山田順子やまだ・ゆきこ。明治34年秋田県の回船問屋で生まれた作家。高等女学校卒業後、弁護士と結婚して小樽に住むが文学への思い断ちがたく、上京して徳田秋声に師事する。『流るゝまゝに』でデビュー。「日本のノラ」といわれた。竹久夢二、秋声らと浮き名を流す。後に、鎌倉の長谷寺に住み宗教的作品を書く。『女弟子』『私たちの観音さま』などの作品がある。昭和36年(60歳)死去。参考サイト:ウィキペディア/山田順子→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:なんでも鑑定団お宝情報局/竹久夢二の手紙とスケッチ→ |