大田南畝

大田南畝

おおた・なんぽ。四方赤良よもの・あから 蜀山人しょくさんじん の号も。寛延2年(1749年)、現・新宿生まれの江戸中期を代表する文化人。狂歌の大家。田沼時代の勘定奉行土山宗次郎から援助を受け、吉原の遊女を身請け。寛政の改革後は幕臣として励む。文化5年(1808年)、当地(東京都大田区の多摩川沿岸)の治水状況を3ヶ月半にわたり視察、その間のことを『調布日記』に記す。文政6年(1823年。74歳)死去。参考サイト:ウィキペディア/大田南畝→

※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/大田南畝(平成26年12月10日更新版)→

戻る 閉じる 「馬込文学マラソン」 のHPへ→