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昭和26年9月27日(1951年。 坂口安吾(44歳)が、11日前の9月16日の伊東競輪場での第12レースで不正があったとして、地方検察庁に告発状を提出しています。 戦後直後、『堕落論』(Amazon→)で大ブレイクした安吾は、ヒロポン(覚せい剤の一種)で眠りたい身体を無理に叩き起こして、4日間一睡もせずに執筆するといった有様でした。とうとう身体が壊れ、今度は眠れなくなって睡眠薬に頼り、その中毒から発狂状態に陥ります。昭和24年(42歳)、伊豆の伊東に移転し、ぬるま湯に一日3回つかるのを日課にして療養につとめ、身体も精神も安定に向いますが、安吾はやはり、ヒリヒリする何かを求めてしまうのでしょう。時は、競輪が大流行で、大穴、八百長、焼討ち、女子競輪、と連日話題になっており、社会現象ならA級だろうがC級だろうが、そんなことに頓着する安吾ではないので、翌昭和25年頃から競輪場通いの日々となりました。安吾が伊東に越してきた翌年(昭和25年)、彼の住まいの近くに伊東競輪場(現「伊東温泉競輪場」(静岡県伊東市岡1280 Map→))ができます。まるで安吾のための競輪場のよう。彼の「散歩の半分」が競輪観戦に当てられるようになります。 探究心旺盛な彼は、ただ車券を買って勝った負けたで大騒ぎするだけでなく、競輪選手と予想屋から話を聞き、彼らの生活や競輪運営の仕組、競馬場の性格分析からそれにあった有効な車券の買い方まで探求していきます。「競輪という切り口」から人間心理や社会現象を探り、あわよくば仕事(小説執筆)にも生かそうとしたのでしょうが、やはり、とことんやってしまうので、家の有金を全部突っ込んだりと危ないところまでいってしまいます。仕事で家を出られないときは、彼の書いた詳細なメモとお金を持って、三千代夫人が代わりに競輪場に出向いたそうで、三千代夫人が競輪場にいくと、予想屋までが安吾の予想を聞きにきたといいます。そういった域にまで達していたのですね。 そうした中、昭和26年9月16日の第12レースで、選手の背番号を変えて一着と二着の入れ替えがあったとの不審から、安吾はレース写真の提出を求める文章をしたため、9月27日、「判定写真を偽作して民衆をだました」として、静岡県自転車振興会を告発したのです。民衆が“八百長を楽しむ”までは許容しても、“ボス”が民衆をだますことには徹底的に反発しました。 安吾の告発を「読売新聞」が大きく取り上げ、世間的にも大問題となります。“ボス”を相手にしているだけに、安吾は、檀 一雄の家や三千子夫人の実家などに身を隠した時期もありますが、『私は地下へはもぐらない』を書き、志を曲げることはありませんでした。結局は、同年(昭和26年)12月、嫌疑不十分で不起訴となりますが。 賭事(ギャンブル)は、刑法の第23章(第185-187条)の「賭博及び富くじに関する罪」で禁じられています。「
戦前のことですが、昭和8年11月17日、里見 弴(45歳)、佐佐木茂索(39歳)、久米正雄(41歳)、小穴隆一(38歳)、川口松太郎(34歳)ら文学関係者が、麻雀賭博の疑いで検挙されます((第一次)文士賭博事件)。彼らは事実を認めつつも罪の意識が希薄だったようです。夫人同伴で軽い気持ちで楽しんでいたようなのです。中国発祥の麻雀を日本でブームにしたのは、文藝春秋の創始者・菊池 寛です(大正12年の関東大震災以後)。文芸春秋社では麻雀牌も販売していたそうです。麻雀ブームの震源地は文壇だったのです。当地(東京都大田区)の“馬込文士村”にも早々に麻雀サークルができ、広津和郎、宇野千代、国木田虎雄、間宮茂輔らが熱中しています。「(第一次)文士賭博事件」の4ヶ月後(昭和9年3月16日〜)にも、医師、実業家、文士、画家、役者などが一斉検挙されます((第二次)文士賭博事件)。名を連ねたのは、広津和郎と伴侶の松沢はま、東郷青児、探偵小説の人気作家・甲賀三郎や
「第二次」の方は、20日ほど前の2月24日に直木三十五が死去、それを追善する目的で3月1日、福田蘭童らが麻雀会が開いたことに端を発し、数年前に直木とちょっと賭け麻雀をやったことがあるかどで菊池まで検挙されています。当局の強引なやり方と、その手にやすやすと乗って大々的に報道する新聞社のご追従的なやり方に菊池は相当腹を立てたようです。彼らの多くは微罪ですぐ釈放されますが、新聞でデカデカと報道されたダメージは大きかったことでしょう。最近も「文春の菊池は賭博で捕まった」「だから文春はダメだ」とこき下ろす人がいたような? 昭和6年の満州事変頃から日本は戦争へまっしぐらでした。昭和7年の満州建国を承認しなかった犬養首相は陸軍将校によって殺害され(「五・一五事件」)、昭和8年には小林多喜二が特高に殺されました。昭和3年頃からの政府は反対意見弾圧は苛烈を極めました。この「文士賭博事件」も、有名人の不祥事を摘発しリークして、マスコミがそれを拡散、権力を力を見せつける(お前らを逮捕する力があるんだから大人しく従えよ的な)効果があったことでしょう。有名人の不祥事を大衆は喜びますから(?)、大衆の目を政権の不祥事から逸らさせようとしたとも考えられます(スピンという)。堕落した権力の常套手段ですね(政権が危機を迎えると、ミサイルが飛んできたり、麻薬所持などで芸能人が捕まったり、有名人の不倫騒ぎがあったり・・・)。有名人は影響力があるので早めに締め上げておこうという意図が透けて見える場合が多いですね?
賭博(ギャンブル)で大きく勝って日常では味わえない恍惚を体験すると、依存してしまうことも多々あるようです。勝っても地獄かも? 賭博というと、作家では、賭博にのめり込み借金返済に追われたドストエフスキーが頭に浮かびます。『賭博者』(Amazon→)は自身の体験を元に書かれたようです。賭博で作った莫大な借金返済のために『罪と罰』と『賭博者』を速攻で書き上げています。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |