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死を思う(昭和49年1月4日、山本有三、入院する)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山本有三

昭和49年1月4日(1974年。 山本有三(86歳)が、脳梗塞の発作を起こし国立熱海病院に入院しました。そこでつぶやいたのが、

今ここで死んでたまるか七日くる

しかし、これが山本の最期の言葉となります。 7日後の11日、死去。やり残したことがあり、道半ばで倒れる無念と、それでも生き抜こうという強い意志とが滲んでいます。

人は常にプロセスにあり、何かをやり終えた時にももう違うことが始まっているのだろうから、何かをすっかりやり終えて死につくというのは難しそうです。

高見順

高見 順は昭和37年(55歳)、伊藤 整、小田切 進らと「日本近代文学館」の設立に向けて動き出しましたが、その翌年(昭和38年。56歳)に食道にガンが見つかり、以後、入退院を繰り返します。1度目の手術のあとの8ヶ月間に書きためた詩が『死の淵より』にまとまっています。

帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする

・・・(中略)・・・

大地に帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである・・・

(高見 順「帰る旅」より)

自分の「死」を思い、それを受け入れ得たときに、世界は穏やかに輝き出すようです。

電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙が出そうになる
団地のアパートのひとつひとつの窓に
ふりそそぐ暖い日ざし
楽しくさえずりながら
飛び交うスズメの群
光る風
喜ぶ川面
微笑のようなそのさざなみ
かなたの京浜工場地帯の
高い煙突から勢いよく立ちのぼるけむり・・・

(高見 順「電車の窓の外は」より)

宮沢賢治

宮沢賢治も昭和3年頃(32歳頃)、急性肺炎にかかり、生死の境をさまよっています。

・・・こんなに本気でいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄 こんぱく なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。

(宮沢賢治「眼にて云ふ」より)

やはり、「末期の眼」には、身近などんな事物も美しく映るのでしょうか。

言うまでもなく、全生物は、生まれ落ちた時から、刻一刻死に近づいていきます。もちろん人間も例外ではありません。どんなに見目麗しく、どんなに壮健であっても、またたとえ、世界中の健康法や医療や妙薬を試みたとしても、それに変わりはありません。ピーテル・ブリューゲル(ブラバント公国(現・オランダ)の画家。1525年頃-1569)が絵にしたように、ある意味、人がどう抗おうと結局は「死」が勝利します。

ピーテル・ブリューゲルの「死の勝利」より ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:世界のタグ名画/死の勝利 / ピーテル・ブリューゲル→ ピーテル・ブリューゲルの「死の勝利」より。「死の勝利」のモチーフは14世紀ヨーロッパのペストの大流行(2,500万人ほどが死亡)以後よく描かれた。リストの「死の舞踏」Amazo→は、「死の勝利」の絵にインスパイアーされ作曲された ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:世界のタグ名画/死の勝利 / ピーテル・ブリューゲル→

そもそも「死」は抗うものではないのだろうし、「死」を受けいれた時、心に平安が訪れ、ポジティブな感覚と感情を持てるのなら、肉体的な真実としての「死」を受け入れ、日々生きれないものでしょうか。西洋には「メメント・モリ」(死を想え)という言葉がありますし、東洋にも「大死だいし 一番」(自己の一切を投げ捨てて仏法に徹する)という言葉があります。自身も「死ぬる存在」であるとの認識が思索(哲学)の出発点でしょうか。

倉田百三の『出家とその弟子』には、「死ぬるもの」と題された序曲があり、次のくだりがあります。

人間・・・わしは今日までさまざまの悲しみを知って来た。しかし悲しめば悲しむだけこの世が好きになる。ああ不思議な世界よ。わしはお前に執着する。愛すべき娑婆しゃばよ、わしは煩悩ぼんのうの林に遊びたい。千年も万年も生きていたい、いつまでも。いつまでも。
おおいせる者 (あらわる)お前は何者じゃ。
人間 私は人間でございます。
顔覆いせる者 では「死ぬるもの」じゃな。
人間 私は生きています。私の知っているのはこれきりです。
顔覆いせる者 お前はまたごまかしたな。・・・

(倉田百三『出家とその弟子』より)

徳永 進 『死の文化を豊かに (ちくま文庫)』。徳永氏は、鳥取市のホスピス「野の花診療所」の院長 岸本英夫 『死を見つめる心 (講談社文庫)』
徳永 進『死の文化を豊かに (ちくま文庫)』。徳永氏は、鳥取市のホスピス「野の花診療所」の院長 岸本英夫『死を見つめる心 (講談社文庫)』
藤原新也『メメント・モリ』(朝日新聞出版) 『死の美術大全 〜8000年のメメント・モリ〜』(河出書房新社)。編:ジョアンナ・エーベンシュタイン、訳:北川 玲
藤原新也『メメント・モリ』(朝日新聞出版) 『死の美術大全 〜8000年のメメント・モリ〜』(河出書房新社)。編:ジョアンナ・エーベンシュタイン、訳:北川 玲

■ 馬込文学マラソン:
高見 順の『死の淵より』を読む→
芥川龍之介の『魔術』を読む→
倉田百三の『出家とその弟子』を読む→

■ 参考文献:
●『山本有三(新潮日本文学アルバム)』(昭和61年発行)P.65-70、P.86-87 ●『濁流 ~雑談=近衛文麿』(山本有三 毎日新聞社 昭和49年発行)P.22-50 ●『高見 順 ~人と作品~』(石光 葆 清水書院 昭和44年初版発行 昭和46年2刷参照)P.88-120 ●『高見 順(新潮文学全集14)』(昭和56年発行)P.325-327 ●『疾中』(宮沢賢治)青空文庫→

※当ページの最終修正年月日
2023.1.3

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