(C) Designroom RUNE
総計- 本日- 昨日-

{column0}

関口良雄の『昔日の客』を読む(懐かしいお客さん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古本屋には、いろいろな客がやって来る。 こんな客もいたそうだ。

青年は、日に一度は必ず、時には二度も店に来る。 しかし買うことはまれで、買ったとしても安い均一本。少ない給料から本代を捻出するのは翌日の昼食を諦めることにもつながるのだ。だから値引き交渉もする。 ある日、主人は青年を叱る。 「うちも商売でやっているんだからね」 と。

そんなある日、青年は高価な本をカウンターに持ってきた。 主人は驚く。

・・・そして、9年が過ぎ、主人に一本の電話がある。

・・・「もしもし、関口さんですか」
夜の九時頃だった。
「はい、関口ですが、どなたですか」
野呂邦暢のろ・くにのぶです」
「野呂邦暢さんと言うと、今度 『草のつるぎ』 で芥川賞を受賞された方ですね、何かご用でしょうか」・・・(『昔日の客』より)

「関口さん」とは、この古本屋の主人の関口良雄、『昔日の客』の著者だ。かつて関口が叱った青年が芥川賞を取ったようなのだ。

野呂は電話口で、当時を懐かしげに語った。 『ブルデルの彫刻集』(筑摩書房)をカウンターに持っていくと、関口が理由を尋ねたのか、 野呂は東京を離れることと、東京の記念にこの写真集を買おうと思うと告げる。関口は本を丁寧に包装し、代金の1/3は受取らなかったという。店を後にする野呂関口は「元気でおやんなさい」と声をかけた。 野呂は懐かしく思い、電話をしてきたのだった。

『昔日の客』 には、こういった古本屋主人と本好きな人たちとのほのぼのとした交流がいろいろ書かれている。


『昔日の客』 について

『昔日の客(三茶書房版)』 。右下のワンポイントは、関口の俳名 「銀杏子」 より ※平成22年、夏葉社より復刊されたものは→
『昔日の客(三茶書房版)』 。右下のワンポイントは、関口の俳名 「銀杏子」 より ※平成22年、夏葉社より復刊されたものは→

当地(東京都大田区中央一丁目)にあった古書店 「山王書房」 の主人・関口良雄の随筆集。家族のすすめで還暦記念に発行する予定だったが、本の完成間際、関口は没する。発行されたのは、没後1年2ヶ月ほどした昭和53年10月30日。 発行は三茶書房。 あとがきを息子の直人さんが書いている。

口絵には、関口の友人山高 登の手刷り版画が。絵柄は、関口が散歩でよく行った曙楼
口絵には、関口の友人山高 登の手刷り版画が。絵柄は、関口が散歩でよく行った曙楼

関口良雄について

山王書房における関口良雄。奥の山王書房と書かれた扁額は尾﨑士郎の筆による。昭和41年撮影 ※ご家族から掲載許可をいただきました
山王書房における関口良雄。奥の山王書房と書かれた扁額は尾﨑士郎の筆による。昭和41年撮影 ※ご家族から掲載許可をいただきました

兄姉を頼って上京、体を壊す
大正7年2月11日(1918年)、長野県飯田市の米屋で生まれる。 9人兄弟(内女性2人)の6男。 小学校卒業後、姉を頼って上京(目黒区大岡山)。 兄が経営する名刺の紙屋でバイクに乗って営業した。後に大田区長原で新聞販売店を営む別の兄のところで働きながら錦城中学に通うが、体を壊して退学。 昭和20年(27歳)、横須賀の海軍に入隊するが、十二指腸潰瘍を患い霞ヶ浦の海軍病院に入院。 そこで終戦を迎えた。

古本屋へ
戦後、新聞連盟関東本部に勤めるが、連盟解散後、文星閣印刷に入社(昭和23年30歳)。翌年、結婚。文学熱が高じ、給料の大半が古書に化けたという。昭和28年(35歳)、日本近代文学専門の古書店 「山王書房」 を開店する。 昭和38年(45歳)、「上林 暁文学書目」、翌39年には 「尾崎一雄文学書目」 を自費で発行。 発行後、書籍の散逸を望まず、両名の全著作(初版 91点)を日本近代文学館に寄贈する。

作家との交流
古書販売業のかたわら俳句や書に親しみ、昭和45年(52歳)には、尾崎一雄(71歳)上林 暁(68歳)木山捷平(66歳)山高 登(44歳)らと五人句集 『群島』を作る。 加藤楸邨主宰の「寒雷」や同人誌 「風報」にも寄稿した。

作家とさかんに交流し、作家の著作に関口はしばしば登場する。 尾崎一雄の 『口の滑り』 (昭和38年「新潮」 。翌年NHKでドラマ化)。 木山捷平の『酔いざめ日記』(昭和50年)、沢木耕太郎の『バーボンストリート』(昭和59年)など。 青木正美の『古書店奇人伝』にも、関口のことが詳しく書かれている。

自宅で亡くなる
昭和52年4月、大森赤十字病院(東京都大田区中央四丁目 30-1 map→)に入院。 7月末に丸山ワクチンによる自宅治療に切り替える。

なつかしき 我が家に戻り 水引草

は、その頃の作か。同年8月22日の朝、自宅で息を引き取る。 59歳。 結腸癌だった。 墓所は、浦和の真福寺( ) 。

『関口良雄さんを憶う(復刻版)』。 尾崎一雄、小田切 進、加藤楸邨、上林 暁、久保田正文、添田知道、中村一枝、長岡輝子、野呂邦暢、萩原葉子、矢部堯一、山高 登らが文を寄せている 青木正美 『古本屋奇人伝』。関口良雄の評伝を所収
関口良雄さんを憶う(復刻版)』。 尾崎一雄小田切 進加藤楸邨上林 暁久保田正文添田知道、中村一枝、長岡輝子野呂邦暢萩原葉子矢部堯一山高 登らが文を寄せている 青木正美 『古本屋奇人伝』。関口良雄の評伝あり

関口良雄と馬込文学圏

昭和28年4月25日(35歳)、「山王書房」を開店。 亡くなる昭和52年までの24年間営業した。

多くの人と交流があった。矢部堯一(開店直後の客) 、 尾﨑士郎矢部の紹介で知り合い終生親交)、長岡輝子(店の上がりかまちで長話する仲)、萩原葉子(長電話したり、散歩したり、一緒に鰻を食べたり)、 小田切 進山王書房の近くに住みたいと言っていた)、野呂邦暢(昭和31年頃(野呂19歳)、山王書房から歩いて1分もかからないところに下宿して会社勤めしていた。毎日のように山王書房に通う。 詳しくは上掲文で)、三島由紀夫瑤子夫妻(当地(東京都大田区蒲田)のボディービル・ジムへの行き帰りに寄った。三島の父親・平岡 梓も来店)、尾崎一雄(蔵書の買い取りを依頼するうちに親交) 、沢木耕太郎(実家が山王書房の近くにあり、里帰りのおり立ち寄った)、山高 登上林 暁の話で意気投合。一緒に酒を飲んだり、旅に出たり)、和久田誠男(歩いて3分ほどの所に家があり、中学生の頃から山王書房によく通った。 晩年に開業した古書店「天誠書林」は山王書房を彷彿とさせた)など。

作家別馬込文学圏地図「関口良雄」→


参考文献

●『昔日の客』 (関口良雄 三茶書房 昭和53年発行)P.118-119 ●『関口良雄さんを憶う(復刻版)』 (編集人:尾崎一雄 夏葉社 平成23年発行)P.18、P.47、P.49-51、P.59、P.66、P.70 ●『古本屋奇人伝』(青木正美 東京堂出版 平成5年発行)P.138-158 ● 『バーボン・ストリート( 新潮文庫)』(沢木耕太郎 平成元年発行)P.221-238 ●『わが町あれこれ 第2号』 (編集:城戸 昇 あれこれ社 平成6年発行) P.28 ●『わがまち新井宿(第56号)』(平成24年4月1日発行)※~新井宿ゆかりの文学紹介~ 関口良雄著『昔日の客』(寄稿:関口直人


参考サイト

西荻ブックマーク/●『昔日の客』を読む ~大森・山王書房ものがたり~→ ●『昔日の客』 復刊応援特集→ ●「大森・山王書房の旅」 レポート→ ●関連資料→ ●昔日の客→

Kanecoの日記/『昔日の客』 への旅→


謝辞

ご子息の関口直人様から内容上のことでご指導いただきました。また、お写真掲載の許可をいただきました。ありがとうございます。

※当ページの最終修正年月日
2019.4.25

この頁の頭に戻る