明治45年2月19日(1912年。
志賀直哉(28歳)がシェークスピアの「ハムレット」の芝居を観ています。数日後、元となった坪内逍遥訳の原作『ハムレット』も読み、日記に次のように書きました。
・・・あの悲劇の根本は客観的にはマルデ存在し得ないといふ発見が非常に愉快だつた。若
し自分の『クローディヤス』が、
弘
く読まれるやうになれば『ハムレット』といふ悲劇は存在出来なくなると思つた。見物人は真面目に見てゐられなくなる。
『ハムレット』では、デンマーク王国の王子・ハムレットが、急死した父(先の王)が、叔父のクローディアス(父の弟。現在の王)に毒殺されたと父の亡霊から聞き、クローディアスへの復讐を誓います。観客はハムレット目線で見、感じるので、クローディアスが
殺
ったに違いないと思いながら舞台を観ることでしょう。でも考えてみたら、「亡霊から聞いた」に過ぎないのであって(妄想か、勘違いか)、志賀がいうように「あの悲劇の根本は客観的にはマルデ存在し得ない」。
志賀は、逍遥訳の『ハムレット』を読んだ翌日から、クローディアスの視点で「ハムレット」を書き換えていきます。そして、半年後の同年(明治45年)8月下旬、『クローディヤスの日記』(『清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)』に所収されている Amazon→)を書き上げました。日記の形で、クローディアスの心情が吐露されます。
・・・おれが何時貴様の父を毒殺した?
誰がそれを見た? 見た者は誰だ? 一人でもそういう人間があるか? 一体貴様の頭は何からそんな考を得た? 貴様はそれを聞いたのか? 知ったのか? 想像したのか?・・・(志賀直哉『クローディヤスの日記』より)
悲劇の主体はハムレットではなく、何もやっていないのにハムレットから疑われ、疑われているのを意識するあまりにハムレットが予想するとおりのことをしてしまうクローディアスなのかもしれません。
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久生十蘭 |
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久生十蘭
も『ハムレット』を書いていますが、彼のは、ハムレットを演じた役者が窓から転落し、そのあと自分を本当のハムレットと思うようになるという話。とこれだけ書くと笑い話ですが、さにあらず、演劇に関する知識を散りばめて構築された文章で(著者の久生はパリで演劇を学んでいる)、ミステリータッチ。 太宰 治も32裁で『新ハムレット』(Amazon→ 青空文庫→)というのを書いています。太宰にとって初の書き下ろしの長編で、「狭い、心理の実験」と謙遜しつつも、「見落し易い心理の経緯」があるので二度・三度読むことを勧めており、実はかなりの自信作なのでしょう。芥川
比呂志
や加藤道夫らが舞台化を推進しましたが、実現しませんでした。
「書き換え」は文学・芸術で多用される手法で、芥川龍之介も、古典やおとぎ話などを下敷きに面白い話をたくさん書いています。
波多野秋子が芥川に書かせた『猿蟹
合戦』という短編小説があります。
昔ながらの「さるかに合戦」は、ずる賢い猿に親を殺された蟹の子たちが、臼、蜂、卵(栗、牛糞が加わることも)の力を借りて親の仇
を討つ話。「親の仇が取れて、めでたし、めでたし」と読まれるのが常でしょう。
ところが、芥川は、復讐をとげた子蟹たちのその後について書き、生々しいドラマに書き換えてしまいます。子蟹と臼と蜂と卵はその後警察に捕まり、裁判の結果、主犯の子蟹は死刑、他の臼らも無期懲役になります。猿が投げつけた青柿によって親を殺されたと子蟹は主張しますが、猿に殺意があったことを証明することができません。せいぜい「未必の故意」程度でしょう。それなのに、子蟹たちは故意に猿を殺してしまった。世論とて子蟹たちにまったく同情しません。利益を奪われた私憤から殺害にいたったのだと。
子蟹には妻と三人の息子がいて、子蟹刑死後の彼らについても、芥川は皮肉たっぷりに書いています。
・・・ついでに蟹の死んだ後のち、蟹の家庭はどうしたか、それも少し書いておきたい。蟹の妻は売笑婦になった。なった動機は貧困のためか、彼女自身の性情のためか、どちらか未に判然しない。蟹の長男は父の没後、新聞雑誌の用語を使うと、「飜然と心を改めた。」今は何でもある株屋の番頭か何かしているという。この蟹はある時自分の穴へ、同類の肉を食うために、怪我をした仲間を引きずりこんだ。クロポトキンが相互扶助論の中に、蟹も同類をいたわるという実例を引いたのはこの蟹である。次男の蟹は小説家になった。勿論小説家のことだから、女に惚れるほかは何もしない。ただ父蟹の一生を例に、善は悪の異名であるなどと、いい加減な皮肉を並べている。三男の蟹は愚物だったから、蟹よりほかのものになれなかった。それが横這に歩いていると、握り飯が一つ落ちていた。握り飯は彼の好物だった。彼は大きい鋏の先にこの獲物を拾い上げた。すると高い柿の木の梢に虱を取っていた猿が一匹、――その先は話す必要はあるまい。・・・
と筆は冴え渡り、そして、最後の驚きの2行が待っています(原文でお読みください)。『蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫) 』(Amazon→ 青空文庫→)に収録。
川端康成の『伊豆の踊子』(Amazon→)では、主人公の一高生が「(旧)天城トンネル」(この頁のタイトル部の写真を参照。静岡県伊豆市湯ケ島 Map→ Photo1(天城側入口)→ Photo2(トンネル中程より下田側入口を見る)→)を湯ヶ島の方から下田の方へ抜けますが、松本清張は『天城越え』で同じトンネルを主人公の少年に反対方向へ抜けさせています。『伊豆の踊子』の一高生は踊り子の情愛に結局応えられませんが、『天城越え』の少年は女を好きになり、その女のためと思って殺人まで犯してしまいます(女が少年の罪をかぶる)。『伊豆の踊子』の一高生は茶屋に過分な50銭銀貨を置いていきますが、 『天城越え』の少年はたった16銭を握りしめているだけでした(少年は下田から家出してきた)。『伊豆の踊子』の一高生は「
朴歯の高下駄」を誇らしげに鳴らしていますが、 『天城越え』の女は裸足
。
謡曲(能のセリフ部分)も前からある物語を題材にしますが、謡曲もまた、後世の人が書き換え、別の新たな物語に生まれ変わらせています。
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『久生十蘭集(怪奇探偵小説傑作選3)』(筑摩書房)。代表作の「ハムレット」など14編を収録。どこか現実ばなりした魅惑的な空間で繰り広げられる人間の情念劇 |
江戸川乱歩『心理試験 』(春陽堂書店)。監修:落合教幸。ドストエフスキーの『罪と罰』と、心理学者・ミュンスターベルヒの著作からヒントを得て書かれた「心理試験」他、6編を収録 |
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『昔話法廷』(金の星社)。企画・原案:NHKEテレ「昔話法廷」制作班。昔話での「事件」が現在の法廷で審議されるとどうなるだろう? |
「天城越え」(松竹)。原作:松本清張。監督:三村晴彦。斬新な画面と、忘れ得ない田中裕子の演技。原作は『黒い画集 (新潮文庫)』(Amazon→)に収録されている |
■ 馬込文学マラソン:
・ 川端康成の『雪国』を読む→
・ 志賀直哉の『暗夜行路』を読む→
・ 芥川龍之介の『魔術』を読む→
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
■ 参考文献:
●『志賀直哉(上)(岩波新書)』(本多秋五 平成2年発行)P.71-78 ●『清兵衛と瓢箪・網走まで(新潮文庫)』※『クローディヤスの日記』も収録されている(志賀直哉 昭和43年発行 昭和53年17刷参照)P.167-186 ●『奇想の森(ミステリーの愉しみ(1))』(立風書房 平成3年発行)P.119-256、P.467-468 ※久生十蘭の『ハムレット』と著者紹介・作品紹介
※当ページの最終修正年月日
2024.2.19
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