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「山王書房」の店内でくつろぐ店主の関口良雄。奥の扁額は尾﨑士郎の筆。昭和41年の撮影 ※ご家族からお写真の使用許可をいただきました 昭和28年4月25日(1953年。 当地に、日本近代文学専門の古書店「山王書房」(現・「カフェ 昔日の客」(東京都大田区中央一丁目16-12 map→ twitter→))が開店します。店主は関口良雄(35歳)。 関口は6年前の昭和22年より印刷所で働いていましたが、大の文学書好きで、稼いだお金の大半が古書購入で消えたそうです。蔵書が増えるにしたがって古書店を開く夢がふくらんでいったそうです。妻の洋子(5年前の昭和23年に結婚)の同意を得て、実現に動き出します。 開店2〜3日目の「山王書房」に、当地(東京都品川区大井七丁目)に住んでいた矢部
尾崎一雄のエッセイ『口の滑り』に出てくる「関本良三」は関口がモデル( 『ある私小説家の憂鬱』(Amazon→)に収録 )。実家が当地にあった沢木耕太郎さんも「ぼくも散歩と古本が好き」というエッセイに「山王書房」を利用していた時のことを書いています。(『バーボン・ストリート』(Amazon→)に収録 ) 。 「山王書房」開店の5年前(昭和23年)、樺太から引き揚げてきた
場所は「大森郵便局」(東京都大田区山王三丁目9-13 map→)の池上通りを挟んだ向いあたりで、敗戦直後、「大森駅」から「大森郵便局」あたりまでおよそ990mにわたって400軒もの闇屋が並び、「東京一長い」簡易マーケットになっていました。その末端あたりでひっそり本を商ったですね。 埴原の小説『ある引揚者の生活』(昭和33年発表)によると、
「
・・・ ミクニは馴れた動作で本を整理したり、いかにも以前から商人のように、ちゃんとリンゴ台に腰を下して店番をしている。不思議な女だと赤三は妻の動きを少しはなれて眺めた。赤三と少子は店のまわりをぐるぐるしていたが、それにあきると他の露店をのぞいたりして、疲れたとき赤三はミクニに代って店番の台に腰を下した。案外、生活の座があるのに驚いた。夕刻五時頃までに七、八冊の本が売れたがほとんど赤三の蔵書ばかりで、何んだか自分の精神を切り売りしている淋しさに心が重くなった。 川口松太郎も、たくましくも14歳頃(大正2年頃)、一人、伝法院(東京都台東区浅草二丁目3 map→)の塀際に古本を並べて商売していました。 根っからの苦労人で(自分では苦労と思ってなかった節もあり)、彼の作品の人情味は、そこあたりから来るのでしょうね。 ------------------------------------------------------ 出版業界の市場規模(推定販売金額)は、平成8年をピークに、21年後の平成29年には50パーセントほどにも減少したようです。1990年代以降のインターネットの普及の影響が大きいと思われます。それまで書籍・雑誌から得ていた情報の多くを手軽にインターネットから得られるようになってきました。 とはいえ、出版社が長い年月をかけて築いてきた「信頼」は大きく(「売らんかなの出版社」に転落するところも多いようだが)、良質な情報は、以前と変わらずに、良質な出版社から発信されています。人生に行き詰った時でも、本屋に行けば何とかなる(解決に向けた何らかの鍵(本)を得ることができる)と感じている方も多いと思います。アジール(聖域、避難所、自由領域)としての役割を本屋は果たしてきました。 本屋も、通販サイトの影響もあって、急速に減少しているようです。2000年からの10年間で、30パーセントほども減少したという統計があり、また、存続している本屋も例外はあっても以前ほどは利用されていないように感じられます。古書店は“掘り出し物”もありますが、本を効率よく見つけ、それなりの価格で入手することを考えると(出品者が提示した価格を比較できる)、通販サイトが圧倒的に便利です。レビューを参考にすることもできますし。本屋が生き残るには、相当な覚悟と、こだわりと、工夫と研鑽が必要と思われます。 そんな中、面白い試みもなされています。 東京キララ社の「ヴァイナル文學選書」は、1つの町を舞台にした小説を複数の作家が書き、その町でしか販売しないといった限定的な方法を取っています。その町に行かなくては本を入手できないのです(通販はやっているようです)。例えば、新宿歌舞伎町を舞台にした菊地
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |