滝田樗陰たきた・ちょいん。明治15年秋田県生まれの編集者。帝大英文科を中退して「中央公論」の編集に専念。宗教色を排し、文芸・政治評論を積極的に取り入れ、一流誌に育てる。31歳で主幹となる。夏目漱石や芥川龍之介を執筆者に向えた。新人発掘の手腕があり、宇野千代らを見いだす。吉野作造らの民主主義論にも多くの頁を割き、大正デモクラシーをリードした。大正14年(43歳)死去。参考サイト:秋田県立 秋田高等学校 同窓会/校史資料/滝田樗陰→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:秋田県立 秋田高等学校 同窓会/校史資料/滝田樗陰→ |