市川正一いちかわ・しょういち。明治25年山口県生まれの政治活動家。早稲田大学文学部卒業後、「読売新聞」の記者になるが、軍部の干渉に反対して退社。大正12年(31歳)日本共産党に入党、昭和3年、党を代表して第六回コミンテルンに参加した。帰国後、3.15大検挙で打撃を受けた党を、全協の結成などで復興させる。翌昭和4年(37歳)、当地(東京都大田区馬込)で検挙され無期懲役となる。昭和20年(52歳)獄死。参考サイト:ウィキペディア/市川正一→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『不屈の知性』(新日本出版社) |