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“現実から幻想へ(大正15年1月17日、宮沢賢治、詩「岩手軽便鉄道の一月」を清書する)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮沢賢治

大正15年1月17日(1926年。 宮沢賢治(29歳)が「岩手軽便鉄道の一月」という詩を書いています。*

岩手軽便鉄道の一月

ぴかぴかぴかぴか田圃たんぼの雪がひかってくる
河岸の樹がみなまっ白に凍ってゐる
うしろは河がうららかな火や氷を載せて
ぼんやり南へすべってゐる
よう くるみの木 ジュグランダー 鏡を吊し
よう かはやなぎ サリックスランダー 鏡を吊し
はんのき アルヌスランダー [鏡鏡鏡鏡](一字分のスペースに鏡を上に2つ下に2つ、計4つ書かれている)をつるし
からまつ ラリクスランダー 鏡をつるし
グランド電柱 フサランダー 鏡をつるし
さはぐるみ ジュグランダー 鏡を吊し
桑の木 モルスランダー   鏡を……
ははは 汽車(こっち)がたうたうなゝめに列をよこぎったので
桑の氷華はふさふさ風にひかって落ちる*

1月、雪をまとった樹々や電柱が、日の光を受けてどこもかしこもピカピカ輝やいて車窓を目映く流れていく感じ。ジュグランダー、サリックスランダー・・・というのは、それぞれの木の学名から賢治がつけた愛称のようです。*

1年ちょっと前の大正13年12月、賢治(28歳)は『銀河鉄道の夜』の初校を書きました。上の「岩手軽便鉄道の一月」も「銀河鉄道の一月」と改題されて発表されます。現実の「岩手軽便鉄道」が、賢治の中では、幻想の「銀河鉄道」として疾走し始めます。*

『銀河鉄道の夜』では、最初、ジョバンニという内気で多感な少年と彼を巡る人たちの日常が描かれます。家の家計を助けるために働いているジョバンニをクラスメイトのザネリはいつもからかい、他のクラスメイトもそれに同調。カンパネルラだけは唯一ジョバンニの気持ちを察するのでしたが、そのカンパネルラをザネリらの集団に見出した時、ジョバンニの寂しさは絶頂に達します。ジョバンニは、一人、黒い丘をかけ上ってゆきます。物語はそのあたりから幻想味が増してます。*

・・・ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。・・・(中略)・・・そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、俄かにがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亘っているのが見え、また頂きの、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花か、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたというように咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。・・・(中略)・・・するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云う声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという具合・・・(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)*

ふと気づくと、ジョバンニは銀河鉄道の客になっており、前の席には「ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供」が座っており、それはカムパネルラなのでした。その後、様々な幻想が描かれます。*

現実の描写から幻想の描写へと違和感なく読み進められるのは、最初、日本的な情景が描かれながらも、登場人物が「ジョバンニ」「カンパネルラ」「ザネリ」であったり、町で「銀河のお祭り(ケンタウル祭)」があったり、日常とは異なる幻想世界の種が蒔かれているからでしょうか。*

牧野信一

牧野信一の『ラガド大学参観記』青空文庫→にも、現実から幻想へのシフトが見られます。ラガドは、スウィフトの小説『ガリヴァー旅行記』に出てくる科学都市。スウィフトは江戸時代の初め頃の人ですが、なんと、ラガドに行き交う大航空機や人造人間、バーチャルリアリティまで想像して描きました。牧野は『ラガド大学参観記』でそのラガドの「現在(牧野が『ラガド大学参観記』を書いたのは昭和5年頃)」を描くことを試みます。賢治の『銀河鉄道の夜』と違うのは、現実が幻想に入り込んだかと思うと、また現実が侵入してきて、なんだか訳が分かりません(笑)。でもそのグチャグチャした不安定な感じが面白いのです。

・・・「おーい!」
「おーい!」
こいつは山彦やまびこかな?
山彦ならば──
と私は注意して、
「バカ野郎!」
と試しに怒鳴つてみると、
「どつちが馬鹿だ!」
微かに、だが、はつきりと太い声がした。友達の青野の声である。──おやおや、では、ナルシサスの復命かと思つたのは岩間を縫ふ波の響きを聞き違へたのか?・・・(牧野信一『ラガド大学参観記』より)

山本周五郎

山本周五郎といえば時代物のオーソドックスな作家をイメージされる方が多いと思いますが、意外にも、彼の物語にはクライマックスで“幻想”が侵入してくるものがあります。

・・・ゆか、、は母がそっちへいったという。ふさ、、はその木戸を通っていったのだろう、彼は現実にはないその木戸と、そこに立っている妻の姿が見えるように思えた。・・・(中略)・・・正四郎は片手をそっとさしのべた。
「みんながおまえを待っている、帰ってくれ、ふさ、、 」彼はそこにいない妻に向って囁いた、「帰るまで待っているよ」・・・(山本周五郎『その木戸を通って』より)

周五郎の代表作『樅ノ木は残った』もこのパターンでした。現実から幻想へと急激にシフトします。

三島由紀夫

三島由紀夫の『豊饒の海』は非常に複雑な構造を持ちます。全4巻にわたり“現実”が書かれているようで、実は、第1巻に登場する清顕が20歳で死に、第2巻目以降、違った人物に転生するといった現実離れした小説です。そして、第4巻目で「清顕の偽物」が現れ、最後には、清顕の転生を80歳を越してもなお信じ追い続けていた学友の本田の前で、清顕が命をかけて愛した人から清顕の“存在”が否定される、という凄まじく虚無的な内容を持ちます(しかし、それがなんとも美しい)。“幻想”は幻想だったのか・・・

宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫) 』 「ほら男爵の冒険」。監督:カレル・ゼマン*
宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫) 』 「ほら男爵の冒険」。監督:カレル・ゼマン*
『幻視の系譜 (ちくま文庫)(日本幻想文学大全II) 』。編: 東 雅夫* スティーヴン・ミルハウザー『私たち異者は』(白水社)。訳:柴田元幸*
『幻視の系譜 (ちくま文庫)(日本幻想文学大全II) 』。編: 東 雅夫* スティーヴン・ミルハウザー『私たち異者は』(白水社)。訳:柴田元幸*

◾️馬込文学マラソン:
牧野信一の『西部劇通信』を読む→
山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→

■ 参考文献:
●『宮沢賢治(新潮日本文学アルバム)』(昭和61年発行)P.70 ●「ジョナサン・スウィフトの凄さ」サイエンスとサピエンス→)*

※当ページの最終修正年月日
2023.1.17

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