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大杉栄ら計3名殺害事件(大正12年9月16日、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一が憲兵に殺される)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


虐殺された3人。右下が大杉 栄、左が大杉と同棲していた伊藤野枝、上が大杉の甥の 橘 宗一たちばな・そういち  ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/大杉 栄(平成29年8月24日更新版)→ ウィキペディア/伊藤野枝(平成25年1月27日更新版)→ イレギュラー・リズム・アサイラム/「橘 宗一少年墓前祭」のご案内→*

 

大正12年9月16日(1923年。 大杉 栄(38歳)と内縁の妻・伊藤野枝(28歳)大杉の甥の橘 宗一(6歳)が、東京麹町の憲兵司令部に連行され、その日のうちに殺害されました。3人は、ほぼ全裸で こも にまかれて構内の古井戸に投げこまれ、馬糞やレンガで埋められます。大杉伊藤の胸骨は完全に折れていたそうです。*

15日前の関東大震災(大正12年9月1日)後、朝鮮人が団をなして襲ってくるというデマが広がり、自警団らによって多くの朝鮮人が虐殺されますが、また、社会主義者や無政府主義者も混乱に乗じて政府転覆を図るだろうという話になって、それに携わるだろう(共謀するだろう)と思しき人物が予防検束されました。大杉伊藤は、「権力の暴力性をあばき、一人一人の意志と自由を尊重する立場」(アナキズム、無政府主義、アナルコ・サンディカリスム、社会主義者、左翼などと小難しいレッテルを貼られることが多い)を取り、二人とも影響力があったので、体制側から酷く憎まれ、そして、殺害されたと考えていいのでしょう。*

当日(大正12年9月16日)、大杉伊藤が、辻 潤大杉の弟・大杉 勇が住む横浜市鶴見区を震災見舞いで訪れると、は不在で、弟宅には大杉の末妹がその息子の宗一を連れて滞在していました。宗一が「東京の焼跡を見に行きたい」というので、大杉伊藤は宗一を連れて東京柏木(現・北新宿)の自宅へ向かったのでした。大杉伊藤は、6歳の少年の“我がまま”にも耳を傾けるいいおじさん・おばさんだったんだろうと思います。*

そういえば、大杉はその頃ファーブルの『昆虫記』の全訳に取り組み始めていましたが、その1巻が出版されるや、辻まこと(辻 潤と伊藤野枝との間の子)にプレゼントしています。大杉は“小さきモノ”を愛したのでしょう。*

6歳の宗一までもが殺害されたのは、大杉の子と見なされたからのようです。

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大杉らが憲兵隊に連行されたことを警察が確認しており、その後大杉らが行方不明になっていることを後藤新平内相(66歳)が閣議の場で問題にし事件が発覚。状況を把握した陸軍大臣の田中義一(59歳)は、戒厳令司令官の福田雅太郎(57歳)を更迭し、主謀したとみられた憲兵大尉(渋谷・麹町分隊長)の甘粕正彦(32歳)と憲兵曹長の森 慶次郎を収監します。

8日後の9月24日に軍法会議予審が開かれ、甘粕が自らの考えで自らが3人を絞殺したと供述しますが、その後、撤回、橘少年だけは自分はやってないと前言を翻しました。10月5〜6日、憲兵上等兵の鴨志田安五郎と本多重雄、憲兵伍長の平井利一が、橘少年を殺したと自首します。鴨志田と本多は、甘粕と森から「上官の命令だからやりそこなうな」と言われたと証言しますが、憲兵少将の小泉 六一ろくいち と憲兵大佐の小山介蔵は否定、以後追求されていません。鴨志田と本多に命令したのは森で、森は甘粕に命令されたと主張、甘粕は認め、再度、供述を翻します。

大杉伊藤については「政府転覆を謀ろうとする恐い人たちを排除した」といえば、無知な人たちを騙すことができたでしょう。しかし、幼い宗一の殺害についてはこの手が使えません。罪を全てかぶりあとは悪いようにはされないとの約束のもと行動したとみられる甘粕が動揺したのもそのためでしょう。「大杉 栄ら計3名殺害事件」(大杉事件、甘粕事件といって本質をぼかさない方がいい)が発覚したのも、宗一の父親(橘 惣三郎)が米国在住の貿易商で米国の国籍をもっていたため、米国大使館を通じて政府に抗議をかけたからのようです。宗一が殺害されていなかったら、事件自体、単なる行方不明、未解決事件とされたことでしょう。

甘粕は、堺 利彦(52歳)(獄中にあって難を逃れた)や福田狂二も殺害する予定だったとか。吉野作造(45歳)も狙われていたようです。

12月8日、甘粕を首謀者として懲役10年、森には3年の刑が下ります。鴨志田と本多は命令に従っただけとされ無罪、平井も見張りに立ったとされますが証拠不十分で無罪になりました。

甘粕は、3年弱の下獄後、大正15年、恩赦で仮出所し、陸軍の予算で夫婦揃ってフランス留学という“ご褒美”をもらい、その後は満州事変に関与、昭和14年には満州映画協会の理事に就任し、ハルビンオーケストラの活動にも貢献します。森繁久彌や山口淑子など甘粕を知る人たちの評価は高く、私利私欲がなく、温厚で、日本人と満州人を分け隔てすることもなく、よく気がつく優しい人だったとか。

後年は甘粕は、仲間内で「ぼくはやっていない」と語っています。

甘粕でないとしたら、大杉ら3名の殺害を誰が命令したのでしょう。結局、この殺人事件の“犯人”は未だうやむやで、“犯人らしき人”もまともに裁かれていません。

その後、右派によって大杉の遺骨が盗まれるというようなこともあり、大杉の同士らは怒り心頭、翌年(大正13年)、吉田大次郎、和田 久太郎きゅうたろう (31歳)、村木源次郎(34歳)らは、命令系統のトップの福田雅太郎 戒厳司令官を東京本郷三丁目のフランス料理店「 燕楽軒えんらくけん 」前で狙撃しようとします。映画「花の乱 Amazon→」(監督: 深作欣二ふかさく・きんじ )では狙撃が未遂に終わり、和田らが捕縛されて馬に曵かれていく場面で終わります。和田は無期懲役、3年後に獄中で自殺します。村木は予審中に肺病で倒れ、大正14年(35歳)死去。

弁護士の山崎 今朝弥けさや は(事件時46歳)怒りをこめて以下のように語りました。

地震憲兵火事巡査。甘粕は三人殺しで仮出獄? 久さん未遂で無期懲役!

昔から日本は“美しかった”・・・

大杉 栄ら計3名殺害事件」の軍法会議で、憲兵の証言からもう一つの虐殺事件が明るみに出ます。9月3日頃から、平沢 計七けいしち (34歳)ら10名の社会主義者・労働運動家が、東京 亀戸かめいど 署で刺殺されたというものです。さらにはそれに異を唱えた自警団員4名も殺された。「亀戸事件」です。抗議の声があがりましたが、当局は「戒厳令下の適正な行動」として処理。戒厳令下では、政府に絶対服従で、それを批判すれば殺されても止むなしということでしょうか。自民党が憲法に盛り込みたがっている「緊急事態条項」は、戒厳令下のように強圧的に異論を封じ込めることを可能にすると指摘されています。

朝鮮の無政府主義者の 朴烈 パク・ヨル (21歳) と愛人の金子 文子 ふみこ (20歳)は、自警団からの保護を理由に拘束されますが、拘束されたまま二人には死刑判決が下ります。 いろいろ無茶苦茶。

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瀬戸内寂聴 『諧調は偽りなり〜伊藤野枝と大杉 栄〜(上) (岩波現代文庫)』 『大杉栄 ~日本で最も自由だった男~((KAWADE道の手帖) )』。雨宮処凛、鈴木邦男、瀬戸内寂聴、加藤登紀子ほか
瀬戸内寂聴 『諧調は偽りなり〜伊藤野枝大杉 栄〜(上) (岩波現代文庫)』 大杉 栄 ~日本で最も自由だった男~((KAWADE道の手帖) )』。雨宮処凛、鈴木邦男、瀬戸内寂聴、加藤登紀子ほか
藤田富士男、大和田 茂 『評伝 平沢計七 〜亀戸事件で犠牲となった労働演劇・生協・労金の先駆者〜』(恒文社) 金子文子 『何が私をこうさせたか 〜獄中手記〜 (岩波文庫)』
藤田富士男、大和田 茂 『評伝 平沢計七 〜亀戸事件で犠牲となった労働演劇・生協・労金の先駆者〜』(恒文社) 金子文子 『何が私をこうさせたか 〜獄中手記〜 (岩波文庫)』

■ 馬込文学マラソン:
瀬戸内晴美の『美は乱調にあり』を読む→
辻 潤の『絶望の書』を読む→

■ 参考文献:
・ 『明治大正史』
 (中村隆英 東京大学出版会 平成27発行)P.340-341

■ 参考サイト:
・ ウィキペディア/●甘粕事件(平成29年12月26日更新版)→ ●甘粕正彦(平成30年8月2日更新版)→ ●亀戸事件(平成29年8月31日更新版)→福田雅太郎(平成30年7月17日更新版)→ ●朴烈事件(平成29年8月27日更新版)→ ●朝鮮独立運動(平成29年6月20日更新版)→ ●韓国併合(平成29年8月7日更新版)→ ●アナキズム(平成30年2月3日更新版)→ ●アナルコ・サンジカリスム(平成29年12月3日更新版)→ ●内閣総理大臣の一覧(平成30年8月19日更新版) →  ●和田久太郎(平成30年9月14日更新版)→ ●村木源次郎(平成28年6月12日更新版)→

・ 古書の森日記 by Hisako ~古本中毒症患者の身辺雑記~(黒岩比佐子)/大杉 栄のお墓参りと大杉 栄の甥の橘 宗一墓前祭(1)→ (2)→  (3)→

ヒンドゥ-クシ海峡をこえて/「絶望の書」流浪のダダイスト・辻 潤→

内閣府ホームページ/災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(1923 関東大震災【第2編】)(平成20年3月)/第4章/第2節/コラム8「殺傷事件の検証」(PDF)→ ※内閣府の資料だが瞥見したところ、信頼に足るように思われる。発表された平成20年3月は福田康夫内閣だった。平成29年、ネット上で閲覧できなくなり、騒然となった資料の一部。“改竄内閣”では意図的にやりかねないので注意した方がいい

BuzzFeedNews/「朝鮮人虐殺」記載の報告書 朝日新聞の削除報道に内閣府「言った言わないで抗議はしない」→

WEBRONZA/緊急事態条項の実態は「内閣独裁権条項」である
〜自民党草案の問題点を考える〜(木村草太・首都大学東京教授(憲法学))→

※当ページの最終修正年月日
2019.9.16

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