃牧野は、従来の私小説から脱却し、幻想味豊かな牧野ワールドへとジャンプします。
辻、葛西が体験した幻覚(幻視、幻聴など)は、主にアルコールからきたようですが、ほかにも、主に精神的な不調に起因する幻覚もあるようです。芥川龍之介は昭和2年7月24日、自ら死にますが、その直前に『歯車』(6章から成り最初の1章だけが生前発表され残りは遺稿 Amazon→ 青空文庫→)を書いています。芥川には珍しい(?)私小説で、彼がいかなる幻覚に追い詰められていったかが良く分かります。目にする所、所に「レインコートを来た男」が現れたり(その直後、姉の夫がレインコートを着て鉄道自殺する。義兄の鉄道自殺は実話)、視界に「歯車」が現れそれが徐々に増えて視界を覆ってしまったり、「不吉な色(黄色)」が意味ありげに頻繁に現れたり、ホテルの給仕の「All right(オーライ)」の一言がやたら気になったり・・・。なんだかすごく面白いと思ったら、佐藤春夫も堀 辰雄も広津和郎も川端康成も、この小説を一押ししたのですね(その割に有名でない)。死の間際にこんな面白い小説が書けるのは凄いですが、反対にそういった几帳面さが芥川を追い詰めていったとも言えそう。
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芥川龍之介『歯車 〜他二篇〜』。死の直前に書かれた『歯車』。彼のその頃の精神状況が伺える。ミステリアスで面白い |
中島らも『今夜、すベてのバーで( 講談社文庫 )』。アル中小説の白眉
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オリヴァー・サックス『幻覚の脳科学 〜見てしまう人びと〜(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』。訳:大田直子。解説:春日武彦。平成30年発行 |
「ビューティフル・マインド」。平成13年公開の米国映画。数学者・ジョン・ナッシュ(平成6年、ゲーム理論の経済学への応用に関する研究でノーベル経済学賞を受賞)の半生を元にした作品。幻覚が本人にどのように感じられるかがよく分かる。あと、興味深い治癒の過程。主演はラッセル・クロウ。アカデミー賞を作品賞など4部門で受賞 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 辻 潤の『絶望の書』を読む→
・ 牧野信一の『西部劇通信』を読む→
・ 芥川龍之介の『魔術』を読む→
・ 堀 辰雄の『聖家族』を読む→
・ 広津和郎の『昭和初年のインテリ作家』を読む→
・ 川端康成の『雪国』を読む→
■ 参考文献:
●『辻 潤 〜「個」に生きる〜』 (高木 護 たいまつ社 昭和54年発行)P.107-113、P.131-140 ●『辻 潤への愛』(倉橋健一 創樹社 平成2年発行)P.141-144 ●『辻 潤全集 第三巻』(五月書房 昭和57年発行)P.143-144 ●『牧野信一と小田原』(金子昌夫 夢工房 平成14年発行)P.28-29、P.41-48 ●『牧野信一全集(第六巻)』(筑摩書房 平成15年発行)P.612、P.645 ●『馬込文士村』(榊山 潤 東都書房 昭和45年発行)P.11-12
■ 参考サイト:
●近代日本精神医療史研究会/小林靖彦資料紹介(13)「精神病者治療所」(東京4)→
※当ページの最終修正年月日
2024.4.4
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