近衛文麿

近衛文麿

このえ・ふみまろ。明治24年東京千代田区の五摂家の1つ近衞家に生まれる。12歳時、父が病没して当主になる。一高・帝大時代は、新渡戸稲造、河上肇に傾倒。25歳で貴族院議員を世襲し、西園寺公望の秘書としてパリ講和会議に出席。日中戦争勃発時頃から太平洋戦争勃発直前までに3度内閣総理大臣になる。太平洋戦争開戦後すぐに終戦工作に動いたが、昭和20年(54歳)A級戦犯に指定され、服毒自死する。参考サイト:ウィキペディア/近衛文麿→

※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/近衛文麿(平成25年12月1日更新版)→

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