世阿弥
の謡曲「
檜垣
」に出てくる老婆 ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『
前賢故実
(第五巻)』(菊池
容斎
(1788-1878))(NDL→)
昭和13年12月21日(1938年。
徳田秋声(66歳)の小説 『仮装人物』(Amazon→)が発行されました。29歳年下の女性に心惹かれ、彼女に振り回されて、苦しむ、そんな自分の姿を自嘲的に書いた
私小説
です。
・・・潔くこゝを引き揚げたい気持もしながら、やつぱり思ひ切りが悪く、後髪を引かれるのであつた。 一度かゝつた係締
〔ワナの一種〕から脱けるのは、彼に取つてはとても困難であつた。彼は自身の子供じみた
僻みつぽい魂情を、いくらか悔いてもゐたが、兎角苦悩と煩
ひの多いこの生活を、一気に叩きつけるのも、彼女に新らしい恋愛もまだ初まつてゐない、こんな時だといふ気もしてゐた。しかしさういふ時は又そういふ時で、兎角切り棄てにくいのであつた。嫉妬は第三者が現はれた時に限るのではなかつた。葉子のやうな天性の嬌態をもつた女の周囲には、無数の無形の恋愛幻影が想像されもするが──それよりも彼女自身のうちに、恋愛の卵巣が無数に
蔓
つてゐるのであつた。・・・(徳田秋声『仮装人物』 より)
と、「彼女」がまた別の男を見つける前にきっぱり別れたいのに、それができないようです。
「彼女(葉子)」 のモデルは、秋声の弟子だった山田順子です。彼女の美しさは、ホテルの食堂で海外の青年たちが見とれてフォークとナイフを持ったまま固まるほどでした。
絵から抜け出たように美しく、かつ無邪気に小説家に憧れ、しかも複雑な男性遍歴を持つ山田。彼女とのことで秋声の胸中は喜びと絶望のジェットコースターのようです。
秋声は『仮装人物』の発行後5年生き、昭和18年、71歳で死去します。山田の方は、その後、どうしたでしょう?
戦後、吉屋信子が、鎌倉の長谷
(Map→)で山田に邂逅したときのことを次のように書いています。
・・・向うから異様な
風態
の女が私に近づいて来た。その女性はちぐはぐのおかしな洋装で煙草を口にくわえてゆらりゆらりと歩いている。それがふいになれなれしく私の名を呼びかけて、
「まあ、しばらくね」
私はそれが誰だかとっさに思い出せなかった。やがて彼女の口から亡き先生の名が出た時にやっとそのひとがかつての山田順子のなれの果てだと思った。
その時ぐらい私は烈しく諸行無常という感じを覚えたことはない。まあこのうらぶれた老女めいたひとがあの高原のホテルで外人客の眼を一身に集めた浮世絵から抜け出た美女だったとは……そして大作家の先生がやれ(幽艶)とか(美しき芸術品)とか称した同じひとなのか! 私はまったく
呆然
として悲しかった。
だが彼女は相変らずおくに
訛
で、かつての先生の言葉どおり(紙に火のついたようにぺらぺら)とよく語った。それによると・・・(吉屋信子『自伝的女流文壇史』より)
と、まるで欠点だけが残ったとでも言いたげです。売れっ子小説家だった吉屋が書くと、そうとう意地悪な感じですね。山田にさんざん翻弄された秋声(彼にだって責任があろう)は吉屋の“先生”でもあるので、一矢報いたのでしょうが、“美人”“美人”ともてはやされた山田への「ざまあ見やがれ」も混ざっていそうです。こんな風に書く吉屋もバッチリ年を取ったでしょうに。
誰もが経験するとはいえ、若さが去っていくのは切ないこと。
坂口安吾は親しくなった人には必ず、世阿弥の謡曲「
檜垣
」の話をしたそうです。
どんな話かというと、僧が山にこもって修行していると、老婆が毎日水桶を携えて水を手向
けにきます(タイトルあたりの絵を参照)。僧が出自を訊ねると老婆は謎をかけるかのように一首残し、姿を消します。
むばたまのわが黒髪は白河の
みづはくむまでなりにけるかな
日が暮れて、僧が老婆が住むという白河のほとりの廃屋を訪ねると、彼女の声が突如響きわたり、それが語るところによると、彼女はかつては美しい
白拍子
(踊子。身を売ることもあった)として青春の日々を謳歌していたというのです。しかし、寄る年波、かつての美しさは失われ、それを苦にし悩みに悩みぬいて死んでしまったというのです。そして、その妄念だけが地上にとどまった・・・と。僧が彼女の苦しみを理解し供養すると、老婆は姿を現し、華やかかりし頃の舞を一心不乱に舞い、そして、姿を消します。
安吾から「檜垣」の話を聞いて誰よりも食いついてきたのが宇野千代でした。この文章が収録されている安吾の「青春論」(Amazon→ 青空文庫→)が書かれた昭和17年時点で宇野も44歳。宇野ほど青春を謳歌した人も少ないでしょうから、それだけに、失われゆく若さへの哀惜の念も人一倍だったことでしょう。宇野は「檜垣」の老婆に自らを重ね、心打ち震わせたに違いありません。宇野はその後、能にはまっていきます。宇野は98歳まで
溌剌
と生きました。同じ切なさを能に見出し、そして「失われゆく若さ」を穏やかに受けいれ、でも視線は前へ、前へ、と生きたのでしょう。
年を取るほどに面白いことが増え、ますます溌剌としていられるとしたら、年の取りがいがあるというもの。昔、不老不死の薬が求められたように、今も、老いへの恐怖(エイジング・コンプレックス)の緩和を売りにした商品やサービスに“救い”を求める人も少なくないことでしょう。でも、どんなに手を尽くしても、肉体的な老いを止めることは不可能です。そんなことに膨大な金と時間を費やすよりも、限られた人生、何かに果敢にチャレンジする方がいいかな?
青春スターだった田中絹代は、戦後、“老い”を残酷なまでに描いた溝口作品「西鶴一代女」の“お春”を見事に演じきりました。
良寛も、野上弥生子も、70歳前後に熱い熱い恋をしています。良寛(72歳)と 尼僧・貞心(33歳)の情交については寂聴さんが小説にしていますし(『手毬』(Amazon→))、野上と田辺 元
の往復書簡集も出版されています(『田辺 元・野上弥生子往復書簡(上) 』(Amazon→))。
寺山修司は“人生の危機”を、井伏鱒二が残した一句で何度も何度も乗り越えたそうです。
花に嵐のたとえもあるさ、
サヨナラだけが人生だ
30年前、20年前、10年前の自分にも、昨日の自分にも、「サヨナラ」を言い続ける。その達観が、人生を救うかもしれません。そして、前へ(あちこち痛くとも(笑))。
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落合恵子『質問 老いることはいやですか? (朝日文庫)』。「下降線であってもむしろ深くなる人生」。山田洋次、、笹本恒子らとの対談も |
小林照幸『熟年恋愛講座 〜高齢社会の性を考える〜 (文春新書)』。「性欲は枯れない!」とのこと。老いのクオリティを求め |
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岡崎京子『ヘルタースケルター』(祥伝社)。全身に手を加えてトップモデルにまで上り詰めた“りりこ”。しかし、ある日、彼女の体に“異変”が・・・ |
「ライムライト」(KADOKAWA)。監督・主演:チャップリン。一世風靡した道化師にも老いがやってくる。キートンとの最初で最後の共演も見もの |
■ 馬込文学マラソン:
・ 吉屋信子の『花物語』を読む→
・ 宇野千代の『色ざんげ』を読む→
・ 瀬戸内晴美の『美は乱調にあり』を読む→
■ 参考文献:
●『仮装人物』(徳田秋声 中央公論社 昭和13年初版発行 昭和14年発行3-4版)P.270 ●『自伝的女流文壇史(中公文庫)』(吉屋信子 昭和52年初版発行 平成17年発行改版)P.182-206 ●『徳田秋声全集(別巻)』(八木書店 平成18年発行)P.68、P.110 ●『美しい日本の私(角川ソフィア文庫)』(川端康成 平成27年発行)P.17-18 ●『断髪のモダンガール(文春文庫)』(森 まゆみ 文藝春秋 平成22年発行)P.214-221、P.347
※当ページの最終修正年月日
2023.12.21
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