|  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | ||||||||||||||||||
|  | 
 |  | |||||||||||||||||||||||||
|  |  |  |  | ||||||||||||||||||||||||
|  |  |  |  | ||||||||||||||||||||||||
|  |  |  | |||||||||||||||||||||||||
|  | 
 |  | |||||||||||||||||||||||||
|  | 
 |  | |||||||||||||||||||||||||
|  |  | 
| 五百羅漢の顔に今までの男たちの顔を重ねる“お春”。映画では奈良の街はずれの設定のようだが、「天寧寺」(滋賀県彦根市里根町232 map→ site→)の羅漢堂でロケされたとのこと ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典:映画「西鶴一代女」(東宝) | 
この「西鶴一代女」で溝口はヴェネツィア国際映画祭で監督賞を受賞。翌昭和28年にも「雨月物語」で銀獅子賞1位、翌々年の昭和29年にも「山椒大夫」で銀獅子賞4位と3年連続で受賞しました。「世界の溝口」の誕生です。フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」(「新しい波」の意。昭和35年前後の若い監督らによる映画運動。ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などが特徴)の監督らにも多大な影響を与えました。溝口が3度目に受賞した昭和29年、ゴダール(23歳)が第1作「コンクリート作業」(スイスのグランド・ディクサンス・ダムの建造工程を記録したもの。ゴダールはこのダムでアルバイトしてためたお金でこの映画を撮った)を撮っています。ゴダールは「好きな映画監督を3人あげよ」との問いに、「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えたとか。昭和41年(ゴダール35歳)来日した際には、京都の満願寺(京都市左京区岡崎法勝寺町130 Map→)にある溝口の墓に詣でています。ロシア(当時ソ連)の監督・アンドレイ・タルコフスキーも、新しい映画に取り掛かる前には必ず、溝口の「雨月物語」を見直していたとのことです。
当地の
    
      
大正15年 「紙人形春の
  昭和 2年 「
  昭和 4年 「都会交響楽」
  昭和 8年 「
  昭和 8年 「祇園祭」
  昭和 9年 「神風連」
  昭和11年 「祇園の
  昭和11年 「
  昭和12年 「
  昭和13年 「あゝ故郷」
  昭和14年 「残菊物語」★→
  昭和15年 「
  昭和16年 「芸道一代男」
  昭和17年 「元禄忠臣蔵」★→
  昭和23年 「夜の女たち」◆→
  昭和27年 「西鶴一代女」●→
  昭和28年 「雨月物語」●→
  昭和28年 「祇園
  昭和29年 「近松物語」●→
  昭和29年 「
|  | 墓の脇にある、溝口の代表作が刻まれた石碑。「キネマ旬報ベストテン」の30回記念に建てられた | 
溝口の墓の隣に女形の人間国宝・
      
|  | 
| 残菊物語 | 
二人の墓が隣り合わせなのは偶然でしょうが、溝口は花柳を主役(男役)にすえて「残菊物語」を撮っています。歌舞伎の二代目・尾上菊之助の生涯を描いたものですが、ここでも、溝口の女性の描き方は容赦ないです。映画評論家の淀川長治は、「残菊物語」を自身の邦画ベスト3の1つにあげていました。
|  | 
| 雨月物語 | 
世界的にも極めて評価が高い「雨月物語」でも、女性が悲劇的です。焼き物師の男が華やかな女の幻に惑わされている間に、地味ながらも男を支えてきた妻は死んでしまいます。正気に戻るとそこにもう妻はいない。その亡き妻の声を聴きながら、その声に励まされつつ、無我夢中に焼き物を焼く最期のシーンは忘れがたいものです。人間の愚かさと堕落、そして、そこからの救済が見事に描かれています。
「祇園の姉妹」にも、男たちの欲望や打算に翻弄され打ちのめされる祇園の芸妓たちが描かれます。情にあつい姉も結局は男に裏切られ、男なんかに負けるもんかと頑張る妹は軽くあしらった男に復讐されます。妹役の山田
  
溝口映画の特徴は、「ワン・シーン=ワン・ショット」といって、一つのシーンを一度に撮影する手法。クローズ・アップ(大写し)も極力排し、ロング・ショット(遠景撮影)とフル・ショット(全身撮影)を中心に画面を作っていきました。フィルムが一度に長く回るため、俳優の負担も大きかったと思われますが、溝口は妥協せずに(厳しく)演出し、クレーンなどを駆使してスムースなカメラ移動を工夫して変化をつけています。
大正時代の終わり頃から、米国映画の影響で、ショットを細かく分けて劇的に表現する撮影法が盛んで、1時間半くらいの映画でも1,000ショット位ざらだったそうですが、溝口の「元禄忠臣蔵」などは3時間半ほどの長篇なのに、160ショットほど。平均するとワン・ショット1分20秒ほどです。溝口は流行に流されることなく自らの手法にこだわりました。
映画評論家の蓮實重彦さんと淀川長治が溝口映画について語るとこんな感じです。
蓮見 ・・・ゴダールもトリュフォーもベルトルッチもテオ・アンゲロプロスも、みんな溝口の影響を受けています。『ラストエンペラー』なんて、誰が見ても溝口健二にオマージュを捧げた映画なのに、見ていてそれが分かる日本人がほとんどいない。溝口は偉大な監督だとは知っていても、今の若い人たちはあまり見ていない。
淀川 恥ずかしいね。溝口知らなきゃ、バチが当たるよ。・・・(『映画に目が眩んで 口語篇』(蓮實重彦)より)
|  |  | 
| 佐藤忠男『溝口健二の世界 (平凡社ライブラリー)』 | 「ある映画監督の生涯 〜溝口健二の記録〜」。監督:新藤兼人。「キネマ旬報ベスト・テン」第1位 | 
|  |  | 
| 木下千花『溝口健二論 〜映画の美学と政治学〜』(法政大学出版局) | 『映画監督 溝口健二 〜生誕百年記念〜(別冊太陽)』(平凡社)。編集:山口 猛 | 
■ 参考文献:
● 『溝口健二の世界(平凡社ライブラリー)』(佐藤忠男 平成18年発行)P.235-242、P.304-313 ●『映画に目が眩んで』(蓮實重彦)P.663-664 ●「彦根 天寧寺」(dendoroubik)(ゲジデジ通信→)
※当ページの最終修正年月日
2024.4.17