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夜の光(大正7年1月16日、『夜の光』が発行される)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

志賀直哉

大正7年1月16日(1918年。 志賀直哉(34歳)の作品集『夜の光』が新潮社から発行されました。

収録されているのは、シェークスピアの『ハムレット』をハムレットから恨まれたクローディアスの視点で書き直した「クローディアスの日記」 だるような暑さの電車内で乗客が皆ぐったりしている中で起きたある“出来事”について書いた「出来事」、志賀直哉の代表作として名があがる「 清兵衛せいべえ瓢箪ひょうたん」「城崎きのさき にて」「和解」なども収められています。

が、特に、書名の“夜の光”に言及された作品が見当たりません。“夜の光”とはこれらの作品を書いた頃、志賀が常に心に置いた、心を支えるイメージだったのではないでしょうか。

“光”を求めるのは、そこに闇があるからでしょう。

志賀は裕福な家に生まれ、見た目もいい男で(と私は思う)、文学的才能にも溢れ、スポーツも万能でした。ですが、世を上手く渡っていこうといったところが全くなく、潔癖なまでに正義感が強く、青春期特有の性欲の問題とも真正面から向き合ったために精神をすり減らし、今なら病名がつきそうな精神状態に陥りました。志賀は3年後の大正10年(37歳)から半自叙伝『暗夜行路』の連載を始めますが、少なくともその頃までは、まさに精神的「暗夜」の中にあったんだろうと思います。『夜の光』は、その「暗夜」にあって、 道標 みちしるべ や慰めとなる「夜の光」を求め綴った諸作品だったのではないでしょうか。

『夜の光』の裏表紙のカット。夜、光を求めるのは人だけではない。装丁はバーナード・リーチ。志賀は終生リーチと親交した 『夜の光』は全頁にわたって右頁上に、タイトルと同じ大きさで「夜の光」とある。どの短編も「夜の光」の中の一編であることを強調
『夜の光』の裏表紙のカット。夜、光を求めるのは人だけではない。装丁はバーナード・リーチ。志賀は終生リーチと親交した 『夜の光』は全頁にわたって右頁上に、タイトルと同じ大きさで「夜の光」とある。どの短編も「夜の光」の中の一編であることを強調

志賀は「暗夜」から目をそらさず、そこでもがき苦しみつつ、でも歩み出し、そして、一つ一つと、自由や美や健全な魂を獲得していきます。ドロドロした作品や飄逸な作品も多く、それらを書いた頃の志賀の精神状態を頭に置いて読むとまた一興。*

『暗夜行路』の主人公は、最後の方で、鳥取の 大山 だいせん Map→の頂上を目指します。同行の者からも遅れ、一人山の中腹でうずくまっていると、やがて朝(光)がやってきます。

・・・彼は膝に ひじ を突いたまま、どれだけの間か眠ったらしく、 不図 ふと 、眼を開いた時には 何時 いつ か、 四辺 あたり は青味勝ちの夜明けになってゐた。星はまだ姿を隠さず、数だけが少くなってゐた。空が柔かい青味を帯びてゐた。それを彼は慈愛を含んだ色だといふ風に感じた。山裾の もや は晴れ、 ふもと の村々の電燈が、まばらに眺められた。 米子 よなご の灯も見え、遠く 夜見 よみ ヶ浜の 突先 とっさき にある 境港 さかいみなと の灯も見えた。ある時間を置いて、時々強く光るのは美保の関の燈台に違ひなかった。湖のやうな中の海はこの山の陰になってゐるため未だ暗かったが、外海の方はもう海面に ねずみ 色の光を持ってゐた。
 明方の風物の変化は非常に早かった。小時して、彼が振返って見た時には山頂の彼方から湧上るやうに 橙色 だいだいいろ 曙光 しょこう が昇って来た。・・・ (志賀直哉『暗夜行路』より)

川端康成

一高時代の川端康成は、志賀の『夜の光』を「日本では第一の書とだいじにした」そうです。志賀の“夜の光”は、川端の“夜の光”ともなったことでしょう。

関口良雄

当地(東京都大田区)で古書店「山王書房」を構えていた関口良雄は、店を閉めた後、電灯を消した暗い土間の椅子に座って、目に留まった本を書棚から抜き取ってぺらぺらすることがあったそうです。

・・・私は棚から志賀直哉著「夜の光」を抜いてきた。この「夜の光」の見返しには、達者のペン書きでかう書いてある。
『何故私はこの本を売つたのだらう。
 キリストを大衆の前に売り付けたユダの心にも勝つて醜い事だと私は思つた。私は醜い事をしてしまつた。
 再び買ひ取つた私の心は 幾分か心易い感じがしたけれど、やはり過去の気弱であつた自分をあはれ者と意識させられずにはおかなかった。・・・(関口良雄「古書」より)

一度手放され、また買って、どんな事情があってか再び古書店に並んだ『夜の光』。この本は、今、誰の“夜の光”になっているでしょう。

・・・一本の燐寸マッチの火が、 ほのお が消えて炭火になってからでも、闇に対してどれだけの照力を持っていたか、彼ははじめて知った。火が全く消えても、少しの間は残像が彼を導いた──(梶井基次郎「過去」より)

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)

「夜の光」のイメージは絵画にも見られます。帰路で迎えてくれる家の明かりだったり、瞑想を誘う街の明かりだったり、手元に寄せて心あたためる光だったり。

川瀬巴水の「馬込の月」。昭和5年ごろの当地(東京都大田区馬込)の夜景 ラ・トゥール(1593-1652。仏)の「マグダラのマリア」。ドクロに触れ、「死」=「有限性」に想いを巡らせているのだろうか ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:National Gallery of Art/The Repentant Magdalen→
川瀬巴水はすいの「馬込まごめの月」。昭和5年ごろの当地(東京都大田区馬込)の夜景 ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『馬込文士村ガイドブック(改訂版)』(東京都大田区立郷土博物館) ラ・トゥール(1593-1652。仏)の「マグダラのマリア」。ドクロに触れ、「死」=「有限性」に想いを巡らせているのだろうか ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:National Gallery of Art/The Repentant Magdalen→

今や、どこもかしこも明るくなって(スマホを手にすれば闇はすぐ後退する)、もはや“夜の光”を意識することも、求め、頼りにする必要もないのかもしれません。“闇”を失うことは、“光”を失うことでもあるかもしれないのに・・・

“闇”があり、“光”があれば、言葉はいらない。

ビートルズに「BlackbirdブラックバードYouTube→という曲があります。レノン=マッカートニー名義ですが、ポール・マッカートニーが作詞作曲しギターで弾き語りしています。黒人に対する人権侵害がポールにこの曲を書かせました(音楽に世界・社会・政治をバッチリ持ち込んでます)。

・・・Blackbird fly.
Blackbird fly.
Into the light of the dark, black night・・・

志賀直哉『夜の光(精選名著復刻全集)』(日本近代文学館)。 待宵草(まつよいぐさ) の絵だろうか。夜に咲く花もある 「包帯クラブ」。原作は天童荒太の同名小説。監督:堤 幸彦、出演:石原さとみ、柳楽優弥ほか。音楽:ハンバート ハンバート。人の傷と向き合う彼らも傷だらけ
志賀直哉『夜の光(精選名著復刻全集)』(日本近代文学館)。 待宵草まつよいぐさ の絵だろうか。夜に咲く花もある 「包帯クラブ」。原作は天童荒太の同名小説。監督:堤 幸彦、出演:石原さとみ、柳楽優弥ほか。音楽:ハンバート ハンバート。人の傷と向き合う彼らも傷だらけ
写真集『ヴェネツィアの夜』。写真:奈良原一高
写真集『ヴェネツィアの夜』。写真:奈良原一高

■ 馬込文学マラソン:
志賀直哉の『暗夜行路』を読む→
川端康成の『雪国』を読む→
関口良雄の『昔日の客』を読む→

■ 参考文献:
●『志賀直哉(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)P.35、P.105-106 ●『川端康成(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)P.13 ●『昔日の客』(関口良雄 三茶書房 昭和53年発行)P.30-34 ●『志賀直哉(上)』(本多秋五 岩波書店 平成3年発行)P.157-163 

※当ページの最終修正年月日
2024.1.16

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