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末期の眼(昭和10年12月6日、矢野綾子、死去する)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

矢野綾子
矢野綾子

昭和10年12月6日(1935年。 堀 辰雄(30歳)の婚約者だった矢野綾子が、結核で亡くなりました。矢野は、の小説『風立ちぬ』Amazon→ 青空文庫→のヒロイン・節子のモデルになった人です。

堀と矢野は前年の昭和9年9月に婚約、しかし、年を越して昭和10年になると矢野の病状が急激に悪化、矢野は「富士見高原療養所」(現「富士見高原病院」(長野県諏訪郡富士見町落合11100 map→ site→ ※院内に「旧富士見高原療養所資料館」(紹介Site→)がある))に入所することになります。も長年胸を患っていたので、看病も兼ね、一緒に入所しました。

冬になると矢野の病状はさらに悪化します。

『風立ちぬ』には矢野の死の前日の日付(12月5日)の手記があります。その日、節子は、窓から見える山襞に父親の顔を見つけ小さな叫び声を上げました。この期になって家に帰りたいと言い出すのです。

・・・彼女は両手で顔を押さへていた。急に何もかもが自分達から失なわれて行ってしまいそうな、不安な気持で一ぱいになりながら、私はベッドに駆けよって、その手を彼女の顔から無理に除けた。彼女は私に抗おうとしなかった。
 高いほどな額、もう静かな光さへ見せている目、引きしまった口もと、──何一ついつもと少しも変わっていず、いつもよりかもっともっと犯し難いように私には思われた。……さうして私は何んでもないのにそんなに怯え切っている私自身を反って子供のように感ぜずにはいられなかった。私はそれから急に力が抜けてしまったようになって、がっくりと膝を突いて、ベッドの縁に顔を埋めた。そうしてそのままいつまでもぴったりとそれを顔に押しつけていた。病人の手が私の髪の毛を軽く撫でているのを感じ出しながら ……
 部屋の中までもう薄暗くなっていた。

ここで一つの章が終わり、実際に沿うとすれば、その翌日、節子は亡くなります。次章はぽんと飛んで一年後のこととなります。

よくあるような二人の感動的な別れを想像した方は、上の引用文を読まれて、驚かれたかもしれません。節子の「末期の眼」に強く映ったのは、「私」ではなく「お父様」だったこと、そして、そのことに深く傷ついた「私」を病人(節子)が慰めていることに。

芥川龍之介

芥川龍之介が死を目前にして見る景色について書いています。遺書(「ある 旧友へ送る手記」青空文庫→)に次のようにあります。

・・・唯自然はこういう僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう。けれども自然の美しいのは、僕の末期の目に映るからである。・・・

これが最後とつくづくと虚心に対するから顕現する「美しさ」。危険が迫っていると感じていただろう小林多喜二の耳に、ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」はいかに美しく荘厳に鳴り響いたことでしょう。一期一会」という千利休の言葉が思い出されます。茶会に望む時、また次があると思うと、相手に対する誠意に欠くこととなるので、これが最後の出会いと思ってやるようにとの教えのようです。これが最後と虚心になる時、相手のかけがえのなさ(美しさ)が顕現するのでしょう。

また、虚心になる時、その主体も美しい。椎名林檎さんの「閃光少女」YouTube→ 歌詞→は、その美しさへの憧れを歌ったものでしょう。「これが最期だって光っていたい」と。

川端康成

芥川の遺書の「末期の目」という言葉に心惹かれて、昭和8年、川端康成(34歳)が『末期の眼』という随筆を書いています。川端はそれまで芥川の文学を評価していませんでしたが、芥川の晩年の『歯車』(遺作)に接し、考えが一変し「心から頭を下げた」そうです。そして、川端は言います、

あらゆる芸術の極意は、この「末期の眼」であろう

と。まだまだ先があるだろうというぬる い考えは、芸術の敵なのかもしれません。

芥川の『歯車』は、文中の「東海道のある停車場へその奥の避暑地」(晩年、静養した神奈川県鵠沼の東屋あたりだろう)、「姉の夫」の「轢死れきし」(実際にも、死の年(昭和2年)、姉ヒサの夫が放火の嫌疑をかけられ鉄道自殺を遂げた)などの言葉から、私小説に近いものと思われます。幻覚がいかに現れ、強迫的な観念にいかに追い詰められるかが書かれており、興味深いです。何よりすごいのはこのような深刻な題材を取り上げながらも、芥川の小説は「面白い」こと。

最期にどういう景色を見るか」というのは、全人類、全ての人に関わることで、文学のテーマとしてもよく取り上げられるようです。

令和元年から令和2年にかけて、平野啓一郎さんが『本心』という小説を「東京新聞(朝刊)」に連載しています。安楽死を望みつつも事故死した母親の“本心”にたどり着こうとする「僕」(一人残された息子)の物語。母親が「最期に見たいと願った景色」のイメージが「僕」を救い、そして、だからこそ、本当の「母親との別れ」(死せる者の内面化、自立、他者を愛する)の時がきます。

小島政二郎は、関東大震災の時、ロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』を読みそれを思い出しながら、その苦難を勇気を持って乗り越えていったそうです。この長大な小説には一生モンの場面やセリフが散りばめられてますが、主人公のジャン・クリストフに大きな影響を与えた祖父が息を引き取る場面もその一つ。ジャンにとって限りなく威厳があり、限りなく優しかった祖父でしたが、その臨終の混沌の中にあって一言叫びます、「お母さん!」と。

芥川も死の前年(大正15年)、斎藤茂吉に当てた書簡に「先夜も往来にて死にし母に出会ひ」と書いています。

人は、末期の苦しみや恐怖の中で、全ての外聞から自由になり、そして、どんなイメージを念じ求めるでしょう。やはり、自分を理解し受け入れてくれる「母なる存在」でしょうか。

・・・なあ、あんた。男が弱々しくつぶやいた。後生じゃから、お乳を見せてくれんかのう。
  怒気含みで足を踏み出した鹿康平を、シャオは首をふって止めた。それから片手でシャツのボタンをはずし、胸をはだけ、白い乳房を男の汚れた手に触れさせた。その手はぶるぶる震えていた。男は唇を突き出してチュッチュッと音をたてた。シャオは彼の頭を撫でてやった。鹿康平はそっぽを向いて舌打ちをしたが、そのわずかなあいだに男は死んでしまった。シャオはしばらく顔を伏せていた。
  鹿康平は男のゴツゴツした手を見下ろした。半開きで、一生なにかを取り逃がしつづけてきたような手だった。余すところなく惨めな死のなかで、最期に乳房に触れることができたその手だけが満たされていた。・・・(東山彰良『怪物』より ※令和2年12月4日現在、「東京新聞(夕刊)」で連載中)

「観音様」(女神が起源とされる)という言葉が思い浮かびます。文壇を騒がせた文壇きっての“美女”山田順子は、晩年、鎌倉の長谷寺で観音に救いを求めています。彼女の「末期の眼」にはきっと「観音様」が現れたことでしょう。

『川端康成随筆集 (岩波文庫) 』。「末期の眼」を収録 芥川龍之介『歯車 他二篇(岩波文庫) 』※青空文庫/歯車→
川端康成随筆集 (岩波文庫) 』。「末期の眼」を収録 芥川龍之介『歯車 他二篇(岩波文庫) 』※青空文庫/歯車→

■ 馬込文学マラソン:
堀 辰雄の『聖家族』を読む→
芥川龍之介の『魔術』を読む→
川端康成の『雪国』を読む→

■ 参考文献:
●『堀 辰雄(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)P.106  ●『美しい日本の私(角川ソフィア文庫)』(川端康成 平成27年発行)P.16-19 ●『芥川龍之介(新潮日本文学アルバム)』(昭和58年初版発行 同年発行2刷参照)P.86、108

■ 参考サイト:
●ウィキペディア/・一期一会(令和2年10月28日更新版)→ ・観音菩薩(令和2年7月13日更新版)→

※当ページの最終修正年月日
2020.12.4

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