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朝鮮人、虐殺される(大正12年9月7日、「大森で聞いた話」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大正12年9月7日(1923年。 に聞いたという当地(東京都大田区大森)での話を、「東京朝日新聞」の記者・西河春海が紹介しています。

・・・3日でしたか、4日でしたか、海岸で自警団の人達が、7、8人団をなして来た朝鮮人を生捕ってしまったのです。7、8人とかたまっていたので抵抗もしたでしょう。そのためにただでさえ狂気のようになっている人達は、余計に昂奮こうふん したと見えて、全部を針金で舟へしばりつけて、それへ石油をかけて、火をつけて沖へ離したのですって、・・・(『横浜震災誌・第5冊』(横浜市役所市史編纂室編)昭和2年)

関東大震災(大正12年9月1日)直後から、「刑務所を脱走した朝鮮人(横浜での囚人の解放はあった)が井戸に毒を投げ入れている」とか、「放火、略奪しながら押し寄せて来る」といったデマが広がり、人々は震え上がりました。そして、“自衛”の名のもと、民衆や軍によって多数の朝鮮人が虐殺されたのです(「自警団事件」)。震災3日目の9月3日頃までは行政機関や現場の警察官や警視庁や軍までもがデマを信じ、事態を拡大させました。新聞社がデマをそのまま記事にしてしまったことも被害拡大につながりました(現在でもそのデマ記事を示して「朝鮮人の暴動があった」と主張するアホがいます。ご注意を)。良くも悪くも、マスコミの報道で人々は大きく動きます。マスコミの責任は甚大です。

当地(東京都大田区)にも、朝鮮人に関するデマと朝鮮人に対する虐待(虐殺)の証言がたくさん残っています。宇野千代(26歳)と尾﨑士郎(25歳)もデマにおびえ、家(南馬込四丁目28-11 map→)の天井裏に身を潜めてますし宇野千代『生きて行く私(中公文庫)』)、中央四丁目に住んでいて5歳だった池部 良は「来れば、お前、女、子供は叩っ殺される」と父親が興奮して言うのを生々しく覚えていました。臼田坂の下にバリケードが作られ、父親は日本刀を取り出したとか池部 良風吹き鴉かざふきがらす 』(毎日新聞社))。南馬込三丁目37-18 map→に住んでいた倉田百三(32歳)も、朝鮮人と中国人が300名ほど刃物を抜いてやってきたと聞き、血相を変えて岡の方に逃げています倉田百三「震災所感」※『超克』(改造社)に収録)

神奈川県逗子から当地(東京都大田区山王一丁目)に戻ろうとした徳富蘇峰(60歳)は、抜身の刀を持っている日本人を目撃、蘇峰はその時白い服を着ていたので朝鮮人に間違えられるのではないかと怖れました(『蘇峰自伝』(中央公論社))。現に朝鮮人に間違えられて暴行・殺害された日本人や中国人もたくさんいました。 千田是也 せんだ・これや (19歳) は疑われて殺されかけ、自身も自警団になっていたら加害者になっていたかもしれないとの自戒をこめ、千田是也(せんだ・これや=“千駄ヶ谷でコーリア”)と名乗るようになります千田是也「大震災がつけた芸名」(毎日新聞社)) 折口信夫 おりくち・しのぶ (36歳)も刀を抜いた自警団に取り囲まれました。「平らかな生を楽しむ国びとだと思っていたが、一旦いったん 事があると、あんなにすさみ切ってしまう」と嘆きました折口信夫『迢空歌選』(養徳社)※「東京詠物集」の自註)片山広子(45歳)の弟も白い麻服を来ていたため朝鮮人と間違えられて自警団から暴行を受けました。そのショックから立ち直れず死ぬまで言葉と笑顔を失ったそうです(川村 湊『物語の女 〜宗 瑛そう・えいを探して〜』(講談社))

萩原朔太郎(36歳)は「朝鮮人あまた殺され その血百里の間に連なれり われ怒りて視る、なんの惨虐ぞ」と書き(萩原朔太郎「近日所感」※「現代」(大日本雄弁会講談社))徳冨蘆花(54歳)も烏山からすやま(現・千歳ちとせ烏山 map→)で仕事に行く途中の朝鮮人3名が殺されたと書いています徳冨蘆花『みみずのたはこと』(岩波書店))志賀直哉(40歳)は東京大手町で、「・・・追いかけると、それが鮮人でねえんだ。しかしこういう時でもなけりゃあ、人間は斬れねぇと思ったから、とうとうやっちゃったよ」と2人の若者が笑いながら話すのを聞いています志賀直哉「震災見舞(日記)」(改造社))

9月3日頃から「朝鮮人の暴動」は全くのデマと明らかになり、当局は朝鮮人に対する加害をやめ、内務省は新聞社に誤伝しないよう警告、9月4日からは「自警団ノ行動最モ凶暴ヲ極メ」(警視庁)る状況をかんがみて、虐待・虐殺から守るため各地の警察署で朝鮮人を保護し始めます。

愚衆の朝鮮人引き渡し要求を突っぱねた「鶴見の杉原千畝すぎはら・ちうね」こと 大川常吉 おおかわ・つねきち (横浜鶴見警察署長。 東漸寺 とうぜんじ (横浜市鶴見区潮田町三丁目144-2 map→)に顕彰碑がある photo→。同寺院には大川の墓もある)や、朝鮮人をかくまった土方の親方のような人もいました。

「自警団事件」の捜査も始まり、少なくとも53件起訴されますが、「朝鮮人が受けた迫害としては一部分」(中央防災会議専門調査会報告『1923関東大震災【第2編】』)と指摘されています。朝鮮人に間違えられて日本人が襲われた事件も46件、中国人が襲われた事件も4件起訴されています。

「自警団事件」の発表にぶつけて司法省が「鮮人の犯罪」を報告しますが、容疑者や被害者が明らかになって起訴されたのは12件で、その内10件は窃盗の類、2件はダイナマイトを持っていたということですが、1人は開削工事で使うダイナマイトを持っていたにすぎず(工事用のトロッコで寝ていた)、もう1人の罪状も曖昧なようです。「自警団事件」の被害が甚大なのに比べ、朝鮮人の犯行があまりに軽微だと外聞が悪く、朝鮮統治を揺るがしかねないとの判断が政府にあり、朝鮮人の犯行を多く挙げようとしたようですが上手くいかなかったようです。そんなですから、 「自警団事件」は極力、捜査・起訴しない方針だったと思われ、そういった政府の姿勢が、殺された人の名前も人数も遺骨の行方も今もほとんど分からないという事態を招きました。犠牲者数は、「在日本関東地方 罹災 りさい 朝鮮同胞慰問斑(慰問斑)」や吉野作造(45歳)によると、2,600人超。 保守系の歴史学者・北岡伸一・東京大学名誉教授でさえ「千を超える ●●●●● といわれている」と書いています(北岡伸一『日本の近代5 〜政党から軍部へ〜』(中央公論新社))

デマを信じてしまったのは、日頃から朝鮮人を差別していたからでしょう日本は朝鮮に対して極めて酷いことをしてきたので、いつか仕返しされるだろうと恐れ(自分だったら仕返しするだろうと恐れ)、それが差別につながり、デマを信じる土壌ができたと思われます。

差別勢力(身近な区議や町内会のおっさんなどにもいますよ。「北朝鮮ガ〜」「韓国ガ〜」「中国ガ〜」に注意)に取り込まれないよう、中学卒業までには(義務教育期間が終了するまでには)、以下のサイトに書かれていることくらいは理解したいものです。

「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか/20分でわかる「虐殺否定論」のウソ(民族差別への抗議行動・知らせ隊 + チーム1923)→

西崎雅夫 『関東大震災朝鮮人虐殺の記録 〜東京地区別1100の証言〜』(現代書館)。当地(東京都大田区)に関わる証言も32例紹介されている。大正13年発行の『子供の震災記』にある子どもの作文の改ざん・削除された箇所も原本と対照して紹介 加藤直樹『TRICK トリック 〜「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち〜』(ころから株式会社)。「産経新聞」や自民党や日本会議系の人たちが掲げる「(関東大震災時の朝鮮人)虐殺否定」は“論”ですらなく“騙し”。仕込まれた“7つのトリック”を暴く。令和元年発行
西崎雅夫『関東大震災朝鮮人虐殺の記録 〜東京地区別1100の証言〜』(現代書館)。当地(東京都大田区)に関わる証言も32例紹介されている。大正13年発行の『子供の震災記』にある子どもの作文の改ざん・削除された箇所も原本と対照して紹介 加藤直樹『TRICKトリック 〜「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち〜』(ころから株式会社)。「産経新聞」や自民党や日本会議系の人たちが掲げる「(関東大震災時の朝鮮人)虐殺否定」は“論”ですらなく“騙し”。仕込まれた“7つのトリック”を暴く。令和元年発行
新井勝紘『関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』(新日本出版社)。虐殺の事実を絵筆に託した人たちがいた。令和4年8月発行 「大虐殺」(新東宝。昭和35年)。監督:小森 白、出演:天知 茂、沼田曜一、細川俊夫ほか。震災直後の朝鮮人虐殺のほか「亀戸事件」「大杉栄ほか2名殺害事件」を織り込んだ社会派サスペンス
新井勝紘『関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』(新日本出版社)。虐殺の事実を絵筆に託した人たちがいた。日頃の差別(不理解・無知)が悲劇を生むことを知る一冊。令和4年8月発行 「大虐殺」(新東宝。昭和35年)。監督:小森 白、出演:天知 茂、沼田曜一、細川俊夫ほか。震災直後の朝鮮人虐殺のほか「亀戸事件」「大杉栄ほか2名殺害事件」を織り込んだ社会派サスペンス

■ 馬込文学マラソン:
宇野千代の『色ざんげ』を読む→
尾﨑士郎の『空想部落』を読む→
池部 良の『風が吹いたら』を読む→
倉田百三の『出家とその弟子』を読む→
片山広子の『翡翠』を読む→
萩原朔太郎の『月に吠える』を読む→
志賀直哉の『暗夜行路』を読む→

■ 参考文献:
『関東大震災朝鮮人虐殺の記録 〜東京地区別1100の証言〜』(西崎雅夫 現代書館 平成28年発行)P.1-5、P.46-57、P.157-158、P.165、P.206、P.267、P.321、P.419 ●『生きて行く私(中公文庫)』(宇野千代 平成4年発行)P.126-128 ●『蘇峰自伝』(徳富猪一郎 中央公論社 昭和10年発行)P.503  ●「震災の規模と影響」(岡田孝一、山本定男、野村義治)※『大田区史(下)』(東京都大田区 平成4年発行)P.377-385 ●『TRICK 〜「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち〜』(加藤直樹 ころから株式会社 令和元年発行)P.3、P.14-19、P.24-25、P.48、P.58-61 ●『物語の娘 〜宗 瑛を探して〜』(川村 湊 講談社 平成17年発行)P.163-167 ●「関東大震災のちょっといい話/朝鮮人300人の命を守り抜いた警察署長」(防災システム研究所/山村武彦)site→ ●「1923 関東大震災【第2編】(災害教訓の継承に関する専門調査会 報告書 平成20年3月)/殺傷事件の検証(コラム8)」(内閣府)pdf→ ※平成20年3月福田康夫内閣時に発表された信用に足る資料。平成29年(安倍晋三内閣時)一時閲覧できなくなり騒然となった。“改竄内閣”では注意が必要 ●「緊急事態条項の実態は「内閣独裁権条項」である 〜自民党草案の問題点を考える〜」(木村草太)論座→ ●「「朝鮮人虐殺」記載の報告書 朝日新聞の削除報道に内閣府「言った言わないで抗議はしない」(籏智広太はたち・こうたBuzzFeedNews→

※当ページの最終修正年月日
2022.9.7

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