平塚らいてう

平塚らいてう

ひらつか・らいちょう。明治19年東京生まれの女性解放運動家。日本女子大家政学部卒。森田草平との心中未遂を機に、女性の自我の解放の必要を痛感。女流文芸誌「青鞜」を創刊する(25歳)。家制度を否定し、奥村博史との子を私生児として自分の戸籍にいれた。与謝野晶子らと母性保護論争。新婦人協会を設立した。戦後は日本共産党とともに、最晩年まで反戦・平和運動に関わる。昭和46年(85歳)死去。参考サイト:ウィキペディア/平塚らいてう→

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