|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
徳富蘇峰と吉屋信子の出会いは、大正11年、当地の大森駅(東京都大田区大森北一丁目6-16 Map→)においてでした。雑誌に載った写真か何かで吉屋の顔を知っていたのか、蘇峰が吉屋を見つけ、
「フルヤノブコサンデハアリマセンカ」
と声をかけると、吉屋が、
「フルヤデハアリマセン、ヨシヤトモウシマス」
と、ムキになって訂正したのがおかしくて、蘇峰は大笑い、吉屋も“有名な徳富蘇峰”であることが分かり、話がはずみます。新橋までの電車の中で話がまとまって、吉屋はその足で、蘇峰が主宰する国民新聞社に案内されています。蘇峰が59歳、吉屋が26歳のときです。
![]() |
![]() |
山川 均と山川菊栄の出会いは、なんと留置場の前です。前年(大正5年)2月、社会主義の講演会の後、二人とも検束され、留置場の前に並ばされた時、初めて言葉を交わしたといいます。均35歳、菊栄25歳の時です。“治安維持法もどき”ができると、こんな出会いが期待できますね・・・
![]() |
![]() |
宇野千代と尾﨑士郎の出会いは、中央公論社の編集室(本郷三丁目交差点(東京メトロ「本郷三丁目駅」(東京都文京区本郷二丁目39-1 Map→)近くにあった)においてでした。大正11年4月15日、宇野(24歳)が、中央公論社の編集長・滝田
・・・眼をあげた瞬間に、男の眼が、一種言い難い微笑を浮かべたまま、「ぼ、ぼくが、そ、その、二等賞の尾﨑士郎です」と言ったときの、その、おどけたような
この感情を何に
この感情は恋でもない、愛でもない、一種、
しかし、私は立てなかった・・・(宇野千代『生きて行く私』より)
![]() |
![]() |
加藤多恵 |
堀 辰雄の小説『風立ちぬ』で知られるように、堀のかつての婚約者・矢野綾子は結核で亡くなります(昭和10年)。堀はその3年半後(昭和13年)、 加藤多恵子という女性と結婚しました。『風立ちぬ』のロマンスのイメージからすると「な〜んだ」ですが、 実は、多恵子を堀に紹介したのが、綾子の父親の透と、綾子の妹の良子で、二人が堀と多恵子とが結ばれるように奔走したようなのです。 堀も綾子と同じ病いにおかされていましたが、多恵子は堀の元にやってきました。
衣巻省三と光子夫人の出会いは、帝国劇場のダンス会場においてでした。夫人の下駄の鼻緒が切れ、衣巻が直したのがきっかけで、急接近したようです。夫人にはすでに夫がいたようなのですが、衣巻が“奪った”のでしょうか? その後、当地(東京都大田区南馬込)に越してきた二人が、当地にダンスブームをもたらします。
山本周五郎は最初から、場所と時間を指定して、編集者の今井達夫を呼び出したようです。作家と編集者とでは、大作家は例外として(周五郎は駆け出しだった)、だいたいは編集者が主導権を握るものでしょうが、上下左右を気にしないで誰とも対等に付き合うのが周五郎流。今井も度量が大きいのでしょう。以後も、親しくしています。
ゴッホとゴーギャンは明治21年、アルル(フランス南部。マルセイユの近く Map→)の借家「黄色い家」で共同生活しています。画家たちのコミュニティを作ろうというゴッホの提案に、ゴーギャンが乗ってきたのです。共同生活は2ヶ月間ほどで破綻しますが、刺激を与え合ったのか、その間、共に驚異的な数の作品を残しています(ゴッホが37点、ゴーギャンが21点 !?)。
![]() |
![]() |
| 木村泰司『ゴッホとゴーギャン〜近代絵画の軌跡〜(ちくま新書)』。明治21年2ヶ月ほど共同生活した二人。彼らの劇的な生涯と残した仕事 | クローディーヌ セール=モンテーユ『世紀の恋人 〜ボーヴォワールとサルトル〜』(藤原書店)。訳:門田真知子、南 知子。二人の哲学者はどのように出会い、どう関係を保ったか |
![]() |
![]() |
| 『寺山修司からの手紙』(岩波書店)。編集:山田太一。寺山修司と山田太一は、なんと、早稲田大学の同級で、しかも、深い友情で結ばれた! 本に、音楽に、映画に、恋に、政治に、若き二人は、何を思い、何を実践したか | 映画「悪人」。原作:吉田修一。監督は「フラガール」の |
■ 馬込文学マラソン:
・ 萩原朔太郎の『月に吠える』を読む→
・ 室生犀星の『黒髪の書』を読む→
・ 吉屋信子の『花物語』を読む→
・ 尾﨑士郎の『空想部落』を読む→
・ 宇野千代の『色ざんげ』を読む→
・ 堀 辰雄の『聖家族』を読む→
・ 山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
■ 参考文献:
●『萩原朔太郎(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)P.26-31 ● 『評伝 室生犀星』(船登芳雄 三弥井書店 平成9年発行)P.135-142 ● 『私の見た人(朝日文庫)』(吉屋信子 昭和54年発行)P.20-25 ●『おんな二代の記』(山川菊栄 平凡社 昭和47年初版発行 昭和63年15刷参照)P.188-193 ●『山川 均自伝』(岩波書店 昭和36年初版発行 昭和45年7刷参照)P.466-468 ●『生きて行く私(中公文庫)』(宇野千代 平成4年発行)P.117-120 ●「馬込文士村<7>」(谷口英久)※「産経新聞」平成3年1月15日掲載 ●「ゴッホとゴーギャンはなぜ共同生活をし、そして破綻したのか」(MUTERIUM Magazine→)
※当ページの最終修正年月日
2025.2.14