大正6年2月25日(1917年。
萩原朔太郎(30歳)が「上毛新聞」に「風俗壊乱
の詩とは何ぞ(上)」という一文を寄せました。10日前(2月15日)、朔太郎は第一詩集『月に吠える』を発行したところ、6日後の21日、内務省から発売禁止(発禁)の内達があって、問題になった2篇を除いて出版し直さざるを得なくなったのです。
・・・禁止されたものは「愛憐」及び「恋を恋する人」の二篇であって、共に性欲に関する一種の憧憬
およびその美感を歌ったものであるが、その取材といい内容といい極めて典雅な耽美的の叙情詩であって、どこに一つの不思議もないものである。もしもかような詩篇が風俗を壊乱するというのなら、古来のあらゆる叙情詩の中でいやしくも恋愛に関するものは、ことごとく禁止されなければならないはずである。思うにこの標準でいくと聖書の『雅歌』や日本の『万葉集』などは、最も風俗壊乱のはなはだしい詩歌にちがひない。・・・(中略)・・・こうした感情を読者諸君に告白するために最も適当な仕事は、その禁止されたる…いわゆる淫猥なる色情詩なるものをここに掲載して、社会の眼で見てもらうことである。しかし残念ながらその仕事はできないことである。・・・(萩原朔太郎「風俗壊乱の詩とは何ぞ」より)
問題になった2篇ですが、今では普通に読むことができます。
愛憐
きつと可愛いかたい歯で、
草のみどりをかみしめる女よ、
女よ、
このうす青い草のいんきで、
まんべんなくお前の顔をいろどつて、
おまへの情慾をたかぶらしめ、
しげる草むらでこつそりあそばう、
みたまへ、
ここにはつりがね草がくびをふり、
あそこではりんだうの手がしなしなと動いてゐる、
ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、
お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、
さうしてこの人気のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、
ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
おまへの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。
これの何が問題なのでしょう? 「乳房を抱きしめる」「蛇のやうなあそびをしよう」「おまへの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけ」あたりでしょうか? もう一編の「恋に恋する人」はさらにマイルドです(青空文庫 ※問題にされた2編を含む→)。
内務省による言論・出版統制は、「出版法」(明治26年に公布。翌年から始める日清戦争への口封じでもあったろう。同年儀式用に「君が世」を指定)を法的根拠に、アジア太平洋戦争に破れるまでの半世紀にもわたりました(昭和21年公布の「日本国憲法」第21条で表現の自由が保障され、検閲が禁じられ、「出版法」は昭和24年に廃止)。
「出版法」が禁じたのは大きく分けて「安寧紊乱
」と「風俗壊乱」の2種で、『月に吠える』は後者に引っかかりました。
内務省は「風俗壊乱」の検閲基準を5つに分類しており、その第1が「猥褻なる事項」です。「春画淫本」「淫猥
、羞恥の情を起さしめ」「社会の風教を害する」「醜悪、挑発的な表現」を禁じましたが、それらの規定は極めて抽象的で、適用する側の感覚と匙加減でいかようにも解釈できた点が大問題。極端な話「こいつ気に入らない」となれば、どんな表現でもこじつけてダメ出しすることができたのです。
明治33年4月に創刊されたばかりの文芸誌「明星」も第8号が発禁になりました。一条
成美
が描いた2枚の裸体画が問題視されたのです。一条は責任を取って発行元の東京新詩社を退社しました。
「明星」が明治41年100号をもって終刊すると、翌明治42年、同誌で育った北原白秋(24歳)、木下杢太郎(24歳)、高村光太郎(26歳)らが「屋上庭園」を創刊しますが、表紙絵にした黒田清輝
(43歳)のスケッチが問題視され、創刊号から発禁です。
日本の検閲は「事後検閲」という特徴を持っていました。原稿の段階での検閲(「事前検閲」)ではなく、本がほとんど刷り上がって発売直前になって検閲を受けるというものです(頒布3日前、内務省に出版届けとともに見本を2部提出しなければならなかった)。その悪辣さは、頒布間際で「けしからん」となれば、それまで時間と費用と精力を注ぎ込んできた出版物が、一瞬にして水の泡と化し、著者、出版社、印刷・製本業者に、大きなダメージを与えることができる点にありました。こういう“摘発”が1回でもあれば、関係者は怖くって、本を出すとき、死活問題ですから、突っ込んだ表現を知らず知らずに避けるようになります。「発売禁止」はいい“見せしめ”となり、あとはほっといても自己規制するだろうと内務省は考えたのでしょうし、現にそうなりました。問題になりそうな箇所をあらかじめ伏せる「伏字」は、大体が、発売側が“自主的に”やったものです。
ヒットラーやムッソリーニのような独裁者が見当たらないのに、日本がドイツ・イタリアと同様な全体主義国家になったのは、こういった世界でも稀な検閲システム(言論抑圧システム)を有したからでしょう。
戦後、昭和24年(GHQ占領下)、「出版法」(「新聞紙法」という悪名高い法律もあった) が廃止されて、新憲法で表現の自由が保障され、性的な表現も自由にできるようになったかというと、そうでもありません。明治13年に制定された旧刑法259条をほぼそのまま受け継いだ刑法175条があって、「猥褻物の頒布」を禁じています。
第一七五条 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。
昭和26の「チャタレー裁判」では、ロレンツの『チャタレー夫人の恋人』を邦訳した伊藤 整と版元の小山書店社長・小山久二郎が同法に基づいて起訴され有罪となり、昭和34年の「悪徳の栄え裁判」でも、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』を邦訳した澁澤龍彦と現代思潮社社長・石井恭二が同罪を問われて起訴され有罪となり、昭和55年の「四畳半襖の下張裁判」でも、野坂昭如が月刊誌「面白半分」に永井荷風の「四畳半襖の下張」を掲載したところ、野坂と同誌の社長・佐藤嘉尚が起訴され有罪となりました。日本では起訴されたらほとんどもうダメなようです(何のための裁判?)。
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伊藤 整『裁判〈上〉』。(晶文社)。「チャタレー裁判」256日間の記録。正木ひろし、中島健蔵、福田恆存らが被告側に立ったが・・・ |
加藤孝之『性表現規制の限界 〜「わいせつ」概念とその規制根拠〜』(ミネルヴァ書房)。性表現をコントロールする理想的な法モデルを求め |
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園田
寿
、
臺 宏士
『エロスと「わいせつ」のあいだ 〜表現と規制の戦後攻防史〜 (朝日新書) 』。猥褻物を取り締まる刑法175条は、何を摘発し、何を罪に定めてきたか。そして、それらの判決の妥当性を多くの人が理解できたのか。刑法175条を考え直す |
「黒い雪」。監督:武智鉄二。主演:花ノ本 寿
。「横田基地」界隈で駐留軍相手の売春宿を経営する家の息子が、純愛への欲求と動物的な性欲、正義への希求と現実とに引き裂かれていく。映画の完成度は低いが、切り込んだテーマがちりばめられている。刑法第175条に抵触するとして公訴された |
■ 馬込文学マラソン:
・ 萩原朔太郎の『月に吠える』を読む→
・ 北原白秋の『桐の花』を読む→
■ 参考文献:
●『萩原朔太郎(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)P.40-41 ●「風俗壊乱の詩とは何ぞ」(萩原朔太郎)※『月に吠える(角川文庫)』(萩原朔太郎 昭和38年発行)に所収 ●『十五年戦争下の登山 〜研究ノート〜』(西本武志 本の泉社 平成22年初版発行 同年発行2刷参照)P.202-207 ●『エロスと「わいせつ」のあいだ(朝日新書) 〜表現と規制の戦後攻防史〜』(園田
寿、臺 宏士
平成28年初版発行)P.18-38
※当ページの最終修正年月日
2023.2.25
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