矢内原忠雄やないはら・ただお。明治26年愛媛県生まれの経済学者・宗教家。内村鑑三の無教会キリスト教、吉野作造の民本主義、新渡戸稲造の人道主義の影響を受ける。平和的かつ自主的な植民地論を講じ、教職を追われた(矢内原事件)。戦後、東京大学総長を6年間務めた。大学の自治と学問の自由を尊重。当地(東京都大田区山王二丁目)に大正14年から昭和7年まで居住。昭和36年(68歳)死去する。哲学者の矢内原伊作は息子。参考サイト:ウィキペディア/矢内原忠雄→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/矢内原忠雄(平成29年7月21日更新版)→ |