ハチャメチャなのにキラリと光る人。そういう人に惹かれる。この『美は乱調にあり』の登場人物たちが皆そうだった。
伊藤野枝。彼女は「空気を読む」ことはこれっぽっちもしない、ゴーイング マイウェイ。女性だけで作る文芸誌「青鞜」を、20歳そこそこで平塚らいてふから引き継いで背負って立った情熱家だ。
伊藤の夫の辻 潤も面白い。伊藤の通う学校の英語教師だったが、伊藤といい仲になって、学校にいられなくなる。後にダダイズムを代表する人物となる。
伊藤が辻の次に行動をともにしたのが大杉 栄。彼は“過激思想”の持ち主ということで何度も投獄されるが、その度に、獄中でフランス語やらエスペラント語やらをマスターしてしまうという強者。彼に言わせると「一犯一語」。吃りが激しかったが「十カ国語でどもってやる」と豪語したとか。四六時中警官が張りついているが、彼らとも仲良くなって、自分の荷物を運んでもらったりしたというから笑える。
驚くなかれ、これら3人とも実在の人物だ。中学校や高校の歴史の教科書ではあまり取り上げられないだろうが(大杉と伊藤が憲兵に殺された事件くらいは取り上げてる?)、こんな面白い人たちが、大活躍した時代があったのだ。
『美は乱調にあり』について
瀬戸内寂聴さんが瀬戸内晴美だった頃の作品。昭和41年、文藝春秋社から発行された。伊藤野枝の生涯と彼女の生きた時代が描かれている。伊藤が同棲した大杉 栄が、彼が親しくしていた神近市子に刺される「日陰茶屋事件」まで。15年後に書かれた続編の『諧調は偽りなり』では、大杉と伊藤が憲兵に殺された事件(「大杉栄ら計3名殺害事件」)にも詳しく言及されている。
登場する辻 潤や、辻 まこと(伊藤の辻との子)は、後年、当地(東京都大田区)にたびたび出入りするし、伊藤と大杉も当地にあった山川 均・山川菊栄夫妻のところに遊びにきている。
瀬戸内晴美(寂聴)さんについて
神仏具商の家に生まれる
大正11年5月15日(1922年)、徳島県徳島市幸町(map→)で生まれる。海賊を取り締まる役人の血をひくという。二人姉妹の次女。家業は神仏具商だった。5歳のとき自主的に(?)幼稚園に通う。徳島市立新町
尋常小学校(現・徳島市立新町小学校(徳島市東山手町二丁目25 map→))で、担任教師から、北原白秋や島崎藤村の詩を教わる。9歳の頃から小説を読み始めた。昭和15年(18歳)、東京女子大国語専攻部に入学、寮生活を始めた。在学中に結婚。戦時中のため大学を繰り上げ卒業し、昭和18年(21歳)夫の赴任先の北京(map→)に渡った。翌年(昭和19年)、女児を出産。敗戦の翌年(昭和21年。24歳)、徳島に引き上げ(昭和20年7月4日の徳島大空襲で祖父と母親が焼死したことを知る)、さらに1年を重ねて(昭和22年)、家族3人で上京。
家族を残して出奔、作家になる
昭和23年(25歳)、夫の教え子と関係をもち、夫と子どもの元から出奔した。大学時代の友人と京都の下宿屋で同居する。出版社、小児科研究所、図書館などと職場を点々とし、住まいも、東京の三鷹、西荻窪、中野区大和町、練馬区高松町、文京区関口台町の「目白台アパート」、中野区本町通りの質屋の蔵、京都の中京区西ノ京などを転々とする。その間、初めての小説「ピグマリオンの恋」を書き福田恆存
(37歳)に送り、三島由紀夫(24歳)と文通を初め(昭和24年27歳)、「青い花」 を「少女世界」に投稿して初めて稿料を得た(昭和25年28歳)。昭和32年(35歳)、平凡な人妻が娼婦になるまでを書いた『花芯』は、川端康成、室生犀星、円地文子、吉行淳之介、大江健三郎、三島由紀夫などから高く評価されたが、平野 謙などから「ポルノ」「センセーショナリズムに毒された感覚の鈍磨」などと酷評され、以後5年間ほどは文芸雑誌から声がかからなかったという。
昭和35年(1960年 38歳)頃から、波乱万丈の人生を送った女性を扱った伝記小説を中心に書く。『田村俊子』 、初期の代表作 『夏の終り』 、色街の売れっ子から祇王寺(嵯峨野)の庵主になった高岡智照を描いた『女徳』、岡本かの子を描いた『かの子撩乱』、『美は乱調にあり』、大逆事件で絞首刑になった管野スガを描いた『遠い声』、 朴 烈とともに大逆罪に問われた金子
文子
を描いた『余白の春』など。
仏道の伝道者になる
昭和48年11月14日(51歳)、平泉中尊寺の貫主・今 東光(75歳)の導きで得度、以後、寂聴となのる。彼女の出家について仏教界内外の評判は良くなかったが、4度にわたって比叡山で修行するなど並々ならぬ覚悟を示した。翌昭和50年(53歳)、読経中にクモ膜下出血を起こしてしばらく世間から身を隠したが、1年後から再び精力的にペンを執る。インドのほか、中国(敦煌など)、五島列島、スペイン、ポルトガル、イラクなど、各国を精力的に巡礼・取材・支援。昭和61年(64歳)、連合赤軍裁判では永田洋子被告の証人として証言台に立った。翌年(昭和62年5月5日。64歳)、「天台寺」(岩手県二戸市浄法寺町御山久保33-1 map→)の73世住職となる(毎月約1回催された法話には全国から何千人が詰めかけた)。室町幕府に追われて逃げ落ちた南朝3代目の長慶天皇の荒れた墳墓を、原稿料と講演料をつぎ込んで10年かけて再興させた。出家後、『比叡』 (昭和54年。57歳)、 『ここ過ぎて 〜白秋と三人の妻〜』 (昭和59年62歳。姦通罪に問われてともに未決監に入った白秋と最初の妻、突然出奔した2番目の妻のことなど)、 『手毬』(良寛と貞心尼のこと)、『花に問え』(「
遊行上人
」「
捨聖
」と呼ばれ親しまれた一遍のこと) 、『
白道
』(西行のこと)、 仏教入門書のロングセラー『寂聴 般若心経』 (昭和63年。66歳)、現代語訳『源氏物語 全十巻』(平成8年。74歳より開始)など多数。
「生きることは愛すること」との信条を持ち、湾岸戦争停戦、同時多発テロの報復攻撃の中止、原発の廃止を願って断食行を敢行。脊椎の圧迫骨折、胆嚢がんに見舞われながらも、平成27年6月18日(93歳)、安保関連法案(「戦争法案」)に反対する国会前の集会に車椅子で参加し、反対を呼びかけた。「戦争にいい戦争は絶対にない。戦争はすべて人殺しです」(寂聴)。
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『瀬戸内寂聴の世界 〜人気小説家の元気な日々〜(太陽カルチャーブックス)』(平凡社) |
井上荒野『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版)。寂聴さんの不倫相手・作家の井上光晴の娘が父親と寂聴さんとの関係に言及した問題作。寂聴さんが推薦! 平成31年発行 |
参考文献
●『瀬戸内寂聴の世界 ~人気小説家の元気な日々』(平凡社 平成13年発行)P.108、P.136-143(年譜。作成:長尾玲子)
参考サイト
●ウィキペディア/・ 瀬戸内寂聴(令和元年8月27日更新版)→ ●朝日新聞デジタル/寂聴さん「戦争近づいてる」 国会前で安保法案反対訴え(2015年6月18日)→
※当ページの最終修正年月日
2020.12.21
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